【 読書 ・ 100分de名著 】モンターグの成長物語には、先生が四人登場します。 クラリス と おばあさん は、語らず示すタイプの教師でしたが、新たな教師~上司である ベイティー と元大学教授の フェーバー ~は二人とも大いに語ります。
第3回 14日放送/ 16日再放送
タイトル: 自発的に隷従するひとびと
【テキストの項目】
(1)
本を燃やすことは人生を燃やすこと
(2)
三人目の教師――ベイティー
(3)
ベイティー演説の今日性
(4)
ファイアマンの仕事がもつ意味
(5)
思考の深さと多様性は社会の敵
(6)
唐突な葬式批判の意味
(7)
盗癖の真相
(8)
モンターグの「読書論」
(9)
反逆児の誕生
(10)
四人目の教師――フェーバー
(11)
フェーバーとベイティーの対照性
【展開】
(1)
本を燃やすことは人生を燃やすこと
「きみはあの場にいなかったし、見ちゃいないからわからないんだ。女は燃える家に残ったんだぜ。あれだけのことをするからには、本にはなにかがある、ぼくらが想像もつかないようなものがあるにちがいないんだ。なにもなくて、あんなことできるものか」
(中略)「ただ女が死んだわけじゃないんだ。この十年ぼくが使ってきたケロシンのことを考えたよ。それから本のことも考えてみた。そこではじめて本のうしろには、かならず人間がいるって気がついたんだ。本を書くためには、ものを考えなくちゃならない。考えたことを紙に書き写すには長い時間がかかる。ところが、ぼくはいままでそんなことはぜんぜん考えていなかった」
(2)
三人目の教師――ベイティー
上司のベイティーが三人目の教師です。ベイティーはファイアマンの歴史を語り始めます。注意すべき点が二つあります。一つは、ベイティーが語る歴史を言葉通りに受け取ることはできないということ。もう一つは、ベイティーが悪魔的人物として描かれていること。
まずベイティーは、焚書の始まりにはマスメディアの発展が深く関わっているといいます。その上で彼は、(A)ひとびとがどのようにして知性を失っていったのか、(B)どのようにして本が読まれなくなったのか、の過程をえんえんと語ります。
(A)(B)どちらのプロセスも、マスメディアの発展、社会のスピードアップ、内容の単純化、知性の衰退、学校教育の崩壊、人生そのものの単純化(仕事と消費)など、さまざまな要因が複合的に絡み合って進行しています。
(3)
ベイティー演説の今日性
焚書に至ったのは本というメディアそのものの劣化も原因になっている。これは、いまの出版のあり方についても反省を迫るものですね。
とはいえ、ベイティーの演説は多分に責任転嫁の気味があります。表現が単純で当たり障りのないものになり、知性の劣化が始まったことを、少数派への配慮のせいにして、背後に潜む権力の作用を巧妙に隠蔽しようとしています。
ひとびとの自発的な隷属を利用し統制を強め(ひとびとの望みに応えるかたちで)、それにより再び自発的隷属を強化する。うまいことこうした循環を生み出すのが権力の関心事です。そのための巧みな手段がファイアマンの役割の変更だったのです。
(4)
ファイアマンの仕事がもつ意味
ベイティーは、(A)と(B)のプロセスが進行し縒り合わさったときに、ファイアマンの仕事が消火から焚書に変質したのだと主張します。ファイアマンは本を焼いているのですが、本を焼く仕事は、ひとびとに心の平安と幸せをもたらしている、というものです。
同じものを消費し、同じ利那的快楽が満たされるからこそ、同じように幸福になれる。劣等感や欠落感が刺激され心の平安が乱されると幸福が損なわれる。だから、心の平安を乱すものは社会から排除すべきだという理路です。
家々がひとしなみに防火建築になってしまうと、世界じゅうで古くさい“ファイアマン”は必要なくなった。彼らは新しい職にありついた。心の平安の保証人になったのだ。
(5)
思考の深さと多様性は社会の敵
ベイティーによれば、「社会の敵」は本と本読みだけではありません。読書によって促される思考それ自体もやはり社会の敵なのです。本読みの家庭で育ったクラリスは「物事がどう起こるかではなく、なぜ起こるかを知りたがっていた」ゆえに、「時限爆弾だった」。また、本に書かれている見解はきわめて多様です。複数の書物を読み比べると、同じことがらについてまったく違うことが書かれていることもしばしば。一冊の本の中でさえ、対立したり矛盾した箇所がある。だから読者は考え、悩まざるをえない。これが不幸のもとだ。
国民に与えるべきものは、断片的な情報(データ)です。記憶カコンテストでもあてがっておけばいい。輝かしい情報収集能力を持っていると錯覚し、みんな幸せだ。
(6)
唐突な葬式批判の意味
この社会には葬式がない。つまり、故人を偲ぶ=故人の記憶をシェアすることや、生前の業績を讃えたりすることがない。葬式は人を不幸な気分にさせ、心の平安を乱す。なので、なきがらはとっとと焼いてしまう。死を無視するために。じっさい、この社会では死はすぐに忘れられてしまいます。ミルドレッドはクラリスの死を忘れていました。死んだ人のことなんて話したくないと、クリスについて語り合うのを拒否しました。わずか四日前のことなのに。屍体も本も不浄なものだから、ただちに清潔な火で清めないといけない。
夜は出勤できるだろうなとベイティーに言われ、「出勤できると思います。たぶん」と答えるモンターグ。しかし、内心では辞職しようと決めていました。
以下は、後日書きます。
(7)
盗癖の真相
(8)
モンターグの「読書論」
(9)
反逆児の誕生
(10)
四人目の教師――フェーバー
(11)
フェーバーとベイティーの対照性
<出典>
戸田山和久(2021/6)、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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