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2020年6月30日火曜日

(2016) 【来月予告】吉本隆明『共同幻想論』。【投稿リスト】カント『純粋理性批判』 / 100分de名著


◆ 最新投稿情報
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(K1157)  息子はまだ小学生のはずだけど(1) / 認知症の人の不可解な行動(17) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1157-117.html
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【来月予告】 吉本隆明『共同幻想論』 / 100de名著

20207月号 (100de名著)
吉本隆明『共同幻想論』。講師:先崎彰容(日本大学教授)


深く問う、とはこういうことだ。個から国家までを貫く思索の轍(わだち)をたどる

 1968年、学生運動が最高潮に達し、「最後の政治の季節」に登場した一冊の書物が『共同幻想論』だ。全共闘世代に熱く支持され、貪り読まれた本書は、「信じるとはなにか」「国家の起源とは」「国家とはなにか」という問いに対して深く、本質的にとことんまで考え、向き合った吉本隆明の格闘の記録でもある。
 「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」という3つのキーワードも有名だが、一方で本書はきわめて難解な内容でも知られる。吉本の主著とされ、戦後、日本人が国家について考えた最高峰とされる『共同幻想論』、その現代的意義に寄りそいながら読み解く。同時代を生き、『共同幻想論』が発した爆発的威力を知っている世代だけではなく、それ以外の人たちにも戦後最大の知識人、吉本隆明に入門できる格好の解説書。
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000062231122020.html


【投稿リスト】 カント『純粋理性批判』

公式解説は、
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/98_kant/index.html#box01


私が書いたのは、

(1986)  カント『純粋理性批判』(0) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/05/1986-0100de.html

(1987)  カント『純粋理性批判』(1-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/1987-1-1100de.html

(1988)  カント『純粋理性批判』(1-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/1988-1-2100de.html

(1990)  カント『純粋理性批判』(2-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/1990-2-1100de.html

(1992)  カント『純粋理性批判』(2-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/1992-2-2100de.html

(1997)  カント『純粋理性批判』(3-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/1997-3-1100de.html

(1999)  カント『純粋理性批判』(3-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/1999-3-2100de.html

(2004)  カント『純粋理性批判』(4-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/2004-4-1100de.html

(2006)  カント『純粋理性批判』(4-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/06/2006-4-2100de.html


<出典>
西研(2020/6)、カント『純粋理性批判』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
https://www.nhk.or.jp/meicho/


2020年6月29日月曜日

(2015)  日本国軍隊の無条件降伏 / 沖縄全戦没者追悼式(2)


◆ 最新投稿情報
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(K1156)  母の最期を看取れなかった <親しい人の死>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1156.html
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☆☆
日本軍は沖縄を守ろうと激しく抗戦。米軍は1万2千人以上が戦死。この激戦が米国に衝撃を与え、日本への無条件降伏要求が「日本国軍隊の無条件降伏」に緩和された。沖縄戦での尊い犠牲の上に今の日本の平和がある
☆☆


歴史知り心からの鎮魂を
===== 引用はじめ
 昭和20年4月1日に米軍は沖縄本島に上陸してきた。総兵力約54万人の米軍は1カ月で占領できると見込んでいたが、日本軍は沖縄を守ろうと激しく抗戦した。
 日本軍の力戦は県民の献身的な協力と犠牲に支えられていた。鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊では、半数の若い命が散った。
 摩文仁で牛島満第32軍司令官が自決し、組織的戦闘が終結した6月23日までに日本の将兵と県民18万8千人が亡くなった。米軍は1万2千人以上が戦死した。
 この激戦が米国に衝撃を与え、日本への無条件降伏要求が「日本国軍隊の無条件降伏」に緩和された。沖縄戦における尊い犠牲の上に今の日本の平和がある。
===== 引用おわり
産経新聞(2020/06/23)
https://www.sankei.com/column/news/200623/clm2006230002-n1.html

 『この激戦が米国に衝撃を与え、日本への無条件降伏要求が「日本国軍隊の無条件降伏」に緩和された。沖縄戦における尊い犠牲の上に今の日本の平和がある。』
ということを私は知らなかった。国が無条件降伏したのだと思っていた。

調べてみた。

 日本の降伏には、様々な説があるようだ
  無条件降伏論争
  無条件降伏ではないという説
  条件付の無条件降伏であったとする説
  無条件降伏であったという説
 詳細は、Wikipedia『無条件降伏』参照

 上記解説の冒頭に次のような文がある。「無条件降伏とは、普通には軍事的意味で使用され、軍隊または艦隊が兵員・武器一切を挙げて条件を付することなく敵の権力にゆだねることを言う」。つまり、無条件降伏というのは、国が無条件に降伏するのではなく、軍隊が降伏することを意味するのが、一般的のようだ。

 しかし、例えばカイロ宣言では、最後の項で「右の目的を以て、右三同盟国は、同盟諸国中日本国と交戦中なる諸国と協調し、日本国の無条件降伏をもたらすに必要なる重大且長期の行動を続行すべし。」(原文は片仮名体)とある。つまり、降伏させるのは日本国軍隊ではなく、日本国だという考え方も強かった。

 ポツダム宣言第13条は、次のように記されている。「我等は、日本国政府が直ちに全ての日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意を適当かつ充分に保障することを要求する。これら以外の日本国の選択は迅速かつ完全な壊滅があるだけである。」
https://www.y-history.net/appendix/wh1505-117.html

 “(13) we call upon the government of japan to proclaim now the unconditional surrender of all the japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. the alternative for japan is prompt and utter destruction.
http://home.c07.itscom.net/sampei/potsdam/potsdam.html


 「歴史知り心からの鎮魂」を。感謝の気持ちをこめて。

 これは、戦争を肯定するものでないし、賛美するものでもない。

添付図「摩文仁司令部壕は、
https://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasentogama/mabunisireibugou.htm


2020年6月28日日曜日

(2014)  コロナ禍での睡眠(吉村知事、井戸知事、大村知事)


◆ 最新投稿情報
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(K1155)  血液検査による認知症診断:実用化を加速 <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1155.html
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☆☆
ご本人にとって失礼だが、傑作だ。部下を見て、同じような思いをしている上司も多いのではないか。コロナ禍で、知事の力量がはっきり見えてしまった。寝ていてほしいと思う国会議員が多い。寝ている議員もいる
☆☆

 最近、興味深い話を聞きました。

 <吉村寝ろ><井戸起きろ><大村寝てろ>知事3人への声がSNSを席捲! 「大阪府知事の目の下にクマ」「兵庫県知事はどこ?」「愛知県知事は…」
https://news.so-net.ne.jp/article/detail/1951271/

<吉村寝ろ>
 「いつ見ても率先して指揮を執り、コロナ対策に奮闘している」と、大阪府民からの評判は上々でした。しかし、頑張りすぎているのか、吉村知事の目の下にはクマがあり、相当疲れているのが、誰の目からも明らかです。そんな吉村府知事の姿を見た人たちから、SNS上で一斉に<吉村寝ろ>と声が上がったのです。

<井戸起きろ>
 大阪府のお隣で同じく緊急事態宣言の対象となっている兵庫県の井戸敏三知事です。コロナ騒動で各都道府県の知事がメディアに露出しているなか、「あれ?兵庫県知事って誰だっけ?」と揶揄されるほど、井戸知事の姿はあまり見られません。「本当に仕事してるのか?」「頼むから仕事してくれ」「というか寝てるのでは?」と県民には不安がられて、ついには<井戸起きろ>のワードがトレンド入りしてしまいます。

<大村寝てろ>
 福岡県よりも感染者数が多い愛知県が指定から外れているなど、当時は「また“名古屋飛ばし”だ!」といった声まで聞かれました。しかし福岡県の小川洋知事は自ら「指定してほしい」と願い出たということや、愛知県の大村秀章知事は「指定を嫌がった」といった話も広がり、愛知県民にとって「名古屋飛ばし」のワードは“自虐の笑い”から“落胆の恐怖”に変わりました。

<出典> 動画では、
https://www.youtube.com/watch?v=GDKEh_rKjNk


(2013)  玉城知事の平和宣言 / 沖縄全戦没者追悼式(1)


◆ 最新投稿情報
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(K1154)  アンチ・エイジングとナチュラル・エイジング(2) / 自立期と仕上期との間にて(10) <自立期~仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1154-210.html
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☆☆
沖縄全戦没者追悼式での玉城県知事の「平和宣言」は、何物なのか? 看板は、~ 「慰霊の日」を迎えるに当たり、全戦没者のみ霊に対し、謹んで哀悼の誠をささげます ~ 中身は自己主張のみ。死者に対する冒涜と思う
☆☆

 沖縄全戦没者追悼式での玉城知事の平和宣言(要旨)を読んで、唖然とした。
===== 引用はじめ
 戦争終結75年を迎えようとする今日、私たちは平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信し、共有することを呼び掛ける。
 戦後75年の現在も国土面積の約06%に米軍専用施設の約70.3%が集中し、米軍人らによる事件・事故や航空機騒音は県民生活に多大な影響を及ばしている。名護市辺野古で進む新基地建設の場所、大浦湾周辺の海や、ヤンバルの森もウチナーンチュのかけがえのない財産。次世代に残すため、責任を持って考えることが重要だ。
 沖縄平和賞の第1回受賞者、ペシャワール会の中村哲医師が昨年、アフガニスタンで凶弾に倒れた。私たちは中村先生の「非暴力と無私の奉仕」に共鳴し、平和に生きることとは何かを学んだ。
 新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、人々の命と生活が脅かされ、 経済活動にも甚大な影響が生じている。国際社会が一体となって取り組んでいくことが重要だ。
 私たちはヒロシマ・ナガサキと平和を願う心を共有し、人類が二度と「黒い雨」や「鉄の暴風」を経験することがないよう、心に「平和の火」をともし、尊い誓いを守り続け決意を新たにするこの島が平和交流の拠点となるべく国際平和の実現に貢献する役割を果たしていくため、全身全霊で取り組む。
===== 引用おわり
  全文(動画)は、例えば、
https://www.youtube.com/watch?v=Tl9GrufeA_w


 「沖縄全戦没者」は、全く登場しない。玉城知事の現状認識と思いだけである。

 本日、「慰霊の日」を迎えるに当たり、全戦没者のみ霊に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。 ~ と言っているが、「全戦没者のみ霊」がどのような思いをして亡くなったかに無関心。本文を見る限り「哀悼の誠」はどこにも見当たらない。

 この宣言には、別の観点から批判が出ているようだ。
===== 引用はじめ
 名護市辺野古の新基地建設の見直しや断念を求める文言はなく、「表現が後退した」との指摘もくすぶる。
===== 引用おわり
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/590006

 これが「沖縄全戦没者追悼式」なのだろうか。自己主張だけで、追悼の気持ちは何もない。
 私が問題視しているのは、自己主張の内容が正しいか、正しくないかではない。戦没者に失礼この上ない。


2020年6月27日土曜日

(2012)  変化 /男と女の違い(11)


◆ 最新投稿情報
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(K1153)  AIが提示電話で健康状態を把握 / 介護・高齢者の見守りにAIやネット活用(3) <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1153-3.html
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☆☆
駄作だが、面白い。妻から変われ変われと圧力をかけられている夫(=著者)が、ささやかな、そして無駄な抵抗をしている姿が思い浮かび、笑ってしまった。変わりたいか変わりたくないかは、状況や立場に左右される
☆☆

 今回のは、変だ。
 「妻は夫に変わってほしいのに、夫はなかなか変わらない」というシチュエーション(状況)があるようだが、一般的な設定ではないだろう。
 逆に、「夫は妻に変わってほしいのに、妻はなかなか変わらない」というシチュエーション(状況)もあり、この場合男女が逆転する。
 誰かが誰かに変わるように圧力をかけたら、かけられた方は、普通は、変わりたくないだろう。男か女かではなく、どちらの立場に立っているかで決まる。

 事例では、新しいルールを決めたい女性上司と、それに逆らいたい男性部下が前提になっている。これも、一般的ではない。
 男か女かではなく、現状に満足しいてるかどうかで決まる。両方が不満に思っていたら、両方が変えたいだろう。ただ、その変えたい方向は、真逆かもしれない


● 変化

A)   ここが違う
男: 男は変わりたくない
女: 女は変えたい

B)   新しいルールを決めるとき
男から女へ: 一生懸命がんばりますー
女から男へ: 効率的じゃない?


===== 引用はじめ
 前にもお話しした通り、女性には変身願望があります。実際、脳の構造上、女性は切り替えが早いので、変化に対応するのはお手の物。ですから、男性にも変化を期待します。
 しかし、男性は新しい環境に対応するのが苦手ですし、まったく変身願望がありません。どちらかといえば、かたくなに「自分を変えたくない」と思っています(成長はしたいと思っていても)
===== 引用おわり
 本当だろうか?
 

<出典>
五百田達成、『察しない男、説明しない女』、No.26



2020年6月26日金曜日

(2011)  世代レベルでの動き / オンライン会議で変わるもの(6)


◆ 最新投稿情報
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(K1152)  アンチ・エイジングとナチュラル・エイジング(1) / 自立期と仕上期との間にて(9) <自立期~仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1152-19.html
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☆☆
オンライン会議で会議が変わる。それは、大きな出来事だが、オンライン会議の影響全体から見ると、ほんの一部にしかすぎない。オンライン会議により文化が、社会が「変わる」だけではなく「変えていく」ことも可能
☆☆

 オンライン会議は、世代レベルで、異なった様相を示す。

(1)  幼児期
 母親がスマホを子どもにわたし、一人遊びさせる時代になっている。子どもが夢中になるスマホ向けアプリケーションが多くあるらしい。子どもがスマホを勝手に触っているうちに(知らぬ間にデータを消去してしまうこともあるので要注意)、誰から教わることもなく、スマホを使えるようになる。おじいちゃんやおばあちゃんより上手スマホを使える3歳児も多いようだ。

(2)  小中学生
 「政府は、2020年までに小中学校の全生徒にタブレット端末が行き渡るように環境を整備し、タブレットで授業を受けることを推奨している。
https://smile-zemi.jp/art/02/sho/coming2020/
 「神戸市と市教育委員会は10日、市立の全小中学校の児童・生徒約11万人に対し、本年度中にタブレット型パソコン(PC)を1人1台整備すると発表した。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/859f9c8b188dca9060ebe04342cdbd3c50f6b7ff
 将来の大人は全員、小中学生時代にタブレットを使ったことがあることになる。何の抵抗感もなく、オンライン会議に参加するだろう。

(3)  前期高齢者
 前期高齢者の「オンライン会議」の関りも変わる。人が変わるというより、世代が変わる。前期高齢者(6574歳)の人は、10年経つと、総入れ替えになる。10年後の「前期高齢者」は、今の「前期高齢者」ではない。10年後の世代は、ITとの関りが深い。
 今の前期高齢者が習熟してオンライン会議に出られる面もあるが、むしろ、オンライン会議に参加できる人が、10年後には前期高齢者になる。


 今の高齢者の中には、オンライン会議参加に抵抗感をおぼえる人が多い。しかし、世代交代が進むにしたがって、オンライン会議が、今後増えていくだろう。オンライン会議の出現で、会議が、会話が、コミュニケーションのあり方が、人間関係が、不可逆的に大きく変質していく。文化も変わる。

 文化がオンライン会議普及に影響を及ぼす。それだけに終わらない、オンライン会議が文化そのものを変えていく。
 鳥瞰的にその様子を見ることにより、新して局面に適応していける。「私」を変えるだけではない。「社会」も変えていける。

 終わり

<出典> オリジナル

添付は、
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/30547/leaflet.pdf


2020年6月25日木曜日

(2010)  古賀政男と歌謡曲 - 永遠のコガメロディ / あの頃日本人は輝いていた(8)


◆ 最新投稿情報
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(K1151)  もう家に帰らないといけない(2) / 認知症の人の不可解な行動(16) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1151-216.html
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☆☆
底に流れるのは何か。大正琴、三味線、尺八など日本の楽器とともにマンドリン、ギターなど西洋の楽器や西洋音楽の魅力を自分のものとして取り入れ、独創性や音楽的探究心を絶えず追求した結果作られた古賀メロディ
☆☆

 古賀政男の処女作は「影を慕いて」だ。作詞作曲のこの曲は、満州事変が勃発した昭和6 (1931)、藤山一郎が歌ってヒットし、作曲家古賀政男誕生のきっかけとなった。 … 60年後に森進一が歌っても古さを感じさせず、人の心を打つ。演歌歌手ばかりではない。映画俳優の石原裕次郎、勝新太郎、クラシックの藍川由美がウィーン・シンフォニックアンサンプルをバックに歌っても上手さ、表現に違いがあっても訴えるものがある。時代を超え、どの歌手が披露しても色あせないのは底に流れる何かがあるのだ。
 古賀の作曲は、生涯に4,000以上に及んだが、「影を慕いて」、「酒は涙か溜息か」、「悲しい謡 酒」のようなしんみりしたものから「丘を越えて」、「青い背広で」、「東京ラブソディ」に代表される明るい歌、「二人は若い」「あゝそれなのに」のようなコミックソング、さらに軍国歌謡までその幅の広さは驚くばかりである。

 コロンビアレコードと専属作曲家として契約、 … 東京音楽学校(現東京芸術大学)の学生増永丈夫の明瞭な歌声に目を付けた古賀は自分の曲を歌わせようとする。 … しかし、官立の音楽学校の学生が流行歌を歌うのは校則違反である。窮余の一策として芸名を藤山一郎として吹き込んだ「酒は涙か溜息か」は詩とメロディが不況の時代にマッチし、藤山の声を抑えて歌うクール唱法と相まって大ヒットとなった。
 テイチクに移って映画主題歌「白い椿の唄」、「二人は若い」のヒットを飛ばす。 … 東京ラブソディ」として発売された軽快なフォックストロットは昭和モダンを謳歌する歌として大ヒットした。古賀・藤山コンビで、「男の純情」、「青い背広で」、ディック・ミネが歌った「人生の並木道」、美ち奴の「ああそれなのに」など古賀作品の相次ぐヒットによってテイチクは流行歌黄金時代のトップに立つことになる。

 コロンビアに復帰。極めて日本的な「誰か故郷を思わざる」は兵士たちの間で愛唱され、日本に逆上陸しての大ヒットとなった。その後「新妻鏡」、「目ン無い千鳥」、「熱砂の誓い」など映画主題歌としてヒット曲を次々世に送った。
 敗戦に打ちひしがれ、食糧はじめすべての物資が不足しその日の生活にも苦しむ日本国民の数少ない娯楽といえばラジオと映画であった。戦後の古賀は映画「三百六十五夜」の主題歌「恋の曼珠沙華」に始まり、「湯の町エレジー」が空前のブームを呼ぶことになった。その後、うぐいす芸者神楽坂はん子の「ゲイシャ・ワルツ」、「こんなベッピンみたことない」、島倉千代子の高く細い声を生かした「りんどう峠」、「あんなあくの強いのはだめだ」の反対を押し切ってラジオで聞いた浪曲師村田英雄をあえて起用して大ヒットに仕上げた「無法松の一生」、美空ひばりの魅力を生かした「悲しい酒」、「柔」など古賀の曲を最大限表現してくれる歌手が次々と生まれ、あるいは古賀自身が発掘していった。

 「わたしの歌謡曲は歌詞が姉でメロディは妹」というように、古賀は佐藤惣之助、西條八十、サトウハチローなど優れた作詞家に恵まれた。
 正式な音楽教育を受けたことのない古賀に対する専門家の批判があることは本人が十分自覚していた。しかし古賀は言い訳や反論は一切しなかった。「最後に判断してくれるのは大衆だ」とのゆるがぬ信念をもっていたからである。


古賀政男(19041978
 福岡県生まれ。明治大学に入学しマンドリン倶楽部創設に参加。日本コロンビアと専属契約し多数のヒット曲を生み出した。 郷愁と近代性をミックスした旋律は「古賀メロディ」として親しまれ、今も歌い継がれている。歌謡曲の大御所として日本作曲家協会を設立しレコード大賞制定に尽力した。没後国民栄誉賞を贈られた。

<出典>
池井優、『あの頃日本人は輝いていた』(芙蓉書房出版)

写真は、
ビッグショー/古賀政男 33,944 回視聴•2019/09/19
https://www.youtube.com/watch?v=uwoQq2gFD1g
動画あり。


2020年6月24日水曜日

(2009)  オンライン会議は、リアル会議とは違ったものになる / オンライン会議で変わるもの(5)


◆ 最新投稿情報
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(K1150)  必要なタイミングで排尿に関する通知が届く / 介護・高齢者の見守りにAIやネット活用(2) <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1150-2.html
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☆☆
リアル会議がオンライン会議に変わるのは、単に形式が変わるというだけの事ではない。現三゛表現のウエイトが高くなり、同一性の高い文化を前提にしなくてよくなる。ダイバーシティ、多様性、グローバルにつながる
☆☆

 リアル会議とオンライン会議の違いは、形式的に見れば、「通信を使う」とか「リモートである」とかであるが、大切なのは、視覚情報は「あるが不十分」なため、「非言語表現が通じにくい」ところにある。
 通じないのは、仕方がない。それを前提として、いかに、意思疎通を図り、良好な人間関係を築いていくかが、課題になる。具体的には、言語表現を増やすことになる。

 オンライン会議の導入に伴い非言語表現が減る一方、言語表現を努力して増やす。両方が効いて、言語表現のウエイトが高まる。これは、他の課題にも関係する。

 非言語表現が通じる背景には、同一性の高い文化がある。反対に、異文化交流においては、非言語表現が通じにくい(正確に言うと、言語が異なっても、文化が異なっても、非言語だから通じる面もある。しかし、文化が違うと通じない非言語表現も多くあるだろう)。
 同様に、「ユニバーシティ」「ダイバーシティ」、「画一性」「多様性」、「ローカル」「グローバル」の変化にも関係づけられる。

 会議の形式が単にオンラインになる、というところに留まらない。文化のあり方全般に、大きく関わる。

 続く

<出典> なし。オリジナル


2020年6月23日火曜日

(2008)  日本を発信(13)  [Mythbusters] Self-righteous Foreign Correspondents in Japan Claim Freedom to Be Offensive

【神話を斬る】独善的な外国特派員が人々を不快にさせる自由を求める


      最新投稿情報
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(K1149)  もう家に帰らないといけない(1) / 認知症の人の不可解な行動(15) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1149-115.html
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東京五輪の大会エンブレムと新型コロナウイルスのイメージを掛け合わせたデザイン。これに抗議するのは、「表現の自由に対する攻撃だ」と主張する人がいる。攻撃されるべき「表現の自由」だと思う。侮辱する自由?
☆☆

起こったこと
===== 引用はじめ
 少し前の話になるが、日本外国特派員協会(FCCJ)の月刊誌が表紙に東京五輪の大会エンブレムと新型コロナウイルスのイメージを掛け合わせたデザインを掲載し、多くの日本人の反感を買った。
 英語ニュース・オピニオンサイト「JAPAN Forward」(JF)でその問題を扱った記事を掲載したところ、6月19日現在、最も読まれている記事ランキングのトップ2位に入った。
===== 引用おわり

 上の英文(日本語訳)は5月27日に掲載された同記事の見出しだ。JF解説委員で、大正大学名誉教授のアール・キンモンス氏が、「コロナエンブレム」問題を深掘りし、FCCJと反日的な外国特派員の問題点をさまざまな角度から洗い出し、解説した。

(1)  「FCCJの最大の問題は、それが(第二次大戦後の)占領期の遺物であり、占領期に外国特派員に与えられた特権を維持しようとしている点だろう」

(2)  「日本駐在の外国特派員は他国にいる場合と同様に、日本人の感受性を尊重しなければならない」

(3)  「外国特派員がなすべきことは日本についての正確な報道である。文化的、人種的な偏見や差別を含んだ報道によって自国の読者に優越感を与えることではない。また、大人が子供を諭すように、日本人を教え導くことでもない。FCCJと個々の会員はそれを心に銘記すべきではないだろうか」

<参考資料>
      原文 英語
[Mythbusters] Self-righteous Foreign Correspondents in Japan Claim Freedom to Be Offensive
https://japan-forward.com/mythbusters-self-righteous-foreign-correspondents-in-japan-claim-freedom-to-be-offensive/

      新聞記事
産経新聞(2020/06/22)
【JAPAN Forward 日本を発信】反日報道が続くわけ
https://www.sankei.com/column/news/200622/clm2006220007-n1.html

<前回>
(1981)  日本を発信(12)  Hana Kimura, Professional Wrestler, 1997-2020(木村花さん)
http://kagayaki56.blogspot.com/2020/05/1981-12-hana-kimura-professional.html


2020年6月21日日曜日

(2007)  中途半端な視覚情報が与える影響は、人によって違う / オンライン会議で変わるもの(4)


◆ 最新投稿情報
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(K1148)  個人Blog 6月中旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1148-blog.html
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☆☆
オンライン会議の導入で、視覚情報が制限され、「本音の信号」が伝わりにくくなる。影響の大きさと質は、その人のコミュニケーションスタイルに依存する。非言語情報の受発信に長けた「達人」が大きな被害を受ける
☆☆

 「オンライン会議」では、視覚情報はあるものの不十分であり、発せられた「本音の信号」の伝わり方は、著しく劣化する。

 会議に出席する人のタイプを、4種類挙げる。

(A) 発信側
 (A-1) 本音の信号を、意識的に発する人
 (A-2) 本音の信号を、無意識に発する人

(B) 受信側
 (B-1) 本音の信号を、受けとめる(真意を察する)人
 (B-2) 本音の信号を、受けとめない(言葉通り理解する)人


 「オンライン会議」が導入され、視覚情報が大幅に制限される状況となって、

1.   大いに悪影響を受けて、困惑する人:
 これまでは人付き合いの達人だったが、オンライン会議になると、その強みを発揮できなくなる。しかし、成功体験が邪魔をし、変わるのは難しい。

1.1.  (A-1) 本音の信号を、意識的に発する人
 本音の信号を意識的に発するのに長けた人である。信号は出すのだが、ラインの向こう側の人は受けとめられなくなる。持っていた技が通用しなくなり、困惑する。環境の変化を意識し、非言語発信から言語発信に切り替えなければ、適応できなくなる。

1.2.  (B-1) 本音の信号を、受けとめる(真意を察する)人
 本音の信号を受けとめ、真意を察するのに長けた人である。真意を察しようとするのだが、視覚情報が減るため、うまくいかなくなる。真意を推測するのだが、情報不足のため、失敗することが増えて、困惑する。環境の変化を意識し、非言語受信から言語受信に切り替えなければ適応できなくなる。

2.   悪影響を受ける人:

2.1.  (A-2) 本音の信号を、無意識に発する人
 本音の信号を無意識に発していたが、これまでは本人の気づかぬままに周囲が真意をくみ取り、対応してくれていた。ところが、オンライン会議になると、周囲が真意を組み取れなくなり、従来のように対処してくれなくなり、困る。本音を言語表現していくことが大切だ。これは、オンライン会議であろうとなかろうと、必要なことである。これまで変われなかったことを考えると、これからも変われない可能性が高い。

3.   逆に、相対的に良くなり、メリットを受ける人:

3.1.  (B-2) 本音の信号を、受けとめない(言葉通り理解する)人
 オンライン会議になっても、この人自体は変わらず、本音の信号を受けとめられない。しかし、周囲の人~本音の信号を、受けとめる(真意を察する)人~のレベルが下がるので、相対的にレベル差が小さくなる。だから、欠点が目立たなくなる。
 さらに、ライン会議の導入により、非言語の情報が通じにくくなるために、言語表現が今後増えていくだろう。この人にとって、環境は改善される。

 続く

<出典> なし。オリジナル


(2006)  カント『純粋理性批判』(4-2) / 100分de名著


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(K1147)  デジタル・ケアマネジメント / 介護・高齢者の見守りにAIやネット活用(1) <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1147-1.html
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☆☆
「神はいるか、いないか」究極真理の問いは無用としつつ、「なぜ人間は神の存在を問い続けてきたのか」「なぜ人間は神を必要としているのか」と問いを転換させ、人間の生き方を考えるために有用な問いへと再設定
☆☆

第4回  22日放送/ 24日再放送
  タイトル: 自由と道徳を基礎づける

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25

【テキストの項目】
(1)   それでも人間に自由はある?
(2)   道徳が自由をつくる
(3)   人間が立脚する二つの世界
(4)  「道徳的世界」の根本ルール
(5)   ルールを普遍的なものにする

(6)   理性の究極の関心
(7)   神の存在は「要請」される
(8)   カントが思い描いた理想郷
(9)   カント最大の功績
(10) 道徳の論理的考察は可能か
(11) 共有知として哲学を蘇らせる

【展開】
(1)  それでも人間に自由はある?
(2)   道徳が自由をつくる
(3)  人間が立脚する二つの世界
(4)  「道徳的世界」の根本ルール
(5)   ルールを普遍的なものにする
 以上は、既に書きました。

(6)   理性の究極の関心
 カントは『純粋理性批判』の最終版で、人間の理性はどんな問いに向かうかについて、次のように総括しています。

   私は何を知りうるか
 理論理性の働きで、世界の正しい認識を求めるものです。「私が知りうる」のは、「空間」と「時間」のもとで直観された現象界のみ。

   私は何をなすべきか
 実践理性の求めるものです。「私がなすべき」は道徳的に行動することだ、というのがカントの答えです。実践理性は易きに流れる感性の「傾向性」を諫め、人間を完全なる生き方へと導きます。

   私は何を望んでよいか
 カントはこれを「道徳的に生きることは何に値するか」と言い替えています。そしてその答えは「幸福」に値する、というものです。もっとわかりやすくいうと、道徳的に生きる人は幸福を得る資格がある、ということです

 しかしここで問題が出てきます。道徳的世界の一員にふさわしく、現実の社会を正しく生きたとしても、幸福には恵まれないかもしれません。ではどうしたらよいのか?――カントには秘策がありました。ここでふたたび登場するのが、「神」と「魂の不死」です。

(7)   神の存在は「要請」される
 カントは「神はいるのか/いないのか」という究極真理の問いは無用としつつも、「なぜ人間は神の存在を問い続けてきたのか」「なぜ人間は神を必要としているのか」と問いを転換させることで、これを人間の生き方を考えるために有用な問いへと再設定したといえます。
 カントの表現では、「道徳的に生きよ」と私たちに命じる実践理性が神の存在を必要なものとして求める、つまり「要請」している、というわけです。

(8)   カントが思い描いた理想郷
 彼は、「道徳的世界の一員としてふさわしく行為すること」を、新たな生き方の理想として、提示しようとしました。
 この道徳論には、次のようなメッセージがあった――「どんなに貧しくても苦しくても、心正しく生きよ。そこにこそ理性的存在者(叡智界の一員)としての誇りがあるのだ」。また、「自分が正しいと判断したことは、まわりの人がすぐに納得してくれなくても、とことん貫いて生きていけ」

(9)   カント最大の功績
 そろそろまとめに入りましょう。
 …カント最大の功績は、自然科学と生きる上での価値について、両方を見渡す哲学を築いたところにあると思います。
 科学の知識は重要だが、それだけでは十分なものではないこと。なにより、人の生とそこでの価値を解明する必要があること――これが、カントがいまも私たちに発信しているメッセージであると思います。

(10) 道徳の論理的考察は可能か
 もう一点、カント哲学の功績を指摘しておきましよう。それは、哲学の領域を「答えの出る領域」と「答えが出ない領域」とに明確に区分し、答えの出る領域に狙いを定めて議論すべきとした点です。
 もっとも、カントの哲学に課題がないわけではありません。最大の難点は、道徳を議論不可能な領域においてしまった点です。つまり、カントの道徳論について、何を根拠にして賛成したり批判したりすればいいのかわからない、ということです。

(11) 共有知として哲学を蘇らせる
 こうした問題点を指摘しつつ、カント哲学を発展的に継承したのがエトムント・フッサールです。彼は、カントによって叡智界に追いやられた道徳をふたたび現象に取り戻し、根拠を挙げながら考え議論する道を開きました
 フッサール現象学は、物自体の世界を想定する点でカント哲学を批判していますが、人間の主観から出発して自然科学と人間の価値の両方を考えようとする点において、カント哲学の直系といえるでしよう。カントなくしてフッサールはありませんでした。
 科学的な知や人間の価値の根拠を考えることは、今後、ますます重要な課題となっていくはずです。それについて大規模で体系的な構想をつくり上げたのは間違いなくカントであり『純粋理性批判』 です。


<出典>
西研(2020/6)、カント『純粋理性批判』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)


2020年6月19日金曜日

(2005)  視覚情報はあるが、中途半端 / オンライン会議で変わるもの(3)


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(K1146)  介護経験は人生を豊かにする / 高見国生さんからのメッセージ(4) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1146-4.html
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感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたとき、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかを調べたところ、視覚情報の割合は55%だった。「オンライン・画像有会議」に視覚情報があるが、限定的だ
☆☆


 メラビアンの法則
===== 引用はじめ
 この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれている。
===== 引用おわり
Wikipedia、『メラビアンの法則』

会議を3つに分類すると、
(1)  リアル会議
(2)  オンライン・画像有会議
(3)  オンライン・画像無会議

 になるが、特に「(3)オンライン・画像無会議」は、矛盾したメッセージが発せられた時に働かせる(55%)視覚情報を失うので、矛盾を解釈するのがとても難しくなる。別の言葉で言うと、発せられる「本音の信号」を受け取るのが難しくなる。
 「(2)オンライン・画像有会議」は、「(3)オンライン・画像無会議」に視覚情報が加わる。しかし、限定的である。多人数になると、画面が小さくなり、「そこにいるだけ」となる。その人が顔を大写しにして、その人をメイン画面にすれば、表情は読み取れるが、逆に全身の動きは見えない。視覚情報はあることはあるが、極めて限定的だ、というのが参加しての印象だ。

 「オンライン・画像有会議」における「視覚情報=Visual」は、十分でない。

 続く

<出典>は、上記。他は、オリジナル

添付図は、
https://mindhack-media.jp/articles/55


2020年6月18日木曜日

(2004)  カント『純粋理性批判』(4-1) / 100分de名著


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(K1145)  認知症団体が動画公開 <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1145.html
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第4回のポイントは「科学が答えてくれない生き方の問題に対して、カントがどのように答えたか」。人間は他者を尊重しながら、社会の一員としてふさわしい道徳的行動を選択できる。理性的判断に、人間の自由がある
☆☆

第4回  22日放送/ 24日再放送
  タイトル: 自由と道徳を基礎づける

【テキストの項目】
(1)   それでも人間に自由はある?
(2)   道徳が自由をつくる
(3)   人間が立脚する二つの世界
(4)  「道徳的世界」の根本ルール
(5)   ルールを普遍的なものにする

(6)   理性の究極の関心
(7)   神の存在は「要請」される
(8)   カントが思い描いた理想郷
(9)   カント最大の功績
(10) 道徳の論理的考察は可能か
(11) 共有知として哲学を蘇らせる


【展開】

(1)  それでも人間に自由はある?
 人間も生きものですから、たとえば喉が渇くと「水が飲みたい」という欲求が生じます。水が飲みたくなった原因は、喉が渇いたからです。これは因果律で説明がつきますね。言葉を換えれば、これは自然法則に縛られた現象であって、そこに自由はありません。
 しかし人間は、こうした欲求の言いなりになるだけではありません。喉が渇いたからといって、隣の人のペットボトルを奪って飲んではいけない、と考えることができる存在です。それが正しい行動かどうかを考えて、みずからの行動を自分の意志で選ぶことができるのです。

(2)   道徳が自由をつくる
 カントのなかで道徳が自由と結びついている

   「道徳的に行為する」とは
【×】カントによれば、権力者や宗教者が「正しい」ということを無批判に受け入れて従うのは、権威のいいなりになっていることで、道徳的な価値はまったくありません。
【○】そうではなく、権威や伝統が道徳的に正しいかどうかを主体的に吟味し、理性的判断にもとづいて行動を選択するところに自由はある

   「自由に生きる」とは
【○】つまり、カントにとって「自由に生きる」とは、人のいいなりにならず主体的に考える姿勢であり、そして主体的な判断に従って道徳的に行為することなのです。
【×】押さえておきたい点は、カントのいう自由とは「勝手気まま」「欲望の解放」ではない、ということです。

   時代背景
【時代背景】伝統的に人の生き方に答えを与えてきたのは宗教でした。 … しかし、「自由」の観念が一般化することで、伝統やしきたりと一体化した信仰はその力を失っていきます。
【問題意識】旧来の信仰に代わる、新たな生の目標を示す必要がある――人間が範とすべきものを、宗教という枠組みるからいったん切り離して、人間自身の理性の働きから基礎づけようとしたのです。

(3)   人間が立脚する二つの世界

(一つ目の添付図)
 カント認識論において、外から見た人間の行動は、空間・時間のなかで生じたことですから現象界に属します。しかし同時に、人間の心()は、私たちが認識し得ない「物自体」の世界、叡智界にも属しているとされます。 つまり、認識の対象(客体)としての人間は現象界に属し、その行動は自然法則で説明されるものの、実践の主体としての人間は叡知界に属しているので、その行動は自然法則を超えた「自由な原因生」でありうる、というわけです。
 このように人間はこの二つの世界に属していますから、現象界の人間について語るかぎり自由はなく、叡智的存在としての人間について語るかぎり自由がある。こうして正・反二つの命題もどちらも矛盾なく説明できる、ということになります。

(二つ目の添付図)
 つまり人間は、いつも感性(欲望)と理性の二つによって引っ張られている存在なのです。生身の人間であるかぎり、感性からの影響を完全に脱することはできません。ですが、感性からの影響があっても、それに負けず理性の声に従うようになればなるほど、道徳的に進歩したことになるわけです。
 このように、認識における理性と実践における理性とでは、意味合いがかなり異なりますので、カントは、前者を「理論理性」、後者を「実践理性」と呼んで区別しています。

(4)  「道徳的世界」の根本ルール
 実践理性の描く道徳的世界とは、「理性的存在者(理性をもつ者)からなる国家」であって、そこに自分を含むすべての人間が所属しています。そのメンバーは対等で自由な存在であり、何よりも互いを尊重しあわねばなりません。道徳的世界は、皆が互いを尊重しながら平和に共存する世界なのです。
 この理念ははるか彼方の目的ではなく、直接にいまここで行為することを求めます。理性的存在者からなる国の一員としてふさわしくふるまえ、と。このルールを「道徳法則」と呼びます。

(5)   ルールを普遍的なものにする
 道徳法則
   どんな人も自分なりのルールをもっているけれど、それが自部勝手なものになっていないか、絶えず吟味しつつ行動しなさい
   道徳法則は「権威」から下されるものではありません。人々が互いを尊重しながら共存するためのものであり、それが正しいかどうかは一人ひとりが自分で判断できるものでした。

 ルソーが『社会契約論』で提起した対等で自由な共和国の理想を、道徳的世界として読み替えたところに、カントの道徳法則は成り立っているのです。


 以下は、後日書きます。
(6)   理性の究極の関心
(7)   神の存在は「要請」される
(8)   カントが思い描いた理想郷
(9)   カント最大の功績
(10) 道徳の論理的考察は可能か
(11) 共有知として哲学を蘇らせる


<出典>
西研(2020/6)、カント『純粋理性批判』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2020年6月17日水曜日

(2003)  会議3形態の不可逆的変化 / オンライン会議で変わるもの(2)


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(K1144)  死は、希望なのか、絶望なのか(3)(横田滋さん) / 自立期と仕上期との間にて(8) <自立期~仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1144-38.html
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「リアル会議」「オンライン・画像有会議」「オンライン・画像無会議」。コロナ禍による「リモート」の要請で、「オンライン・画像有会議」が増えている。コロナ禍が落ち着いても、リモート会議は増え続けるだろう
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 コロナの影響を受けて、リアル会議(実際に会議室に集まって行う会議)が減り、オンライン・画像有会議(離れたところで、話している姿を映しながら行う会議)が増えている。もう一つ、オンライン・画像無会議(離れている所で、声だけで行う会議)を想定してみる。LINEのグループ通話(ビデオ通話でなく無料通話)のイメージである。

 会議の3つの形態
(1)  リアル会議
(2)  オンライン・画像有会議
(3)  オンライン・画像無会議

 元々は、(1)だけだった。テレビ会議システムは、10年前以上から存在したが、高価であり個人としては使いにくかった。また、企業において設備を整えても、使い勝手が悪かったので、劇的には普及しなかった。
 スマホが普及して、LINEのグループ通話が可能になり、個人において(3)が使われ始めた。視覚情報が遮断されるため、一定以上は広がらなかった。LINEのビデオ通話((2)に相当)も使われ始めたが、LINEグループ内でしか使えないので、広く普及するに至らなかった。
 Zoom会議システム等が進化を遂げ、コロナ禍で「三密を避ける」という目的で使われ始めた。従来は縁のなかった人も、盛んに開催される「Zoom(オンライン)セミナー」に参加してみて、その利便性に気づき、「Zoomミーティング:会議、打合せ、雑談会、インターネット飲み会」参加の機会が増え、自ら開催してみる人もあらわれるようになった。
 企業においては、従来、「東西合同会議」テレビ会議システムで行おうとしても、「会議後の飲み会ができない。直接会う機会こそ大事」という意見で、ブレーキがかかっていた。その意見ももっともであるが、「テレワーク」が求められ、否応なくテレビ会議の利用が増えた。
 コロナ禍が落ち着いてきた今でも、「県境を越える」ことに自粛が求められ、「夜の飲食」もはばかられている。さらに、大きな方向として、特に若年層において「会議後の飲み会(特に「えらい人」と若手が一緒に行く飲み会)」は敬遠される傾向にある。

 特に、大規模の講演会は、のきなみオンラインになると予想する。先ず、会場を事前に抑える必要がない。会場費がほぼ必要ない。「参加者が少ないと赤字になる」などとビクビクしないでよい。中止しても、会場費のキャンセル料は発生しない。参加者の場所が制約にならない、北海道からでも、沖縄からでも、海外からでも、参加者を募ることができる。交通費のことを考えると、参加者としては、参加費が少々高くなっても経済的になりたつ。行き来に多くの時間を割いて、場合によっては泊りがけでいっていたものが、実質、その時間帯だけの拘束だけですむ。
 「リアル会議」と「オンライン会議」を比較すると、回数ベースでは、「リアル会議」の数は多いままであろうが、人数ベースでいえば、「オンライン会議」のウエイトは、どんどん高まると思う。

 技術の進歩、「付合い文化」の変質に、コロナ禍の原動力が加われ加速された「(2)オンライン・画像有会議」は、コロナ禍が収束しても、その利便性の故に増え続け、元には戻らないだろう。

 続く

<出典> なし。オリジナル