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このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2021年6月30日水曜日

(2381) 子どもの行動から学ぶ。ゴールに近づけば駆け出す「目標勾配」

 【 こどもの行動 ・ 目標勾配 】角を曲がると入り口が見えてきました。みんな、少しはや足になっています。先生が「急がないで」と声を掛けます。1人の子どもが駆け出してしまいました。「目標勾配」:対象までの距離が生み出す心理的な勾配


 楽しみにしていた遠足の話です。みんなで公園に行くのです。バスを降りて並んで公園に向かって歩いてゆきます。角を曲がると入り口が見えてきました。みんな、少しはや足になっています。先生が「急がないで」と声を掛けます。1人の子どもが駆け出してしまいました。「あー」という声があちこちで起き、何人かが追随します。

 ゆうちゃんもよく分からずに駆け出し、入り口まで行きました。最初はみんなと普通に歩いていたのに、どうして走り出してしまったのでしょうか?

 「目標勾配」という現象があります。目標までの距離が近くなれば近くなるほど、その対象に到達したいという気持ちが強くなり、より早く対象に近づこうという行動に出ます。

 このような対象までの距離が生み出す心理的な勾配は、「いやだなあ」というマイナス面でも働きます。遠足やおでかけは待ち遠しいが、みんなの前での発表会などはマイナスの例でしょうか。その日が近づけば近づくほど、どんどん緊張が高まり、気持ちがブルーになってしまうのです。

 このような目標に対する心理的な意味付けの強化は、距離や時間的なものだけでなく、最初はたくさんあった目標がどんどん少なくなり、それを手に入れるチャンスが減ってきたときにもみられます。限られた座席をじゃんけんで選ぶような場合には、負けるたびに座席への心理的な価値が高くなってゆきます。

 

<出典>

子どもの行動から学べること / ゴールに近づけば駆け出す「目標勾配」

【子ども点描】 産経新聞(2021/06/17)

https://www.sankei.com/article/20210628-3VMF5FAZO5INLOFUFHABT4G3EU/



2021年6月29日火曜日

(2380) 病床数が多いが、病床が逼迫する日本 / コロナ 直言 (9)

 【 コロナ ・ 病床逼迫 】 日本は人口千人当たりの病床数が経済協力開発機構(OECD)の統計では1位。米英に比べて4~5倍のベッド数がある。4~5倍のベッド数があって感染者数は米英の1割未満。それでなぜ、病床が逼迫するのか。


 そもそも日本は人口千人当たりの病床数が経済協力開発機構(OECD)の統計では1位。米英に比べて4~5倍のベッド数がある。4~5倍のベッド数があって感染者数は米英の1割未満。それでなぜ、病床が逼迫するのか。

 なぜ病床確保が進まないのか。結論から言うと、国と都道府県が責任を果たしていないだけだ。

 医療法7条の規定上、知事には病院の許認可権があり、民間病院も含めてベッド数を決めることができる。ところが、医療行政は医師会主導になっている。国と都道府県は本来有している医療権限を事実上、行使できずにいる。医師会に気を使う国、国に気を使う県。そういう両すくみの構造の中で、全国の知事は「(権限の行使が)できない」と思い込んでいる。まさに「ノミの天井」。本当は高く飛べるのに、天井を作られてそこまでしか飛べなくなると、本来持っている能力も発揮できなくなってしまう。

 

 以上は、泉房穂氏の主張だが、私(=藤波)は、少し違うと思う。

 日本医師会、自治体、国、各々反省すべきところがありそうだが、泉房穂氏が、現明石市長として、自治体からの立場に特化して分析しているのは、よいと思う。泉房穂氏は、「病院の許認可権があるということは、言い換えれば作ることも潰すこともできる、となる。病床確保は形の上では知事からの「お願い」。「潰す」とはあえて言わない。権限というのは、使わずして行使できる状況下において、相手に自分の望みに対する理解を得ていく手段だ。私が知事であればベッド数で(病院側と)交渉する。知事は背景に権限がある中で基本的に頭を下げつつ、人的、金銭的支援を持ち出して交渉すべきだ。」と言う。

 いかにも泉氏らしく、強引だ。病院の許認可権と病院にコロナ対応させるのとは別の権力だ。本当は、権力を行使しなくても、日本医師会が、使命感をもって自主的に対応してくれれば良いのだが、その見識も能力もないようだ。

 国といっても、行政でできることは限りがあるので、ここで動かねばならないのは、立法だろう。与党ができなくても野党が動けばよいが、批判ばかりして建設的な動きはできていない。折角の政権奪取のチャンスなのに、手を打てない。

 情けないところばかりなので、自治体がなんとかするしかない、と結論付けるなら、実は、泉氏の慧眼なのかもしれない。

 

タイトルの違い

 新聞のタイトルは、「病床確保 知事は権限使え」

 同じ記事の、インターネットでのタイトルは、「知事のコロナ対応「ノミの天井」」

 その記事を元に私が書いたブログのタイトルは、「病床数が多いが、病床が逼迫する日本」

注目するところが違うと、同じ記事からでも、タイトルは別になる。

 

<出典>

泉房穂(兵庫県明石市長)、(9)病床確保 知事は権限使え

【コロナ直言】 産経新聞(2021/06/17)

https://www.sankei.com/article/20210616-UGYWE35HNFPONDXLDOWI4XOBDM/



(2379) 日常に小福を見つける。「ほとほど」に感じる幸せ

 【 小福 ・ 群ようこ 】 辞書には「小福」という言葉は出てこないが、興味深い。〈成功+ときどき大失敗=小さな幸福〉だ。〈成功=大きな幸福〉のみを目指す人生には挫折が伴う。そこを乗り越えるのが「小福」。群ようこ『小福ときどき災難』


 だれの人生にも大小の災難がつきまとう。そうした災難からうまく身をかわせたときに得られるほっとした気持ちを小福(こふく)と呼ぶのだろう。軽妙な語り口の文体で多くのファンを持つ、作家で随筆家・群ようこ氏の最新エッセイ集からは〈成功+ときどき大失敗=小さな幸福〉が読み取れる。

 

――新型コロナウイルス流行のいま、今作のテーマ「小福」は見つかりましたか

 「基本的にずっと家にいて仕事をしていますし、もともと外に出るのがあまり好きではないのです。人間の醜い部分に呆れていた分、散歩をしていてネコと出合ったり、メジロ、ヒヨドリ、スズメなど愛らしい鳥や動物たちに遭遇したりして、小福をもらっています」

 

――災難を避けて小福を得るための、日常の心構えがあるとしたら

 「天災に関しては自分で最低限の準備をしておくしかないですね。人生には災難がつきものなので、落ち着いて対処をすればいいのではないでしょうか。私の場合は、困ったときには友人が助けてくれましたので、そういった人間関係を培っていることも大切だと思います。ふだんから日常の小さな楽しみを見つけられる人は、あまり悲観的にはならないような気がします」

 

――群さんにとって、幸せとは

 「身の丈に合った家賃の部屋に住んで、家でも着物を着て、ほどほどに仕事をいただき、3カ月に一度くらい外食をして、ベランダに鳥が飛んできて、散歩の途中で出合ったネコと遊んで、ほどほどに健康だと最高ですね」

 

<出典>

人生に災難はつきもの 準備と人間関係が大切 作家・群ようこさん『小福ときどき災難』

【BOOK】産経新聞(2021/06/23)

https://www.zakzak.co.jp/lif/news/210613/lin2106130004-n1.html



2021年6月27日日曜日

(2378) 何故、周庭氏を釈放したのか ~ 何のデメリットもないのだ。

 【 周庭氏・ 釈放 】中国は周氏について「模範囚」という言い方で刑期を短縮している。周氏が「中国の模範」になっているということで、中国共産党の正統性を認めたから外へ出したということだ。周氏はしばらく、何の発言もしないだろう。


 中国の習近平国家主席は最近、「愛すべき中国のイメージ」をつくるため対外発信を強化するよう大号令を発した。外交などでの高圧的な印象を払拭する目的と思われるが、同じタイミングで周庭氏を釈放した。私(=上久保誠人氏)は、中国が何らかの形で釈放のカードを切ると予測したがその通りとなった。

 

 中国は周氏について「模範囚」という言い方で刑期を短縮している。周氏が「中国の模範」になっているということで、中国共産党の正統性を認めたから外へ出したということだ。

 周氏と同じ若者の民主活動家で、黄之鋒(ジョシュァ・ウオン)氏は拘束されたままだが、中国の言うことをきかないから、釈放されないのだろう。

 

 国は周氏釈放で何かを得ようとまでは考えていない。しかし、周氏はしばらく、何の発言もしないだろうから、これが香港市民や日本を含めた国際社会に牽制球となり、いろいろなことを考えさせる。中国はその効果を使うだろう。

 … 沈黙の周氏が民主化運動によいことになるとは思えず、悪い影響を与える。中国政府にしてみれば、釈放には何のデメリットもないのだ。

 

<出典>

上久保誠人、釈放の周庭氏沈黙 国際社会に牽制球

産経新聞(2021/06/24)



2021年6月26日土曜日

(2377) ボーヴォワール『老い』(1-2) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】老いだけはすべての人に訪れる。かつて老人を差別していた若者たちも、必ずみんな老いる。カテゴリー上の移行とアイデンティティの変更が、すべての人に強いられる。一方、健常者が障碍者になる確率は低い。


第1回  628日放送/ 30日再放送

  タイトル: 老いは不意打ちである

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)  老いとは何か

(2)  当事者として書く

(3) 「ボーヴォワールって、もう老女なのね!」

(4)  心は体に追いつかない

 

(5)  他者差別、自己差別

(6)  老いと自己否定のイメージ

(7)  男の老いと女の老い

(8)  女の老いには利点がある?

(9)  まずは現実を見よ

 

【展開】

(1)  老いとは何か

(2)  当事者として書く

(3) 「ボーヴォワールって、もう老女なのね!」

(4)  心は体に追いつかない

 以上は、既に書きました。

 

(5)  他者差別、自己差別

 高齢者の否定的アイデンティティは、実は差別意識とも関係しています。わたし(=解説者)は「加齢という現象は、すべての人が中途障害者になることだ」と言っています。

 中途障害者と先天的障害者の決定的な違いは、前者には障害がなかったときの自分の記憶があることです。そうすると、中途障害者になった人は、他人から差別を受ける前に自分自身を否定するのです。「ふがいない、情けないわたし」と。これを自己差別と言いますが、第三者による差別より、自己差別はもっと厳しくつらいものです。

 

(6)  老いと自己否定のイメージ

 高齢者の自己否定感がいかに強いものであるか。ボーヴォワールは、老いに対する自己否定的なイメージを、古今東西の文献から膨大に集めています。

 作家のヘミングウェイは、年をとって仕事ができなくなったら死んだも同じだと言っている。フランスの哲学者モンテーニュも、老いが豊饒をもたらすという見方を否定します。

 老いを徹底的にネガティブなものとして、老人が自己否認してきました。だから自分が老いたとき、人びとは自分が蔑視した当の対象になることを受け入れられないのです。

 

(7)  男の老いと女の老い

 ボーヴォワールは、老いの自認には男女で違いがあることを指摘しています。

 まず、老いは男性よりも女性にとってより受け入れづらいと語ります。女性にとっては若さこそが価値だと思われ、高齢女性のほうがより否定的な存在だとみなされてきました。

 また、女性に年齢を聞くのは失礼なことであるとされているのは、加齢というものが女らしさの死を意味したからです。男の色情の対象でなくなり、男の保護を失った後も長く生きなければならないとなれば、女にとって年齢は恐怖の対象ですらあったでしょう。

 

(8)  女の老いには利点がある?

 日本の女性にも加齢群怖症の人が多いですね。アンチエイジングが巨大なマーケットをつくり、「美魔女」などと呼ばれる人たちが人気を集める理由です。

 実は、女にとって老いは両義的です。つまり、老いは苦しみではなく解放にもなりえます。ボーヴォワールは、女が晩年に夫と子どもから解放され、「やっと自分自身のことに配慮できる身となる」例として、「きわめて厳格に生活を規制されている日本の上・中流階級の婦人」が、熟年離婚をして「しばしば若やいだ老いを享受する」ことを挙げています。

 

(9)  まずは現実を見よ

 わたしたちは、衰えに目をつぶってひたすら若く明るくいようとする前に、しつかりと目を開けて、「ガラスに映ったこのおばあさんは誰? ほかならぬこのわたしよ―」と認めなければなりません。老いは他者の経験だと言うけれど、その他者とは自分自身なのです。現実を否認せず、老いを受容する必要があります。

 老いは衰えではありますが、だからといってみじめではありません。老いをみじめにするのは、そう取り扱う社会の側です。

 

 

<出典>

上野千鶴子(2021/7)、ボーヴォワール『老い』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年6月25日金曜日

(2376) ボーヴォワール 『 老い 』(1-1) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】ボーヴォワールは、当時の 老年学 の最先端の研究成果を取り込みつつ、生物学、民族学、人類学、社会学、経済学、哲学、文学、心理学など、実に幅広い分野の書物やデータを渉猟しています。


第1回  628日放送/ 630日再放送

  タイトル: 老いは不意打ちである

 

 

【テキストの項目】

(1)  老いとは何か

(2)  当事者として書く

(3) 「ボーヴォワールって、もう老女なのね!」

(4)  心は体に追いつかない

 

(5)  他者差別、自己差別

(6)  老いと自己否定のイメージ

(7)  男の老いと女の老い

(8)  女の老いには利点がある?

(9)  まずは現実を見よ

 

【展開】

(1)  老いとは何か

 向老期は大変長くなりました。青年期よりはるかに長く、実は青年期と同じようにアイデンティティの危機は起きています。それだけでなく、子どもから大人への移行は一般に歓迎されるものであるのに対して、大人から老人への移行は歓迎したくない変化です。

 この深い危機とはどのようなもので、いかなる理由から引き起こされるのか。そうした向老期の問題を、個人の問題と考えず、わたしたちの文明の問題と捉えて真正面から向き合ったのが、ボーヴォワールの『老い』という著作でした。

 

(2)  当事者として書く

 ボーヴォワールは『第二の性』で二十世紀後半のフェミニズムに大きな影響を与えました。『第二の性』を貫いているのは当事者性です。そのボーヴォワールが60歳を超え、今度は老いてゆく当事者として書いたのが『老い』です。

 『老い』は邦訳で二段組の上下巻、総ページ数は七百超という大著です。全体は二部構成で、第一部では、老いというものが客体としてどう捉えられてきたかが記述され、第二部では、老いが主体によってどのように経験されてきたかが語られます。

 

(3) 「ボーヴォワールって、もう老女なのね!」

 ボーヴォワールはゲーテの言葉を引いています。「老齢はわれわれを不意に捉える」。例えば、ボーヴォワールは50歳のとき、こんなアメリカ人女子学生の発言を知って、愕然としたと言います。「じゃ、ボーヴォワ‐ルって、もう老女(ババア)なのね!」。

 老いはたいてい「他者の経験」としてやってくる。その他者とは、自分よりも先に自分の老いを認識する「周囲の人びと」であり、それを受け入れられない自分にとっての「内なる他者」なのです。同窓会で久しぶりに会った「じいさん」は、自分と同い年なのです。

 

(4)  心は体に追いつかない

 発達の四つの次元は、生理的(肉体の老い)、社会的(例えば定年)、文化的(例えばおじいちゃんになる)、心理的。生理的な老いから始まり、もっとも遅れるのが心理的老いです。

 哲学者の吉本隆明は、老いについて「生理が強いる成熟」と語ったことがあります。実際には何ひとつ成熟していないのに、肉体的な衰えが自分に強いる変化があります。

 心理的な老いは他の次元の老いに追いつかない。そのため自分に対する認識にズレが生じる。そこに、自己同一性の喪失であるアイデンティティの危機が起きるのです。

 

 以下は、後に書きます。

(5)  他者差別、自己差別

(6)  老いと自己否定のイメージ

(7)  男の老いと女の老い

(8)  女の老いには利点がある?

(9)  まずは現実を見よ

 

<出典>

上野千鶴子(2021/7)、ボーヴォワール『老い』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年6月24日木曜日

(2375) 男は人前で、女は気を許した相手に話が長い/男と女の違い(33)

 【 読書 ・男と女の違い 】男と女では、「話を聞いてほしい」と感じる相手が違います。他人から尊敬されたい男は、人前で話が長い。身内に共感されたい女は、気を許した相手に話が長い。男の話には感心して、女の話には共感して、聞こう。


夫婦の会話

 

A)     ここが違う

男:男は人前で話が長い

女:女は気を許した相手に話が長い

 

B)     円満な夫婦の会話の基本フレーズ

男から女へ: そうだよね、わかるよ。 …確かに

女から男へ: そうなんだ、よかったね!

 

【展開】

 男と女では、「話を聞いてほしい」と感じる相手が違います。また、望むところも違います。男は他人から尊敬されたい、女は身内に共感されたい。

 

A)     ここが違う

男:男は人前で話が長い

 男性が話を聞いてほしいと感じる相手は「他人」です。

 男性は「世界に認めてもらいたい」「より多くの人に影響力を与えたい」「尊敬されたいという欲求があるため、人前で話す機会を与えられると、どうしても話が長くなります。特に自分の得意分野、仕事に関わる専門分野の話だと、長くなる傾向にあります。大勢を前にした男性のスピーチは、結局のところほとんどが自慢だといってもいいでしょう。

 一見「話したがり」の男ですが、妻の前では一転、非常に無口になります。家ではリラックスしたいと考えているため、おしゃべりをするエネルギー自体を節約するのです。

 

女:女は気を許した相手に話が長い

 いっぽう、女性が話を聞いてもらいたい相手は「身内」です。女はおしゃべり自体が好きですし、話すことで「ストレスを解消したい」「共感し合いたい」と思っています。

 そのため、夫や子ども、親しい女友達など、気を許した相手ほど長話をする傾向にあります。逆に、人前できちんと目的を持ってプレゼンやスピーチをするのは、不慣れなことが多いようです。

 

B)     円満な夫婦の会話の基本フレーズ

 

男から女へ: … そうだよね、わかるよ。 …確かに

 基本スタンスは味方になって共感。すべての語尾に「よね」をつけるだけで、共感してるっぽく聞こえます。アドバイスしたいときには「~っていう手もあるよね」と選択肢を提示。

 

女から男へ: そうなんだ、よかったね!

 基本スタンスは応援。「さすが」「すごい」を繰り返しすぎたときは、素直に感想を。アドバイスしたいときには「よくわからないけど、~~だったりするんじゃないかなあ」と遠回しに。

 

<出典>

五百田達成、『察しない男、説明しない女』、No.25



2021年6月23日水曜日

(2374) ボーヴォワール 『 老い 』(0) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】ボーヴォワールの主張は、つまるところ、老いは個人の問題ではなく社会の問題である、ということです。四つの視点:老いを自己否認するしくみ、さまざまな社会や職業別の老い、老いと性、老いの社会保障。


100de名著」 ボーヴォワール『老い』が、628()から始まります。Eテレ。

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

講師は、上野千鶴子(社会学者、東京大学名誉教授)

 

 

<全4回のシリーズ>  第1回目以外は、7

【はじめに】  老いてなにが悪い!

 

第1回  628日放送/ 30日再放送

  タイトル: 老いは不意打ちである

 

第2回  5日放送/ 7日再放送

  タイトル: 老いに直面した人びと

 

第3回  12日放送/ 14日再放送

  タイトル: 老いと性

 

第4回  19日放送/ 21日再放送

  タイトル: 役に立たなきゃ生きてちゃいかんのか!

 

 

【はじめに】  老いてなにが悪い!

 シモーヌ・ド・ボーヴオワール(190886)は、ジャン・ポール・サルトルと並び、戦後フランスにおいて実存主義の思想を掲げて活動した作家・哲学者です。代表作『第二の性』(1949)は、1960年代のウーマン・リブ以降のいわゆる第二波フェミニズム(第一波は十九世紀末からの婦人参政権運動)の先駆けとなった著作で、世界の女性たちに大きな影響を与えました。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節は、現在のジェンダー研究の最先端、すなわち、性差は運命でも単に生物学的なものでもなく、社会的に構築されるものである、という視点を先取りしていました。

 今回はボーヴオワールが『第二の性』の約20年後、62歳で発表した『老い』(1970)を取り上げることにしました。ヴォワールがこの本を書いた動機は、現代社会において老人は人間として扱われていない、老人の人間性が毀損されている、ということへの怒りでした。『老い』の序文では、変化の速い消費社会において老人は「廃品」として扱われていると言いました。

 『老い』は陰惨な本です。前向きに老いるヒントなどほとんど書いてありません。しかし同時に、全世界で高齢化率が上がり、高齢あるいは超高齢社会に突入した現在の老いの問題を先取りした、先駆的な本でもあります。

 ボーヴォワールの主張は、つまるところ、老いは個人の問題ではなく社会の問題である、ということです。今回は、老いを自己否認するしくみ、さまざまな社会や職業別の老い、老いと性、老いの社会保障という四つの視点から、みなさんとともに読んでいきたいと思います。

 

<出典>

上野千鶴子(2021/7)、ボーヴォワール『老い』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年6月22日火曜日

(2373) ボーヴォワール『老い』 / レイ・ブラッドベリ『華氏451度』

 【 読書 ・ 100de名著 】【来月予告】 ボーヴォワール 『 老い 』。老いは不意にあなたを捉える。なぜ老いを自覚することは難しいのか。 老人 が社会から 疎外 される根本理由とは。【投稿リスト】 レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』


【来月予告】 ボーヴォワール『老い』 / 100de名著

 

20217月号 (100de名著)    テキストは、6月21日発売予定(NHK出版)

ボーヴォワール『老い』。講師:上野千鶴子(社会学者、東京大学名誉教授)

 

老いは不意にあなたを捉える

 

見たくない、聞きたくない、考えたくない――。そんな「老い」の実態をあらゆる観点から論じ、従来のステレオンイプを次々と打ち砕いたボーヴォワールの主著。なぜ老いを自覚することは難しいのか。老人が社会から疎外される根本理由とは。老いを「文明のスキャンダル」と捉え直した画期的著作を明快に読みとく。

 

【投稿リスト】 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』

公式解説は、

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/110_kasi451/index.html

 

私が書いたのは、

 

(2346) レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』(0) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2346-451-0100de.html

 

(2347) レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』(1-1) 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2347-451-1-1-100de.html

 

(2349) レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』(1-2) 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2349-451-1-2-100de.html

 

(2354) レイ・ブラッドベリ『 華氏451度 』(2-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2354-451-2-1100de.html

 

(2356) レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(2-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2356-4512-2100de.html

 

(2361) レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(3-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2361-4513-1100de.html

 

(2363) レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(3-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2363-4513-2100de.html

 

(2368) レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(4-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2368-4514-1100de.html

 

(2369) レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(4-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2369-4514-2100de.html

 

(2370) レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(4-3) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2370-4514-3100de.html

 

<出典>

戸田山和久(2021/6)、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年6月21日月曜日

(2372) 令和3(2021)年 6月中旬 の 組織Blog リスト

 

【 組織Blog ・ 旬報 】 令和3(2021)年6月11~20日 組織Blogリスト (10件)


(K1503) 令和3(2021)年 6月上旬 個人Blog リスト

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1503-2021-blog.html

 

(K1504) 入院 をすると、人は「病人」になります。どんどん 機能低下

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1504.html

 

(K1505)「 認知症の語り 」(007)

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1505-007.html

 

(K1506) 介護職 よ、 議員 を目指せ!  政策 に 現場の声 反映を

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1506.html

 

(K1507) 認知症 になった 蛭子 さん(1) 週刊誌の連載など続けている

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1507-1.html

 

(K1508) ぼくはこの間財布を忘れた。お、来たな / 「 老人力 」(8)

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1508-8.html

 

(K1509) 認知症 になった 蛭子 さん(2) 認知症家族のための指南書

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1509-2.html

 

(K1510) 年金 の少ない方ほど知っておきたい ケアハウス

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1510.html

 

(K1511) 認知症 になった 蛭子 さん(3) ありのままを笑ってほしい

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/k1511-3.html

 

(K1512)「 認知症の語り 」(008)

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/06/K1512.html

 

 

なお、前回の紹介は、

(2362) 令和3(2021)年 6月上旬 の 組織Blog リスト

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/06/2362-2021-blog.html

2021年6月20日日曜日

(2371) 判断と責任、国に委ねるな / コロナ 直言 (8)

 【 コロナ ・ 直言 】新型コロナウイルスの ワクチン接種 が広がっている。中でも 和歌山県 は、65歳以上の高齢者向け接種率 が全国トップレベルとして注目された。和歌山の状況は県と市町村が 連携 し、対応してきた結果だ。

 コロナ対応では、国は法律を作って全体の秩序をみている。これに対し具体的措置の主体は都道府県だ。

 ところが知事会などでは、国に「基準を示せ」と求めるなど、判断を国に委ねるような議論がよく出てくる。 …それは望ましいことではない。知事が自分の判断で結論を出し、責任を取ればいい。

 国も知事に裁量権を持たせるべきだ。新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言や蔓延(まんえん)防止等重点措置では、知事が具体的な措置を執行することになっている。だが実際は、取るべき手段は国の基本的対処方針に書かれてしまっている。方針の範囲外のことをしようと思うと別途、国との協議が必要になる。国は大枠や最低限の範囲を示し、知事が実情に応じて対策を上乗せできるような運用が求められる。

 国と自治体はそれぞれ果たすべき役割がある。国は全体の秩序の構築と最適化に努め、自治体は自身の権限の下で具体的対応を指揮・命令する-。コロナ対応でお互いが担うべき役割を今一度、自覚しなければならない。

 

<出典>

仁坂吉伸(和歌山県知事)、(8)判断と責任 国に委ねるな

【コロナ直言】 産経新聞(2021/06/16)

https://www.sankei.com/article/20210615-2NMVLCWDGNNEPPDSWEUJL4CMWY/




(2370) レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(4-3) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】読書礼賛小説ではない。大事なのは本をどのように使うかということ。本より大切なのは、記憶し伝えること(本はその手段)と、それに基づく反省的思考です。この二つが失われると社会は愚者のパラダイスになります。


【 読書 ・ 100de名著 】

 

第4回  21日放送/ 23日再放送

  タイトル: 「記憶」と「記録」が人間を支える

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1) 「ドーヴァー海峡」朗読事件

(2)  文学の両義的な情動喚起力

(3)  ベイティーの反読書論再び

(4)  モンターグ、本と家とベイティーを焼く

(5)  ベイティーとは何者か

(6)  追跡のエンターテイメント化

(7)  モンターグの回心

(8)  追跡劇の結末

 

(9)  記憶の中の図書館

(10)      鏡工場を再生する?

(11)      黙示録的エンディング

(12)     『華氏451度』をどう読むべきか

 

【展開】

(1) 「ドーヴァー海峡」朗読事件

(2)  文学の両義的な情動喚起力

(3)  ベイティーの反読書論再び

(4)  モンターグ、本と家とベイティーを焼く

(5)  ベイティーとは何者か

(6)  追跡のエンターテイメント化

(7)  モンターグの回心

(8)  追跡劇の結末

 以上は、既に書きました。

 

(9)  記憶の中の図書館

 グレンジャーたちは、それぞれが自分の選んだ本を丸暗記して、本の代わりとなり、人類の記憶を保存し伝えようとしていました。 … 映画版では、ひとびとは覚えた本を必死に暗唱して忘れないよう努めています。雪の降り始めた湖畔で、記憶した本を忘れまいとして暗唱する老若男女が行き交っているのが映画のラストシーンです。

 … これまでずっと作品に暗い影を投げかけていた戦争がついに始まります。

 そして戦争がはじまり、その瞬間に終わった。

 たった一文(原文ではわずか九語)。時の流れが加速した社会では戦争も加速していて、都市は一瞬のうちに壊滅しました。

 

(10)      鏡工場を再生する?

 グレンジャーが奇妙なことを言い出しました。「さあ、まずは鏡工場をつくって、来年は鏡だけを生産するぞ。そしてじっくりのぞきこむんだ」。

 なぜ印刷工場ではなく鏡工場なのか。でも、ここまでお読みいただいたみなさんには、この寓意の趣旨は明らかでしょう。ひとが鏡に映して見ようとするものは、まず第一に自分自身の顔ですね。つまり、鏡は反省的思考の象徴。グレンジャーは、人類が文化を再生するには、本を復活させる前に、まず自分自身の姿をありのままにとらえなければいけない、人類が己を映し出し省みるための鏡が必要だ、と言っているわけです。自己破壊を免れるためには、自己理解を深めなければならない。

 

(11)      黙示録的エンディング

 《川の左右に生命の樹ありて十二種の實を結び、その賓は月毎に生じ、その樹の葉は諸国の民を醫すなり》

 そうだ、これを昼まで大事にとっておこう。昼のために……街に着いたときのために。

 これが『華氏451度』の締めくくりです。本作品は真夜中の暗闇で始まり、朝の陽光の中で終わります。まさに洞窟の比喩を原型とする作品にふさわしいエンディングでしょう。

 最後の引用は『ヨハネの黙示録』の最終章からのものです。思い切り単純化していえば、『ヨハネの黙示録』は、神の怒りによって悪い者たちがすべてむごたらしい仕方で全減し、正しい者たちだけが生き残って(復活して)新しい町をつくる話、として読まれてきました。

 

(12)     『華氏451度』をどう読むべきか

 グレンジャーたちの目的は、やはりただ単に本を保存することではないことが明らかになりました。必要なのは、人類が自分の姿を映して反省するための「鏡」であり、本も鏡の一つなのです。重要なのは本そのものではなく、本を鏡として行われる反省的思考と、それに基づく行為です。そうした人間の主体的な行為こそが、焚書に対する最大の抵抗である。それがこの小説の一番大切でポジティブなメッセージだと私(=解説者)は思います。

 現代社会において知性への信頼を取り戻し、「みんなで賢くなって、不幸から抜け出そう」という《啓蒙》の営みをどのようにして再び立ち上げることができるのか。この問いこそが、本書に描かれた「失敗した啓蒙家たち」があなたに託したろうそくの炎なのです。

 

<出典>

戸田山和久(2021/6)、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)