【 読書 ・ 100分de名著 】老いだけはすべての人に訪れる。かつて老人を差別していた若者たちも、必ずみんな老いる。カテゴリー上の移行とアイデンティティの変更が、すべての人に強いられる。一方、健常者が障碍者になる確率は低い。
第1回 6月28日放送/ 30日再放送
タイトル: 老いは不意打ちである
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1)
老いとは何か
(2)
当事者として書く
(3)
「ボーヴォワールって、もう老女なのね!」
(4)
心は体に追いつかない
(5)
他者差別、自己差別
(6)
老いと自己否定のイメージ
(7)
男の老いと女の老い
(8)
女の老いには利点がある?
(9)
まずは現実を見よ
【展開】
(1)
老いとは何か
(2)
当事者として書く
(3)
「ボーヴォワールって、もう老女なのね!」
(4)
心は体に追いつかない
以上は、既に書きました。
(5)
他者差別、自己差別
高齢者の否定的アイデンティティは、実は差別意識とも関係しています。わたし(=解説者)は「加齢という現象は、すべての人が中途障害者になることだ」と言っています。
中途障害者と先天的障害者の決定的な違いは、前者には障害がなかったときの自分の記憶があることです。そうすると、中途障害者になった人は、他人から差別を受ける前に自分自身を否定するのです。「ふがいない、情けないわたし」と。これを自己差別と言いますが、第三者による差別より、自己差別はもっと厳しくつらいものです。
(6)
老いと自己否定のイメージ
高齢者の自己否定感がいかに強いものであるか。ボーヴォワールは、老いに対する自己否定的なイメージを、古今東西の文献から膨大に集めています。
作家のヘミングウェイは、年をとって仕事ができなくなったら死んだも同じだと言っている。フランスの哲学者モンテーニュも、老いが豊饒をもたらすという見方を否定します。
老いを徹底的にネガティブなものとして、老人が自己否認してきました。だから自分が老いたとき、人びとは自分が蔑視した当の対象になることを受け入れられないのです。
(7)
男の老いと女の老い
ボーヴォワールは、老いの自認には男女で違いがあることを指摘しています。
まず、老いは男性よりも女性にとってより受け入れづらいと語ります。女性にとっては若さこそが価値だと思われ、高齢女性のほうがより否定的な存在だとみなされてきました。
また、女性に年齢を聞くのは失礼なことであるとされているのは、加齢というものが女らしさの死を意味したからです。男の色情の対象でなくなり、男の保護を失った後も長く生きなければならないとなれば、女にとって年齢は恐怖の対象ですらあったでしょう。
(8)
女の老いには利点がある?
日本の女性にも加齢群怖症の人が多いですね。アンチエイジングが巨大なマーケットをつくり、「美魔女」などと呼ばれる人たちが人気を集める理由です。
実は、女にとって老いは両義的です。つまり、老いは苦しみではなく解放にもなりえます。ボーヴォワールは、女が晩年に夫と子どもから解放され、「やっと自分自身のことに配慮できる身となる」例として、「きわめて厳格に生活を規制されている日本の上・中流階級の婦人」が、熟年離婚をして「しばしば若やいだ老いを享受する」ことを挙げています。
(9)
まずは現実を見よ
わたしたちは、衰えに目をつぶってひたすら若く明るくいようとする前に、しつかりと目を開けて、「ガラスに映ったこのおばあさんは誰?
ほかならぬこのわたしよ―」と認めなければなりません。老いは他者の経験だと言うけれど、その他者とは自分自身なのです。現実を否認せず、老いを受容する必要があります。
老いは衰えではありますが、だからといってみじめではありません。老いをみじめにするのは、そう取り扱う社会の側です。
<出典>
上野千鶴子(2021/7)、ボーヴォワール『老い』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)