人類はアフリカで生まれて、全世界に散らばっていった。自己主張の弱い人は、自己主張の強い人に絶えず辺境へ追いやられた。最後にたどり着いたのが日本で、太平洋があってもう先には行けない。自己主張の弱い人たちが溜まっていった。それが日本人だ。
すごく、納得した。
「日本人は自己主張が弱い。自己主張を強くしていかなければならない」。
半分 正しく、半分 間違っている。
日本国内では、自己主張の弱い人が多いので、弱い自己主張でも問題は少ない。逆に強い自己主張は疎まれ、生きにくくなることも多い。しかし、国外に向かうと、自己主張が強い人が多いので、自己主張しないといつも屈服させられる。下手をすると、民族ごと消滅する。この切り替えができない人が多い。「自己主張すべきときは自己主張する」ことができないと、いつも損をするし、存在自体も危うくなる。だから、自己主張する(自己主張できる)のが良い。その通りだと思う。
一方、自己主張を強くし、対外的に互角に戦う、あるいは、有利に立とうという戦略は、私は疑問に思う。「本来は自己主張が弱いが、頑張って強くなっている人」が、「本来自己主張の強い人」と「自己主張のフィールド」で戦って勝とうというのは、かなり無理がある。「自己主張を強くする」は、「負けないための戦略」であって、「勝つための戦略」ではない。
オリンピックを見よ。男子400mリレー、男子体操団体、男子及び女子の卓球、女子バトミントンなどで日本がメダルを取れたのは、「自己主張を弱くすることができる」からだと思う。自己主張を抑えての協調性は、日本人の武器だと思う。自己主張の強さは、団体としての力をそぐことがある。
「自己主張が強いのが良い」「自己主張が弱いのは悪い」ではない。悪いのは「自己主張すべき場面で、自己主張できない・しない」である。必要な時には自己主張してわが身を防衛し、反転して勝ちにいく。その時に必要なのは「自己主張を抑えての協調性・団結力」である。「勝つための戦略」の中心は、自己主張の弱さにある。この弱さを実現するのは、(自己主張の強い)他国の人にとって難しいだろう。
日本男子400mのバトンわたしを真似ようとして出来る国はないのではないか。しかし、一方、バトンわたしだけでは、金メダルは狙えないだろう。一人一人が9秒台で走れるようになること、ここには、自己主張の強さが必要だろう。
実に平凡な結論に至った。
「自己主張の強さと弱さとを兼ね持ち、それらを適切にコントロールする」
これは、オリンピックに通用するし、オリンピック以外にも通用するだろう。
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