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このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2018年7月23日月曜日

(1308)  心配性からの脱却

 
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(K0449)  人手不足の解消 (A)外国人労働者の受け入れ <少子高齢化>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0449-a.html
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 心配性の人がいる。何かをしたい、何かをしようとするのだが、心配で動けなくなってしまう。失敗したらどうしょう! トラブルに巻き込まれたらどうしよう! 誰かを傷つけてしまったらどうしよう!
 

===== 引用はじめ
 けれども、ある本を読んでからはそういう心配をしないようにしました。
 その本によると、何も起こってもいないことで悩むのが「心配」だというのです。架空の映像を心の中に作り、それを見てひとりで「大変!どうしよう!」と困っているのだそうです。ごもっともな話だと思い、それから私は、まだ起こっていないことで悩むのはやめ、実際に起こったことにだけ心を割くことにしました。すると、ずいぶん気持ちが楽になりました。
===== 引用おわり
 

要点をまとめると

   起こっていないことで悩むのはやめ、
   実際に起こったことにだけ心を割く
 



 以下、引用記事の趣旨から、離れていくが、、、
 
 心配性の人に「起こっていることを悩むのは、やめなさい」と言っても、それは無理だろう。悩むことをやめると、それによって何が起こるのかわからない。悩むことをやめること自体が心配を増やす。また心配することは、心配する痛みを和らげる効果もある。「心配の循環」から抜けるのは、なかなか難しい。心配は、どんどん増殖していく。
 


 解決方法は、居直って、勇気を振り絞って、ともかく「えいや!」と行動することである。
 
 行動すると、色々な問題が発生する。問題が発生すると、それを解決するために「②実際に起こったことにだけ心を割かざるを」得なくなり、「①起こっていないことで悩む」余裕がなくなってしまう。
 
 つまり、意志で「起こっていないことで悩む」のをやめるのではなく、「起こっていないことで悩め」なくなる。結果として“架空の映像を心の中に作り、それを見てひとりで「大変!どうしよう!」と困っている”ことが起こらなくなる。
 
 何かをすれば、必ずと言っていいように、トラブルが発生する。事前に悩んだところで、そのトラブルを完全には無くせないし、予期しないトラブルも発生するものだ。心配ばかりしているのでは、良いことは起こらない。
 
 心配のサイクルから、実行のサイクルへ移ると忙しくなってくる。忙しいと、心配しなくなる。その場その場で、その時の「今」に全力を集中して取り組むから、成功確率が高くなる。
 


<出典>
学童の帰り道が心配
【原坂一郎の子育て相談】 産経新聞(2018/07/11)
 
学童保育からの帰り道が心配
https://www.sankei.com/premium/news/180715/prm1807150010-n1.html

2018年7月22日日曜日

(1307)  「明治の50冊」(11)~(20)のリスト / 「明治の50冊」

 
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(K0448)  体を動かす認知トレーニング <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0448.html
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「明治の50冊」(11)(20)のリストを以下に示す。

上段は、私のBlogURL
下段は、新聞記事のURL
 
 

(1202)  (11) 北村透谷『楚囚之詩』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/04/1202-11-50.html
http://www.sankei.com/life/news/180326/lif1803260011-n1.html
 

(1210)  (12) 森鴎外「舞姫」 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/04/1210-12-50.html
http://www.sankei.com/life/news/180402/lif1804020012-n3.html
 

(1220)  (13) 西郷隆盛「南洲翁遺訓」 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/04/1220-13-50.html
https://www.sankei.com/life/news/180416/lif1804160011-n1.html
 

(1238)  (14) 三宅雪嶺『真善美日本人』『偽悪醜日本人』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1238-14-50.html
http://www.sankei.com/life/news/180423/lif1804230015-n1.html
 

(1246)  (15) 幸田露伴『五重塔』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1246-15-50.html
https://www.sankei.com/life/news/180514/lif1805140023-n1.html
 

(1255)  (16) 松原岩五郎『最暗黒の東京』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/05/1255-16-50.html
https://www.sankei.com/life/news/180521/lif1805210020-n1.html
 

(1265)  (17) 徳富蘇峰『吉田松陰』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/1265-17-50.html
https://www.sankei.com/life/news/180528/lif1805280014-n1.html
 

(1279)  (18) 志賀重昂『日本風景論』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/06/1279-18-50.html
https://www.sankei.com/life/news/180604/lif1806040013-n1.html
 

(1289)  (19) 内村鑑三『代表的日本人』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/07/1289-19-50.html
https://www.sankei.com/life/news/180618/lif1806180017-n1.html
 

(1303)  (20) 巖谷小波『日本昔噺』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.com/2018/07/1303-20-50.html
https://www.sankei.com/life/news/180625/lif1806250018-n1.html
 
 


  前回のリストは

(1198)  「明治の50冊」(1)(10)のリスト / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/04/1198-5011050.html

2018年7月21日土曜日

(1306) 「私」とは何か / 河合隼雄スペシャル(4-3) / 100分de名著

 
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(K0447)  個人Blog 7月中旬リスト <サイト紹介>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0447-blog.html
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第4回 23日放送/25日再放送

  タイトル: 「私」とは何か
 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 
 
【第4回の目次】

(1)   ユングか仏教か
(2)  「牧牛図」と「賢者の薔薇園」にみる東西の違い
(3)   私の知らないことに満ちた「私」
(4)  「かなしみ」の深みに身を置くということ
(5)  「1000の風」に寄せて


 今回の投稿は、(3)について

A)   「私」とは何か
B)    西洋の「私」、日本人にとっての「私」
C)   「華厳経」における「自性」
D)   「華厳経」における「縁起」
E)    形成する個性、発見する個性
F)    個人性と個別性
G)   「私の一生がその答の発見の過程である」
 

【展開】
 
A)   「私」とは何か

===== 引用はじめ
 日々、様々な物語に取り組み、様々なことを感じたり考えたりしている「私」とは何か――普段は特に気にすることもありませんが、「考えれば考えるほどわからない存在」であり、それは「私の知らないことに満ちている」、実は「大変な難物」です。
===== 引用おわり
 

B)    西洋の「私」、日本人にとっての「私」

===== 引用はじめ
 西洋で「私」という場合、それは私の「自我」とほぼ同義です。西洋の「私」は、他者とは明確に区別された、固定的なものとして捉えられています。
 一方、日本人にとっての「私」は、自他が浸透し合った、流動的なものではないかと著者は指摘します。
===== 引用おわり
 

C)   「華厳経」における「自性」

===== 引用はじめ
 「法華経」は、人間を含め、すべてのものに「自性(じしょう)」はないと説いています。自性とは、「それ自体の定まった本質」です。これに従えば、そもそも「私の本質」や「私の固有性」などないということになり、「私とは何か」という問い自体がナンセンスになります。
===== 引用おわり
 

D)   「華厳経」における「縁起」

===== 引用はじめ
 しかしながら、現実世界には区別があり、「私」も他の人とは明らかに異なる存在です。では、自性をもたず、何ら区別のないところに、いかにして独自性が生じてくるのか。「法華経」は、「縁起」といわれるように、すべてのもの・人には、他の一切のものが隠れた形で渾然と含まれていると説くのですが、そのうちのある要素が「有力」に、他の要素が「無力」になることで個性が生まれると説いています。
===== 引用おわり
 

E)    形成する個性、発見する個性

===== 引用はじめ
 個性は一定・不変ではありません。西洋ではこれを、自らの努力で形成しようとします。今の自分にないものや自分とは対立するものを取り入れ、統合して、豊かなものにしていくのが西洋でいうところの「個性化」です。
 しかし日本人の場合は、形成するというよりも「発見する」に近いといいます。自分でも気づかないうちに、自分の中の「無力」的要素が働きだし、「自然(じねん)」といわれるように、独自性の自然発生を「驚きつつ味わう」のであって、自分の意思と力で個性をつくり上げるという感じではない、ということです。
===== 引用おわり
 

F)    個人性と個別性

===== 引用はじめ
 このように、西洋と日本とで「個性」の意味するものが異なることを明示するため、著者は西洋の個性を「個人性(individuality)」、仏教的な考えに強い影響を受けた日本のそれを「個別性(eachness)」と呼んで区別しています。英語の「individual」は、これ以上分けることができないという意味で、一つの実体を指すのに対して、「each」は、個々の特徴や出来事であって、必ずしも実体ではないのです。
===== 引用おわり
 

G)   「私の一生がその答の発見の過程である」

===== 引用はじめ
 「私とは何かという問いに対する答えは、「私の一生がその答の発見の過程である」というのが適切だろうと結論しています。
 その意味で、ここで河合隼雄の一生(*)を例に考えてみるとおもしろいです。
===== 引用おわり
(*) 添付「河合隼雄の略歴」参照
 
 
例えば、

   京都大学理学部数学科に入学したが、ロールシャッハ・テストに夢中
   市立高校の数学教師となったが、生徒の相談にのることで心理学を学ぶ必要を感じた
   アメリカに留学してユング心理学に出会った。スイス・ユング研究所に留学
   日本神話に関する資格論文で日本人初のユング派分析家の資格を習得
   58歳でフルートのレッスンを再開
   日本箱庭療法学会を設立、日本臨床心理士資格認定協会を設立
   文化庁長官に就任
 
 どんどん、変わっている。
 


出典
河合俊雄(2018/7)、河合隼雄スペシャル、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付は、この本からの転載



2018年7月20日金曜日

(1305)  人を人たらしめる教育の不在

 
      最新投稿情報
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(K0446)  生活習慣改善で認知症ストップ 東大チーム調査 <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0446.html
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716日に、
(K0442)  老い学ぶ第2の義務教育 <自立>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0442.html
を書き込んだ。

これとは別のサイトへの書き込みだが、内容としては「姉妹編」である。
 

「第2の義務教育が必要だ」との認識は共通しているが、
上記サイトでは、対象が高齢者であるのに対して、
今回の対象者は、成人を迎える前の人たちである。
 


(1)  「人を大人たらしめる」ための「第二の義務教育」
(2)  「人を大人たらしめる」ものとして、価値観を重視する
(3)   若くして既に一廉(ひとかど)の『人物』であった人たち
(4)  「人間としての学問」「修己治人」
(5)   儒学・陽明学、プリンシプル
(6)  「子供を子供扱いしない教育」の大切さ
 


【展開】
 
(1)  「人を大人たらしめる」ための「第二の義務教育」
 
===== 引用はじめ
 今年6月、成人年齢を18歳に引き下げる改正民法が成立した。世界の趨勢(すうせい)は18歳成人であり自立と社会参加を促すために必要との判断だ。
 関連して巷(ちまた)で議論されたことは選挙権・成人式・飲酒・ローン契約の消費者トラブル・刑事罰といった問題だ。いずれも重要だが「人を大人たらしめる教育の不在」こそが最も重要な問題ではないか。
===== 引用おわり
 
 「成人を迎える前の人たち」を対象とした「第二の義務教育」は、さらに二つの分かれる
   「選挙権・成人式・飲酒・ローン契約の消費者トラブル・刑事罰といった問題」に対する「第二の義務教育」
   「人を大人たらしめる」ための「第二の教育」
 
 今回取り上げるのは②である。
 


(2)  「人を大人たらしめる」ものとして、価値観を重視する
 
 では、「人を大人たらしめる」ものは何か。木村は価値観を重視している。

===== 引用はじめ
 子供も大人も様々(さまざま)な直接間接の体験から情報を得て、自身の価値観を形成する。一日の大部分を過ごす学校で学んでいることは「知識の習得」が大半を占め、「精神を成熟させる学問」にはなっていない。家庭の時間の大半もバラエティー番組とワイドショー化したニュース番組、ネット情報とSNSでの会話に費やされると聞く。こうした時間や情報は、個々人の思考や行動に大きな影響を与える。18歳を成人とするのであれば、学校教育の在り方もメディアの在り方もその見直しが迫られよう
===== 引用おわり
 
 現在では、学校環境も家庭環境も、価値観を育てられるものになっていない。
 


(3)  若くして既に一廉(ひとかど)の『人物』であった人たち
 
 木村は、吉田松陰、橋本佐内を例に挙げる。

===== 引用はじめ
 例えば、吉田松陰は11歳の時に藩主毛利敬親に山鹿流兵学の兵法書「武教全書」を講義した。橋本左内は15歳の時に『啓発録』を著し、人として大切な「立志・振気・勉学・去稚心・択交友」の5つの価値観を説いた。
===== 引用おわり
 
 彼らが博学だということを言っているのではない。「その他、多くの幕末の志士たちも血気盛んだが、若くして既に一廉(ひとかど)の『人物』であったことが言動や著述からは感じ取られる」。
 


(4)  「人間としての学問」「修己治人」
 
 彼らにあって、現在の若者にないものは何か。「人間としての学問」「修己治人」だという。
 
===== 引用はじめ
 彼らが大人だったのは常に死と隣り合わせだったこともあろうが、「四書五経」を軸とした「人間としての学問」を修めていたからではないか。それは「修己治人の学」であり、まず自分自身が立派な人間となり、周囲に徳を広め人々を感化し家や国や世界を素晴らしいものにせんとの考えに貫かれている。
===== 引用おわり
 


(5)  儒学・陽明学、プリンシプル

 その基に、儒学・陽明学、プリンシプルがある。
 
===== 引用はじめ
 儒学・陽明学の思想は佐藤一斎の『言志四録』に凝縮され、幕末の志士たちをはじめ中村正直、新渡戸稲造、渋沢栄一らにも影響を与える。
 大切なプリンシプルは洋の東西を問わず共通する。『フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン)、『西国立志編(自助論)』(サミュエル・スマイルズ)(*)などは、明治の偉人や世界中の人々にも大きな影響を与えた。
===== 引用おわり

(*)
(1120)  (1)中村正直訳『西国立志編』 / 「明治の50冊」
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/01/1120-150.html
http://www.sankei.com/life/news/180108/lif1801080028-n1.html
 


(6)  「子供を子供扱いしない教育」の大切さ
 
 木村が実践教育から学んだことは、「子供を子供扱いしない教育」の大切さだ。
 
===== 引用はじめ
 私が10歳から15歳までの子供たちとの教育実践から学んだことは、「子供を子供扱いしない教育」の大切さだ。知識の暗記ではなく、プリンシプルを学び、時事問題に触れ、実社会を生きる大人たちの本気でごまかしのない言葉に触れることで、子供は大人に敬意と憧れを抱く。それが考えや意思を自分の言葉で臆せず語る力を育む。結果として子供たちの顔つきは明らかに変わる。自分の鑑となるような書物・人物との出会いが、子供たちの精神を鍛える。
===== 引用おわり
 
 
<出典>

木村貴志、人を大人たらしめる教育の不在
【解答乱麻】 産経新聞(2018/07/11)
 
成人年齢は18歳に引き下げられたものの…人を大人たらしめる教育の不在 バッカーズ寺子屋塾長・木村貴志
https://www.sankei.com/column/news/180711/clm1807110007-n1.html

2018年7月19日木曜日

(1304) 「牧牛図」と「賢者の薔薇園」 / 河合隼雄スペシャル(4-2) / 100分de名著


      最新投稿情報
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(K0445)  興味深い「異世代ホームシェア」 <現役時代・世代間交流><高齢期の住まい>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0445.html
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第4回 23日放送/25日再放送

  タイトル: 「私」とは何か
 

【第4回の目次】

(1)   ユングか仏教か
(2)  「牧牛図」と「賢者の薔薇園」にみる東西の違い
(3)   私の知らないことに満ちた「私」
(4)  「かなしみ」の深みに身を置くということ
(5)  「1000の風」に寄せて
 

 今回の投稿は、(2)について

A)    自己を探し求める
B)   「牧牛図」
C)   「賢者の薔薇園」
D)    共通点
E)    相違点
F)    段階的な変化を見逃さない眼と、不変のものを捉える眼
G)    頓悟と漸悟
 

【展開】

A)   自己を探し求める

 著者はまず、禅の教えを描いた「牧牛図」と、ユングが『転移の心理学』で取り上げた錬金術の図「賢者の薔薇園」を、自己を探し求める表現として比較している。
 

B)   「牧牛図」 … 添付図参照

 「牧牛図」とは、ごく単純化して説明すれば、一人の若者が牛を見つけ、手なずけてゆく様子に託して禅の修行の階梯を描いた十枚の連作画である。
 若者は描き手(あるいは、この絵を見ている人)の自我、牛は真の自己を表現しているので、若者と牛はユング心理学的には自我と自己との関係を示しているといえる。
 

C)   「賢者の薔薇園」 … 添付図参照

 「賢者の薔薇園」には、結ばれた王と王妃が死を迎え、魂が上昇・浄化されたあと再び回帰し、文字通り一体となって新生する過程が描かれている。
 この図はもともと、錬金術を説明するためのものだったが、ユングはここに、心理療法における人格の変容の過程が象徴的に現れているのではないかと考えた。
 

D)    共通点

   十枚の図である
   個性化の過程を読み取ることができる
   死を経て、絶後から再び蘇る展開をたどっていると解釈することができる
 

E)    相違点

   自我が描かれているか: 「牧牛図」には、若者の姿で自我が描き込まれているが、「賢者の薔薇園」では自我は図の外に独立してあり同図を観察している
   女性が登場するか: 「賢者の薔薇園」が男女の結合を主題にしているのに対し、「牧牛図」には女性が登場しない(不変の枠組みとして存在する円が母性的な包含性を示しているとも考えられる)
   どう展開するか: 「賢者の薔薇園」においてはドラマが段階を踏んで“直線”的に進行し、王と王妃はまったく新しいものに生まれ変わる。「牧牛図」にも段階的変化は見られるが、「図10で完結しているようでありながら、それは最初に返ってゆく」という、無限のループを予感させる
 

F)    段階的な変化を見逃さない眼と、不変のものを捉える眼

 心理療法においても、また、私たちが日常を生きる上でも、段階的な変化を見逃さない眼と、不変のものを捉える眼の両方が必要だが、後者がより難しい。
 進歩の図式を提供する直線的段階的な過程の理論「賢者の薔薇園」は受け入れやすい
 最初から最後までというよりは、そもそも始めとか終わりなどというものがなく、すべてがそのままで、全体としては不変という世界を、「牧牛図」は見せてくれる
 

G)    頓悟と漸悟

 「牧牛図」には、最初から悟りの可能性を示す「頓悟」と、徐々に悟りが開けていく「漸悟」との、二種類がある。心理療法においては ――― 頓悟を誤解して、なすべき努力を怠ったり、漸悟に取りつかれて、無用の「苦行」にはいりこみすぎると、それは問題になると思われる
 

出典

河合俊雄(2018/7)、河合隼雄スペシャル、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付写真は、この本からの転載



2018年7月18日水曜日

(1303)  (20) 巖谷小波『日本昔噺』 / 「明治の50冊」

 
      最新投稿情報
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(K0444) 「母さん、ごめん。」著者に聞く介護の実態 <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/07/k0444.html
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(1)  『日本昔噺』シリーズとは
(2)   子供が楽しめる純粋な読み物を目指した
(3)   ファンタジーがある
(4)   今も広く児童文学に受け継がれている書き方
 


【展開】
 
(1)  『日本昔噺』シリーズとは

===== 引用はじめ
 『日本(にっぽん)昔噺(むかしばなし)』シリーズは、日本で初めて昔話を子供のための読み物として書き換えた作品だ。作者の巖谷小波(いわや・さざなみ)は明治24年、日本初の創作児童文学『こがね丸』を、当時の新興出版社であった博文館から刊行している。

 「猿蟹合戦」「舌切雀」「物臭(ものぐさ)太郎」などを書き継いだシリーズは好評を博し、全12冊の予定が24冊になり、29年に完結した。
===== 引用おわり
 

(2)   子供が楽しめる純粋な読み物を目指した

===== 引用はじめ
 第1作「桃太郎」を27年に刊行した。坪内逍遥が書いた序文には、「寓意の明(あきらか)ならざるを咎(とが)むる勿(なか)れ」とある。
 当時、子供の読み物は分かりやすい教訓(寓意)が含まれるべきだという意識が強かった。そうした風潮の中、子供は子供らしくという考えから小波は、子供が楽しめる純粋な読み物を目指したのだ。
===== 引用おわり
 

(3)   ファンタジーがある

===== 引用はじめ
 常に現実の子供を見て、どんな話だったら楽しめるか考え続けた人だった。また、嘘らしい嘘、今でいうファンタジーを信じられる子は、将来、大きな理想を掲げられる子になると語っているのが、小波の素晴らしいところ。
===== 引用おわり
 

(4)   今も広く児童文学に受け継がれている書き方

===== 引用はじめ
 テンポよく話を進め、反復を用いてリズムを持たせ、擬態語や言葉遊びを駆使した「お伽式」の書き方は、今も広く児童文学に受け継がれている。
===== 引用おわり
 


【プロフィル】巖谷小波(いわや・さざなみ)
 明治3(1870)年、東京生まれ。本名・季雄(すえお)。20年、17歳で尾崎紅葉らの文学結社、硯友(けんゆう)社に入り、漣(さざなみ)山人(さんじん)の筆名で小説を発表。24年に博文館の少年文学シリーズの第1編として『こがね丸』を発表。「少年世界」など多くの子供向け雑誌の主筆を務めるかたわら、『日本昔噺』『日本お伽噺』『世界お伽噺』などのシリーズをまとめた。昭和8(1933)年、63歳で死去。
 


<引用>
巖谷小波「日本昔噺」 受け継がれる「お伽式」
【明治の50冊】(20) 産経新聞(2018/07/16)
 
(20)巖谷小波「日本昔噺」 受け継がれる「お伽式」
https://www.sankei.com/life/news/180625/lif1806250018-n1.html
(添付写真はこのサイトから転載)