画面の説明

このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2021年5月31日月曜日

(2351)「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら」(2)

 【 スティーブ ジョブズ ・ スピーチ 】 米スタンフォード大卒業式 ( 20056月 )にてジョブズ氏のスピーチ、「 3つ目の話は死についてです 」。「 そろそろ何かを変える必要がある 」というのは、変です。


 第二の疑問です。

 

===== 引用はじめ

 そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けています

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日の予定は、本当に私のやりたいことだろうか?」

それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くとそろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟ります。

===== 引用おわり

https://www.facebook.com/akiko.hino.779/posts/3923151167806214?__cft__[0]=AZVwNkS4exgeQM33nyN_yQ4KWBid4GPphE57n0-sojn_npVR9z6pwj1CBPWdamdG0ENAt_Ut6bTdU235gJqGGhB9Wx5NkSgU7DBXy0XyKtus9p2X3LMsGilLliyusEvk9yNLB2GU1C3pSePABLjtSBRjRVCkmP7GFM-5SdZ7zeznKw&__tn__=%2CO%2CP-R

 

 支離滅裂です。理屈からいうと、「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、」…「そろそろ何かを変える必要がある」というのは、変です。明日はもうないので、いまさら変えたところで…と、私は思ってしまいます。

 

 また、私が「もし今日が自分の人生最後の日だ」と知ったら、家族に何を伝えるかを考え、あとは、美味しいものを食べておきたいと思うことぐらいでしょうか。「そろそろ何かを変える必要がある」とは、考えないと思います。

 

===== 引用はじめ

 「ローマは一日にして成らず」とは、重要なことや大きな目標を成し遂げるためには時間がかかるということを伝えることわざです。

===== 引用おわり

https://biz.trans-suite.jp/19807

 

 スティーブ ジョブズは、いうまでもなく「今日のローマ」を築き上げた人であり、それは、多くの行為の連鎖の結果だと思います。明日どころか、一週間後、一か月後も一年後、数年後にどうありたいかを思い浮かべ、そのために、そこに至るまでに道筋を描き、それを実行してきた結果ではないか。

 

 私のこの考えを乗り越えないと、スティーブ・ジョブスがスピーチで伝えたかったことを理解できないようです。

 

===== 引用はじめ

 and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

===== 引用おわり

https://note.com/sangmin/n/n42a3c9683b92

 

 なお、ここでは、 “the last day”“day”が明示されます。これは、後に出てくる “today”と対比させる修辞的な用法で、正確さよりも、聞いて印象に残りやすい表現を優先させた、というのが私の解釈です。前回取り上げた文は、ジョブズ氏スピーチとは独立したもので、独立して訳すべきでしょう。



(2350) 「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら」(1)

 【 スティーブ ジョブズ ・ スピーチ 】 米スタンフォード大卒業式(20056月)にてジョブズ氏のスピーチ、「3つ目の話は死についてです」。「そうすれば、いずれ必ず間違いなくその通りになる日がくるだろう」は、変です。

 Facebook友達の日埜 昭子さんが、スティーブ ジョブズの言葉を紹介されました。有名で多くの人に感動を与えてきたものらしいのですが、私には、す~っとは入ってきませんでした。

https://www.facebook.com/akiko.hino.779/posts/3923151167806214?__cft__[0]=AZVwNkS4exgeQM33nyN_yQ4KWBid4GPphE57n0-sojn_npVR9z6pwj1CBPWdamdG0ENAt_Ut6bTdU235gJqGGhB9Wx5NkSgU7DBXy0XyKtus9p2X3LMsGilLliyusEvk9yNLB2GU1C3pSePABLjtSBRjRVCkmP7GFM-5SdZ7zeznKw&__tn__=%2CO%2CP-R

 

 まず、第一の疑問です。

 

===== 引用はじめ

私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。確かこうでした。

「来る日も来る日も これが人生最後の日と思って 生きるとしよう。

そうすれば、いずれ必ず間違いなくその通りになる日がくるだろう」

それは私に強烈な印象を与える言葉でした。

===== 引用おわり

 

 これを素直に読むと、「間違いなくその通りになる日」は、「これが人生最後の日」になるでしょう。人間は、いつか死ぬのだから「間違いなくその通りになる日(=人生最後の日)が来る」は、正しい。すると、「そうすれば」がおかしい。そうしようと、そうしまいと、「その通りになる日」は、絶対に来ます。

 

 原文は、

===== 引用はじめ

 When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me,

===== 引用おわり

https://note.com/sangmin/n/n42a3c9683b92

 

 調べてみると、ほとんどは「その通りになる」と和訳しています。私は、全部、間違っていると思います。それでは意味が通りません。

 

 “ you'll most certainly be right ”Google翻訳で訳すと「あなたはきっと正しい」になります。スティーブ・ジョブス演説も、こう訳すのが正しいでしょう。「来る日も来る日も これが人生最後の日と思って 生きる」のように生きるのは正しいといつの日かなる、と読むべきでしょう。

 

 また、「これが人生最後の日と思って」の部分の英語は、“it was your last”であって、“day”はありません。「これが人生最後だと思って」でしょう。実際、この後、ジョブズは、「1年前、私はがんと診断されました。 … 医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。」と語ります。ジョブズが体験したのは、一日でなく、半年でした。

 

 "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."は、奇妙な文です。現在形、過去形、未来形が入り混じっています。「あなたが今このように生きたら、将来その生き方が正しいだろうとわかるだろ」が骨格で、その生き方を仮定法過去で表したと、私は読みました。仮定法過去なので、本当は最後ではないという前提で文は書かれています。

 

 これで、この文については、私は、スッキリしました。



2021年5月29日土曜日

(2349) レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』(1-2) / 100分de名著

 【 読書 】ディストピア の典型的・模範的な住人である ミルドレッド と、そこからはみ出した「狂人」 クラリス 。開巻早々この二人が相次いで登場することで、この近未来世界の人々が生きる「地獄」の実相が鮮やかに浮き彫りになります。


第1回  531日放送/ 62日再放送

  タイトル: 本が燃やされるディストピア

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)    図書館での9日間

(2)    作品執筆の時代背景

(3)    「白紙」の主人公モンターグ

(4)    最初の教師--クラリス

(5)    クラリスのレッスン--「あなた幸福?」

(6)    白さ、月、ろうそく

 

(7)    妻は、死んだように生きている

(8)    機械と人間

(9)    テレビの中の「家族」

(10)   反省的思考が否定される社会

(11)   取り替え可能な存在

(12)   クラリスとミルドレッドの対比

 

【展開】

(1)    図書館での9日間

(2)    作品執筆の時代背景

(3)    「白紙」の主人公モンターグ

(4)    最初の教師--クラリス

(5)    クラリスのレッスン--「あなた幸福?」

(6)    白さ、月、ろうそく

 以上は、既に書きました。

 

(7)    妻は、死んだように生きている

 クラリスと別れ、帰宅したモンターグ。ミルドレッドが寝ている寝室に入っていくのですが、そこは闇と冷たさと死のイメージに満ちています。そのとき、モンターグはさきほどクラリスに問われたことの答えに気づきます。「おれは幸福じゃない」。

 冷たい自分のベッドにもぐり込もうとするモンターグの足に何かが当たりました。それは睡眠薬が入っていたはずの空き瓶。ベッドの上のミルドレッドは薬の飲みすぎで死にかけていました。死にかけの半屍体として登場する。生きていると同時に死んでいる。

 

(8)    機械と人間

 救急で駆け付けたオペレーター(医者)たちは体液を入れ替えることでミルドレッドを修理(治療)しました。人間は機械になっています。お風呂の排水口が詰まったらバキューム装置を携えた作業員が来て「はい、こんなのが取れましたよ」と直してくれた感じです。

 さて翌朝、目覚めると、前夜の記憶はすべてなくなっていました。自殺未遂をしたことや、そうしたくなるほどに空虚だったり悩んだりしていたことを、忘れている。ミルドレッドは修理されて新品になった。この社会では人生はいくらでもリセット可能なのです。

 

(9)    テレビの中の「家族」

 ミルドレッドのお気に入りはホームドラマ。それは双方向的に作られていて、視聴者が

ドラマの登場人物の一員になれる仕掛けになっています。

 テレビ壁に囲まれてドラマにバーチャル参加するミルドレッド。このシーンからは、彼らが暮らすディストピアの特徴が明らかになります。四つほど挙げてみましょう。

 一つは、テクノロジーに媒介されたコミュニケーションが優勢な社会だということ。

 第二に、バーチヤルな存在とのコミュニケーシヨンが優位な社会であるということ。

 

(10)   反省的思考が否定される社会

 第三の特徴は、すぐに答えを迫る社会だということ。立ち止まってゆっくり考えてはいけない。反省的思考ではなく、反射的思考が推奨されている社会なのです。

 質問にはすぐ答える。人が言ったことには直ちに反応する。いままさにそうなっていますよね。SNSでは、送られてきたメッセージに直ちに返事をしないと「マナー違反」と非難される。流れてきた情報に対して、よくよく事実を調べ、じっくり考えてから意見を言いましょう、なんてことは通じない。

 

(11)   取り替え可能な存在

 ディストピアの第四の特徴。この社会ではひとびとはみな取り替えのきく存在であること。他の誰がやっても構わない。誰でもいいのです。

 双方向テレビの中でミルドレッドに与えられるのは、誰でも演じられるような「役」であって、彼女は台本の空欄を埋めるだけの存在になっています。取り替えがきく役割です。

 冒頭の文「火を燃やすのは愉しかった」は、原文では「It was a pleasure to Burn」です。すべてのファイアマンの代理にすぎないモンターグの名前は、冒頭では出てこない。

 

(12)   クラリスとミルドレッドの対比

 クラリスとミルドレッドがきわめて対比的に描かれています。

 ミルドレッドが好きなものは、五〇年代の良きアメリカンライフの必需品です。高度消費社会に生きるマジョリティの戯画になっているのがミルドレッドです。

 一方クラリスは、ミルドレッドが好きなものはことごとく嫌いで、季節の香りを楽しみながら散歩をしたり、リアルな家族との団らんを夜中まで楽しんだりする。

 ディストピアの典型的・模範的な住人であるミルドレッドと、そこからはみ出した「狂人」クラリス。開巻早々この二人が相次いで登場します。

 

<出典>

戸田山和久(2021/6)、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、100de名著、NHKテキスト(


NHK出版)


(2348) 男は猪突猛進に働く 女は臨機応変に働く/男と女の違い(31)

【 読書 ・男と女の違い 】 仕事のクセ 。男は 猪突猛進 に働く、女は 臨機応変 に働く。一度決めたら失敗が見えていてもなかなか 意見を曲げない 男性上司 、一度決めたことを簡単に 何度もひっくり返す 女性上司 。 脳の構造 が違います。


仕事のクセ

 

A)     ここが違う

男: 男は猪突猛進に働く

女: 女は臨機応変に働く

 

B)     困っている相手をサポートしたいとき

男から女へ: とりあえず一旦進めてみようか

女から男へ: 状況を整理してみました

 

【展開】

A)     ここが違う

 何事に対しても、男は頑固で女は移り気です。

 一度決めたら失敗が見えていてもなかなか意見を曲げない男性上司に「融通が利かないな」と苦笑したり、一度決めたことを簡単に何度もひっくり返す女性上司に対して「もう、いい加減にしてくれ!」と言いたくなったり。

男は集中が上手、女は対応が上手

 

男: 男は猪突猛進に働く

 脳の構造上、男性はゴールに向かって一直線に進むのが得意です。右脳と左脳の連結が悪い分、脳の一部、またはどちらかの脳だけを使う傾向にあり、何か役割を与えると集中してそれに取り組みます。ビジネスでも、細かいことは気にせずに脇目もふらず「猪突猛進」することが多いようです。

 しかしいっぽうで、ルールやシステムなど「ゴール」が変わると対応できず、動揺するという弱点もあります。

 

女: 女は臨機応変に働く

 右脳と左脳の連結が良い女性の脳は、常に膨大な量の情報を同時進行で処理しています。悪く言えば「いつも気が散っている」状態で問題の本質を見失うこともありますが、よく言えば細かい部分にまでよく気がつきます。

 また、男性のように何かに集中する力は持ち合わせていませんが、切り替えが早く、新しいルールにすぐに馴染めるという長所があります。ビジネスでも、日標を設定せず「臨機応変」に対応するスタイルが得意です。

 

B)     困っている相手をサポートしたいとき

 

男から女へ: とりあえず一旦進めてみようか

 いろいろなことを考えすぎて身動き取れなくなっている相手には、「あとで変更してもいいので、とりあえず動かそう」と背中を押してあげましよう。

 

女から男へ: 状況を整理してみました

 視野が狭くなって袋小路に入り込んでいる相手には、状況を見渡す余裕を持ってもらうべく、関連資料をまとめておくと、「かゆいところに手が届く」と喜ばれます。

 

<出典>

五百田達成、『察しない男、説明しない女』、No.35



2021年5月27日木曜日

(2347) レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』(1-1) / 100分de名著

 【 読書 】主人公のガイ・モンターグは30歳、職業は禁じられた本を燃やす「ファイアマン」です。勤続10年、彼はこの仕事に大きな誇りと喜びを感じています。妻の名はミルドレッド。二人は社会が提供するモデルに完璧に適応している夫婦です。

第1回  531日放送/ 62日再放送

  タイトル: 本が燃やされるディストピア

 

【テキストの項目】

(1)  図書館での9日間

(2)  作品執筆の時代背景

(3) 「白紙」の主人公モンターグ

(4)  最初の教師--クラリス

(5)  クラリスのレッスン①--「あなた幸福?」

(6)  白さ、月、ろうそく

 

(7)  妻は、死んだように生きている

(8)  機械と人間

(9)  テレビの中の「家族」

(10)      反省的思考が否定される社会

(11)      取り替え可能な存在

(12)      クラリスとミルドレッドの対比

 

【展開】

(1)  図書館での9日間

 ブラッドベリはのちに『華氏451度』に発展する中編を書き始めます。近くにあるUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)内の図書館にバスで通い、地下のタイプ室にあるレンタルタイプライターで執筆することにします。焚書社会の話を図書館で書いたとは、何ともよくできたエピソードですね。そしてわずか九日後、ブラッドベリは中編「ファイアマン」を書き上げました。この中編をその後三年にわたって徐々にふくらませ、最終的には倍の長さにまで加筆して完成させたのが、『華氏451度』です。

 

(2)  作品執筆の時代背景

 この小説で描かれる「近未来社会」は、小説が執筆された1950年代のアメリカのパロディだといえます。では、どのような時代だったのでしょうか。四つの特徴を挙げます。

 一つは、ファシズムの記憶がまだ生々しい時代だということ

 第二は、冷戦と核兵器。アメリカが核兵器を独占していた時代が終わりました

 重要なのが三つ目、レツドパージ(赤狩り)。アメリカはパラノイア(偏執的)社会に

 第四は、社会がパラノイアックになる一方、大衆消費社会が本格化したのも50年代

 

(3) 「白紙」の主人公モンターグ

 舞台は24世紀のアメリカ。主人公のガイ・モンターグは30歳、職業は禁じられた本を燃やす「ファイアマン」です。勤続10年、彼はこの仕事に大きな誇りと喜びを感じています。妻の名はミルドレッド。二人は社会が提供するモデルに完璧に適応している夫婦です。

 モンターグは世の中の本当のありさまについて何も知らない、ある意味純粋無垢な人間です。つまり心は白い紙(タブラ・ラサ)。そこに物語の後半で彼を導く先生役フェーバー(ドイツの鉛筆メーカーの英語読み)が鉛筆でいろいろな知恵を書き込んでいきます。

 

(4)  最初の教師--クラリス

 この小説はモンターグの成長物語。教師との出会いを通じて「体制順応主義者の地獄」から脱出していきます。最初の先生は、クラリス・マクレランという17歳の少女です。

 クラリスは、初対面のモンターグを質問攻めにします。クラリスが発する問いにはある重要な特徴があります。一つは、すぐには答えられない問いであるということ。もう一つは、経験の記憶についての問いであること。「お月さまのなかに人が見える」。クラリスは、自然をよく観察し、簡単には答えられない問いについて絶えず考える人です。

 

(5)  クラリスのレッスン①--「あなた幸福?」

 別れ際、クラリスはモンターグに「あなた幸福?」と尋ねます。これは重要な問いです。「あなたの人生は幸福ですか?」という問いは、「本当の幸福とは何か」という問いにつながり、人を考えこませるからです。これが啓蒙の第一歩、というわけです。

 モンターグはそれまで、やりがいのある仕事で社会に貢献し、愛する(はずの)妻もいて、人生に自足していました。そんなモンターグに「果たして自分は幸福なのか?」という問いを植えつけたのですから、クラリスはすごい仕事をしたことになります。

 

(6)  白さ、月、ろうそく

 クラリスが登場するシーンでは「白さ」と「月」が何度も強調されます。「ミルクのように色自の顔」「月光に照らされて雪のようにかがやいている」。「クラリス」という名はclarity (明るさ、聡明さ)に通じます。クラリスはろうそくの光にもたとえられます。

 月やろうそくのやさしい光に、電気の人工的でヒステリックな光が対比されます。本作ではこのあとも、本を焼き尽くす火炎放射器の凶暴な光と、月やろうそくのやわらかな光の対比など、二種類の対照的な火()のイメージが繰り返し用いられていきます。

 

 以下は、後に書きます。

(7)  妻は、死んだように生きている

(8)  機械と人間

(9)  テレビの中の「家族」

(10)      反省的思考が否定される社会

(11)      取り替え可能な存在

(12)      クラリスとミルドレッドの対比

 

<出典>

戸田山和久(2021/6)、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年5月26日水曜日

(2346) レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』(0) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】 本を読む こと、 本を所有する ことが禁じられた 近未来世界 ( ディストピア )。本を持っていると、「ファイアマン」が駆けつけ、本を家ごと焼却してしまう。一人の ファイアマン の 成長と回心 の物語である

100de名著」 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』が、531()から始まります。

注意! 今回は変則で、531()から始まります。

Eテレ。

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

講師は、戸田山和久(名古屋大学大学院情報学研究科教授)

 

 

<全4回のシリーズ>  第1回は5月、第2~4回は6

【はじめに】  寓話としての『華氏451度』

 

第1回  531日放送/ 62日再放送

  タイトル: 本が燃やされるディストピア

 

第2回  7日放送/ 9日再放送

  タイトル: 本の中には何がある?

 

第3回  14日放送/ 16日再放送

  タイトル: 自発的に隷従するひとびと

 

第4回  21日放送/ 23日再放送

  タイトル: 「記憶」と「記録」が人間を支える

 

 

【はじめに】  寓話としての『華氏451度』

 本を読むこと、本を所有することが禁じられた近未来世界。本を持っていることが当局に知られると、「ファイアマン」が駆けつけ、本を家ごと焼却してしまう。そんな世界で誇りをもつて忠実に職務に励む一人のファイアマン、モンターグが、本を燃やす仕事とそれを必要とする社会のあり方に疑間を抱くようになり、しまいには社会を捨て、本を守り伝える人間として生きていくことを決意する。本作のタイトルになっている華氏451(摂氏233)は紙が自然発火する温度です。

 この小説はシリアスなSFというより、むしろ寓話だと考えてみたらどうでしょう。私とみなさんが生きている現代社会についてのたとえ話です

 

 執筆後半世紀以上を経たいまになって、あらためてこの小説を読むべき理由は二つ。

 ディストピア小説としての『華氏451度』は、意識して「いまと変わらない未来」を描こうとしています。「ディストピア」とは、「ユートピア(理想郷)」の反対語です。

 コミュニケーションの本質、歴史と記録、知識人と大衆、都市と自然、権力のしくみなど、多岐にわたる問題がごちゃ混ぜになって描かれています。すぐれた小説は、簡単には答えの出ない問いを読者に投げかけ、自分自身で考えることを促してくれるものでしょう。だからこそ読むべきなのです。

 

<出典>

戸田山和久(2021/6)、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年5月25日火曜日

(2345) レイ・ブラッドベリ 『 華氏451度 』/ 三島由紀夫 『 金閣寺 』

 【 読書 ・ 100de名著 】 【来月予告】レイ・ブラッドベリ『華氏451度』。本が燃やされる「 ディストビア 」は、 SFか、現実か。「現実」を鋭く風刺した予言的作品から今、受け取るべきメッセージとは。【投稿リスト】三島由紀夫『金閣寺』


【来月予告】 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』 / 100de名著

 20216月号 (100de名著)    テキストは、5月25日発売予定(NHK出版)

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』。講師:戸田山和久(名古屋大学大学院情報学研究科教授)

 本が燃やされる「ディストビア」は、SFか、現実か。

  読書が有害とされ、本を所持しているのが見つかると家ごと焼き払われてしまう全体主義的な近未来社会。人びとは仮想現実の世界に浸り、考えること、記憶することを放棄し刹那的に生きている。反知性主義が広がる「現実」を鋭く風刺した予言的作品から今、受け取るべきメッセージとは。科学哲学者の戸田山氏がラディカルに読み解く。

 

 

【投稿リスト】 三島由紀夫『金閣寺』

公式解説は、

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/109_kinkakuji/index.html

 

私が書いたのは、

 

(2318)  三島由紀夫『金閣寺』(0) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2318-0100de.html

 

(2319)  三島由紀夫『金閣寺』(1-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/04/2319-1-1100de.html

 

(2321)  三島由紀夫『金閣寺』(1-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2321-1-2100de.html

 

(2325)  三島由紀夫『金閣寺』(2-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2325-2-1100de.html

 

(2328)  三島由紀夫『金閣寺』(2-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2328-2-2100de.html

 

(2333)  三島由紀夫『金閣寺』(3-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2333-3-1100de.html

 

(2335)  三島由紀夫『金閣寺』(3-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2335-3-2100de.html

 

(2340)  三島由紀夫『金閣寺』(4-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2340-4-1100de.html

 

(2342)  三島由紀夫『金閣寺』(4-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/05/2342-4-2100de.html

 

<出典>

平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年5月24日月曜日

(2344) 照ノ富士の優勝インタビューが良かった

 【 照ノ富士 ・ 横綱 】 「横綱になりたいからと言ってなれるわけではないからこそ経験してみたい。今までどおりやってもだめだと思うので、これまで以上に努力していきたい」「横綱になれたらいいが、なれなかったらなれなかったでいい」

 苦労した人の言葉は違う。

 特に印象に残ったのが「横綱になれたらいいが、なれなかったらなれなかったでいい」。本当は、横綱になりたいのに決まっている。「なれなくても」いいわけがない。それなら「今までどおりやってもだめだと思うので、これまで以上に努力していきたい」なんて言わないはずだ。

 横綱になるが目標だが、横綱に至るまでの道のりに集中している。それが、成果を上げるためのすべてだろう。

 いくら努力しても、報われることが保証されない。それでも努力する。そうやって、序二段から這い上がってきたのだろう。 

===== 引用はじめ

 「平成31年の春場所には序二段にまで番付を下げました。大関経験者が幕下以下に陥落するのは昭和以降では初めてのことで、一時は引退も考えました」「それでも師匠の伊勢ヶ濱親方に説得されて思いとどまり、けがや病気の回復に伴って少しずつ稽古を再開し、再び番付を上げていきました。

===== 引用おわり

 

===== 引用はじめ

 次が「綱とり」の場所になることについては「横綱になりたいからと言ってなれるわけではないからこそ経験してみたい。今までどおりやってもだめだと思うので、これまで以上に努力していきたい」と力を込めました。

 その一方で「横綱になれたらいいが、なれなかったらなれなかったでいい」とも話し、いさぎよい言い回しに会場からは笑い声も聞こえていました。

===== 引用おわり

 

<出典>

2021523 1845分 NHK

大相撲夏場所 照ノ富士が優勝 貴景勝との決定戦制し2場所連続

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210523/k10013047261000.html



2021年5月23日日曜日

(2343) 「 強制力ある措置 」 切り札 に / コロナ 直言 (6)

【コロナ・直言】そもそも日本は基本的に 要請 レベルの対応しかできず、 強制力 のある切り札を現時点でも持っていない。要請だけで感染を抑えることができないのは明らかであり、要に応じて強制力を選択できる余地は持っておくべきだ

 《前回の宣言の全面解除(3月)に際し、政府は「リバウンドが懸念される」として、(1)飲食店の時短(2)変異株の監視体制強化(3)戦略的検査(4)安全、迅速なワクチン接種(5)医療体制強化-の感染防止対策5本柱を決定した》

  政府が示した5本柱は、対策の方向性については間違っていないと考える。ただし、それが打ち出されて約2カ月となる今、これらのうち、いくつ達成できただろうか。感染者数の推移を見ながら場当たり的に対策を行っても成果を上げることは難しく、犠牲が大きくなるだけである。これまで行ってきた対策の有効性を検証し、科学的な根拠をもって方針を決定すべきである。

  ワクチンの普及による感染の抑制までにはまだ時間を要する。今一度、長期的な視点に立ち、実効的な戦略を立て、着実に実行に移すことが必要である。

 <出典>

松本哲哉(国際医療福祉大大学院教授)、(6)「強制力ある措置」切り札 に

【コロナ直言】 産経新聞(2021/05/20)

https://www.sankei.com/life/news/210518/lif2105180043-n1.html



2021年5月22日土曜日

(2342) 三島由紀夫 『 金閣寺 』(4-2) / 100分de名著

 【 読書 】 『私の遍歴時代』には、この作品を書いた後に「何としてでも、生きなければならぬ」という思いが生まれたと書いてあります。その言葉が『金閣寺』の最後の一文として改めて記されている。これは三島自身の一つの決意表明でしょう


第4回  24日放送/ 26日再放送

  タイトル: 永遠を滅ぼすもの

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)    周到な準備と天の励まし

(2)    禅海和尚との対話

(3)    二元論を解消する理想の父性

(4)    虚無としての金閣

(5)    金閣放火

 

(6)    「生きようと私は思った」の意味

(7)    なぜ三島は溝口を生かしたのか

(8)    『鏡子の家』での挫折

(9)    三十代後半のトラブル、そして

(10)   終わらせられない人の声としての小説

 

【展開】

(1)    周到な準備と天の励まし

(2)    禅海和尚との対話

(3)    二元論を解消する理想の父性

(4)    虚無としての金閣

(5)    金閣放火

以上は、既に書きました。

 

(6)    「生きようと私は思った」の意味

 一度は炎に包まれて金閣と共に死のうと思ったが、拒まれたため、自分は外側から金閣が滅びるのを見た。行動で世界が変わる様を確認し、自分も変わった。そして自分は生きようと思った。これは、作者三島の中で象徴的に起きたことだと思います。

 このラストシーンは意味を二重化して読むことができるわけです。まず作者三島は、『金閣寺』を書くことによって象徴的に戦中の体験を否定した。そのことにより、実際に「生きようと私は思った」。三島は、この言葉通りの思いを抱いていたと僕(=解説者)は考えています。

 一方で主人公の溝口は、犯行後、一種の虚脱感に襲われています。「生きようと私は思った」という言葉は、決意表明にはほど遠く、つぶやきのようなニュアンスです。

 

(7)    なぜ三島は溝口を生かしたのか

 読者の中には、溝口も金閣と共に死んだ方が認識と行動が一致するのではないか、その方が小説として劇的ではないか、と思う人がいるかもしれません。確かに、溝口は金閣と共に死のうと試みています。しかし金閣にそれを拒まれ、共に滅ぶことはできませんでした。

 この展開も、三島の戦中体験と重なっていると僕(=解説者)は見ています。三島にとって軍隊から拒まれ、戦場で死ぬことができなかったという経験は大きかった。

 『金閣寺』で、溝口に死んでもらうことによって自分がポジティヴに生きていくという考え方もあつたかもしれません。しかし、三島自身が生きていこうと考えているなら、登場人物も生きているべきではないか。そんな発想があったようにも思えます。

 

(8)    『鏡子の家』での挫折

 三島は『金閣寺』執筆の14年後、45歳で自死します。そのきっかけとなったのが、三島が『金閣寺』の次に挑んだ長編小説『鏡子の家』(1959)だったのではないかと僕(=解説者)は推察します。三島が溝口に託して言った「生きようと私は思った」の意味を考える上でも外せない作品です。

 『鏡子の家』は、絶対者なき世界で人はどう生きていったらいいのかを、三島が具体的に考えようとした作品です。『金閣寺』と『鏡子の家』はその意味で対になる作品です。

 まさに芸術家としての実践であった『鏡子の家』ですが、文壇での評価は低いものでした。三島はこれに大変傷ついてしまうのです。

 

(9)    三十代後半のトラブル、そして

 30代後半にトラブルが続き、この時期は小説を書くのが嫌だった、作家としてもスランプに陥っていた、と後に三島自身が告白しています。

 そのスランプを脱するきっかけになったのが、昭和41(1966)年に刊行した『英霊の聲』でした。二・二六事件を起こした青年将校らの霊が自分たちを見捨てた天皇を切々と呪証し、特攻隊員の霊が戦後の人間天皇を批判するこの短編は好評を博しました。

 そこから三島の死に至るまでの経緯について、僕(=解説者)の基本的な考え方だけを述べておくと、三島の死は、彼個人の資質だけに帰すべきものではなく、ある時代を経験した人間としての死と捉えるべきだと思っています。

 

(10)   終わらせられない人の声としての小説

 『金閣寺』に描かれているのは、世界をニヒリズムとして認識する見方と、その上でどうやって生きればよいのかという問いです。周りの多くの人は現実に順応して生きているのに、自分だけがそこから疎外されているようで苦しい。それは、十代で経験した戦中的価値観をすべて否定されて二十歳で戦後社会に放り出された三島の苦しみでした。

 戦後派作家は、敗戦と共に突然我が世の春が来たかのように解放されて、一気に大きな顔をし出した。人間はそんなにすぐ変われるはずはない。引きずるはずのことを引きずっていない、そのことに対して三島は苛立ちに近い感情を持っていました。

 

<出典>

平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)