「物語の面白さ」もあるが、私には「物語の物語」が面白かった。
「言文一致の文体(ダ体)で書かれた日本の近代小説の始まりを告げた作品」(Wikipedia 『浮雲 (二葉亭四迷)』)と言われている。
誰もしなかったことに勇気をもって挑戦する「物語」に惹かれる。最初にすることは楽しくもあり、苦しくもある。
明治20年(1890年) 二葉亭四迷「浮雲」 口語体
明治23年(1893年) 森鴎外「舞姫」 文語体
明治35年(1905年) 夏目漱石「吾輩は猫である」 口語体
明治39年(1909年) 二葉亭四迷「其面影」 口語体。『浮雲』の次の作品
「 『其面影』(そのおもかげ)は、二葉亭四迷の小説。明治39年、『東京朝日新聞』連載。1890年に『浮雲』を発表したあと、しばらく小説から遠ざかっていた二葉亭の、久方ぶりの小説作品である。勤務する朝日新聞社の池辺三山の懇請によってかかれたものである」(Wikipedia 『其面影』)
明治20年に二葉亭四迷が、言文一致の画期的な「浮雲」を出したが、次の作品が19年後の明治39年「其面影」になったということは、言文一致が受け入れられなかったことを示すと思う。その4年前の明治35年に夏目漱石「吾輩は猫である」が出ている。
夏目漱石「吾輩は猫である」があったから二葉亭四迷「其面影」という形で復活したが、二葉亭四迷「浮雲」があったから夏目漱石「吾輩は猫である」があったのだろう。「其面影」も「吾輩は猫である」も朝日新聞に連載されたものであることが興味深い。
文語体の文は難しくごく一部の日本人しか読めなかった。言文一致になって多くの日本人が小説を楽しめるようになった。だから、単行本ではなく、新聞小説なのだろう。二作者のみならず、朝日新聞の功績も大きい。
さて、何故、言文一致は、受け入れられなかったのか。
・ 情緒が乏しくなる
・ 韻律を失う
・ 文章としての深みかなくなる
「翻訳で言文一致を試みた森鴎外も、「舞姫」や「即興詩人」では文語にもどしている」(Wikipedia 『言文一致』)。
確かに、森鴎外「舞姫」を原文と訳とで読み比べると、圧倒的に原文で読みたくなる。本ブログの『(570)「舞姫」(森鷗外)』で「エリスとの出会い」の場面を原文で紹介している。「高雅な文体と浪漫的な内容」と言われているが、それを追うには、原文が一番である。
二葉亭四迷も悩み、三遊亭圓朝から学んだそうである。
「初代三遊亭 圓朝は、三遊派の総帥、宗家。三遊派のみならず落語中興の祖として有名。敬意を込めて「大圓朝」という人もいる。二葉亭四迷が『浮雲』を書く際に圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼした、現代の日本語の祖でもある」(Wikipedia 『三遊亭圓朝』)
日本文化において、落語の占める役割は大きかった。
現実の世界をありのまま映す自然主義・自然描写、きめ細かな心理描写もあって、言文一致の「浮雲」が生き残ったのだろう。ただ単に「口語体で書いた」だけでは生き残らなかっただろう。
新しいことを始めると言うことは、本当に大変なことであり、同時に、本当にやりがいがある、苦労し甲斐があることだと、あらためて思った。
===== 「浮雲」あらすじ はじめ
内海文三は融通の利かない男である。とくに何かをしくじったわけでもないが役所を免職になってしまい、プライドの高さゆえに上司に頼み込んで復職願いを出すことができずに苦悶する。だが一方で要領のいい本田昇は出世し、一時は文三に気があった従妹のお勢の心は本田の方を向いていくようである。お勢の母親のお政からも愛想を尽かされる中、お勢の心変わりが信じられない文三は、本田やお勢について自分勝手に様々な思いを巡らしながらも、結局何もできないままである。
===== あらすじ おわり
Wikipedia 『浮雲 (二葉亭四迷)』
次回は、
ゴーリキイ「どん底」
【8月17日(水)22:00-23:00 放送】 BS朝日
(高校野球期間中は、高校野球中継が延長の場合、放送時間が変更または休止になる可能性があります。 放送時間の変更については、最新の番組表をご覧ください)
BS朝日「あらすじ名作劇場」
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