(2)
「権利擁護」と「穏便に」は鋭く対立する
(3)
「相手の権利に気付かない」が「権利擁護」を脅かす
(4)
「権利擁護」は勝ち取るものではなく、共に創りあげるものである
(1)
「権利擁護」は絶対正義ではない
ある人の権利を行使しようとすれば、他の人の権利を制限する可能性がある。
「権利擁護することは正しいことだ」と思い込むと、押しつけになる。常に「この権利擁護は、この現状において、適切か」というチェックが必要である。
ある一つの立場から見て適切であっても、全体から見て適切かどうかは分からない。違う立場からの意見を聞かねばならない。
(2)
「権利擁護」と「穏便に」は鋭く対立する
「権利擁護する」ということは、「権利擁護されていない状態」から「権利擁護されている状態」に変えようという働きかけなので、軋轢を生む。現実問題として、「権利擁護」も「穏便に」も大切だが、両立することが難しいこともある。
どちらに軸足を置くか。置いた軸足を状況にあわせて柔軟に変更できるか。「権利擁護する」ときは、「穏便に」進められるよう努力しなればならない。「穏便に」進めようとするときは、「権利擁護する」が不十分にならないよう注意しなければならない。
(3)
「相手の権利に気付」かないが「権利擁護」を脅かす
「相手の権利に気付かない」ために「権利擁護」できていないことが多い。「相手の権利に気付」けば、「穏便に」「権利擁護」できる可能性がでてくる。
「相手の権利に気付かない」まま放置すると、「権利が擁護」されなくなる。上手に伝えれば、「穏便に」「権利擁護」されるようになる。
(4)
「権利擁護」は勝ち取るものではなく、共に創りあげるものである
権利が正しく理解されれば、「権利擁護」はすべての人にとって好ましいことになる。
「権利擁護」を勝ち取っても、相手が理解・納得していないと後日反撃がきて、「擁護された権利」は危うくなる。
共に創りあげた「権利擁護」は、双方がそれを保持しようとするので、「権利擁護」が安定する。
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