※ この放送では、二つの作品が紹介された。一つ目のゴーリキイ「どん底」は、前回(607)取り上げた。
※ 浜田廣介「泣いた赤鬼」のあらすじは、後ろの方で紹介する。
なんとも優しい鬼たちである。
この鬼は、明らかに悪魔とはちがう。
日本の鬼には、良い鬼もいれば、悪い鬼もいる。
怖い鬼もいれば、ユーモラスな鬼もいる。
この「鬼」を「人間」に置き換えても、成立する。
鬼とは、閉鎖的な社会に入ってきた
異界の人ではないかと思う。
特に人種が違うと、
風貌が違うし、立ち居振る舞いも違うし、言葉も違うことがある。
人は、よく知らないもの(鬼)には、恐怖心をいだく。
しかし、よくよく付き合ってみると、
悪い鬼もいるし、良い鬼もいる。
このお話は、教科書に載っている。
読み込むと、非常に奥が深い。
===== 引用 はじめ
この作品は、国語の教材としても道徳の教材としても、心から友を思う友情・真の友情を主題としていると考えられている。そして、「互いに」とは言いつつ、むしろ青おにの、友情のために自己を犠牲にする行為の方に主眼が置かれているようである。
しかし、本稿ではこの作品の主題について再検討し、主人公は赤おにであること、青鬼の行為は善意から発したものであったが、真に赤おにの気持ちを理解したものではなかったことを明らかにした。
===== 引用 おわり
宮川久美(2014)、『小学校国語・道徳教材「泣いた赤おに」の主題についての検討』、奈良佐保短期大学研究紀要 第22号 2014年、P.1-12
「真に赤おにの気持ちを理解したものではなかった」に同意する。でも、こう書いてしまうと、あお鬼がかわいそうに思えてくる。複雑。
浜田廣介「泣いた赤鬼」
===== あらすじ はじめ
とある山の中に、一人の赤鬼が住んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っていた。そこで、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」という立て札を書き、家の前に立てておいた。
しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。赤鬼は非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、終いには腹を立て、せっかく立てた立て札を引き抜いてしまった。
一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が赤鬼の元を訪れる。赤鬼の話を聞いた青鬼はあることを考えた。それは、「青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば人間たちにも赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう」という策であった。これでは青鬼に申し訳ないと思う赤鬼だったが、青鬼は強引に赤鬼を連れ、人間達が住む村へと向かうのだった。
そしてついに作戦は実行された。青鬼が村の子供達を襲い、赤鬼が懸命に防ぎ助ける。作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るようになった。人間の友達が出来た赤鬼は毎日毎日遊び続け、充実した毎日を送る。
だが、赤鬼には一つ気になることがあった。それは、親友である青鬼があれから一度も遊びに来ないことであった。今村人と仲良く暮らせているのは青鬼のおかげであるので、赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにした。しかし、青鬼の家の戸は固く締まっており、戸の脇に貼り紙が貼ってあった。
それは「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。ぼくはどこまでも君の友達です」という青鬼からの置手紙であった。
赤鬼は黙ってそれを2度も3度も読み上げ、涙を流した。その後、赤鬼が青鬼と再会することはなかった。
===== あらすじ おわり
Wikipedia 『泣いた赤鬼』
「あらすじ名作劇場」次回は、
怪盗ルパン「奇巌城」
【8月24日(水)22:00-23:00 放送】 BS朝日
BS朝日「あらすじ名作劇場」
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