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2016年8月5日金曜日

(590)  男性には、愛は必要ないのか?


 前回は、

「女性には、やはり愛が必要なのか?」という問いかけに対して、

私は、この答には関心がない。私が関心を持ったのは、
(1)   「女性には、何故愛が必要なのか?」
(2)   「男性には、愛は必要ないのか?」

だとして、

 
(1)   「女性には、何故愛が必要なのか?」
について書いた。

 
今回は、
(2)   「男性には、愛は必要ないのか?」
について書く。

 

「男性には、愛は必要である」かつ「女性には、愛は必要である」
ならば「人間には、愛は必要である」となるはずである。

だから、「女性には、愛は必要である」と書くなら、
「男性には、愛は必要である」は、成り立たなくなる。

だから、「男性には、愛は必要ないのか?」という疑問がわく。

 

しかし、私は「男性には、愛は必要である」と思う。
変なのだ。何故、変になってしまうのか。

 次のように考えると、変でなくなる。

 

「男性には、愛は必要である」かつ「女性には、愛は必要である」である。

ただし、次のいずれかが言える
  同じく「愛」と書いているが、その内容あるいは種類が違う
  同じく「愛は必要」と書いているが、必要な理由が違う

このいずれかを併記すれば、変ではなくなる。

 

二つのケースを考えてみた。

 
(A)  愛された女性は、きれいになる
愛した男性は、強くなる

私は気に入っているが、どうだろうか、確認する。

 
先ず、「愛された男性は、きれいになる」は、成り立つか?
これは違うと思う。

愛された男性は、情緒は安定するが、
とりたててキレイになるとは思えない。

 
次に、「愛した女性は、強くなる」は、成立するか?

これは、ありえそうだ。

  愛する子を守ろうとする母は、自分の危険を顧みない(強い)
 
  愛する男を守ろうとする女性は、落ちない(男に不利な証言はしない)
   男性は論理的に証言が破綻すると、嘘をつき通せなくなるが、
   女性は証言が論理的に支離滅裂になっても、嘘をつき通す(強い)
   だそうである。

共通するのは守ろうとする母性であり、行為として強くなる。

 
一方、例えば、

愛する妻を得て家庭を守ろうとする男性は、強くなる

が、それは、りりしくなるとか、たくましくなるとかで、
人格的に変容しており、女性とは違うと思う。

 

(B)  女性の愛は、人に向かうことが多いが、
男性の愛は、人以外にも多く向かう

 
はっきり区別できるのではなく、傾向としての話である。
「女性傾向の強い男性」「男性傾向の強い女性」もいる。

 
話を戻す。

仕事人間の男性(夫)は、家族(人)を忘れて仕事に没頭してしまうが、
仕事をもつ女性(妻)は、家族(人)への関心、貢献を維持する

 
反論がありそうだ。「社会的制度・風習のため、女性が強いられているからで、性の違いとして論じるのはおかしい」「最近は、そうでもないよ」…

ただ、「子を孕む」「母性」といった制度・風習とは関係ない面もあり、
これには昔とか今とかの要素は、少ないだろう。

 

「『男性の愛』と『女性の愛』との違い」というテーマは興味深く、
尽きることがない。いささか疲れてしまった。

 
ここまで読んでくださった方も、さぞ、お疲れでしょう。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

感謝。

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