「女性には、やはり愛が必要なのか?」という問いかけに対して、
私は、この答には関心がない。私が関心を持ったのは、
(1)
「女性には、何故愛が必要なのか?」
(2)
「男性には、愛は必要ないのか?」
だとして、
(1)
「女性には、何故愛が必要なのか?」
について書いた。
今回は、
(2)
「男性には、愛は必要ないのか?」
について書く。
「男性には、愛は必要である」かつ「女性には、愛は必要である」
ならば「人間には、愛は必要である」となるはずである。
だから、「女性には、愛は必要である」と書くなら、
「男性には、愛は必要である」は、成り立たなくなる。
だから、「男性には、愛は必要ないのか?」という疑問がわく。
しかし、私は「男性には、愛は必要である」と思う。
変なのだ。何故、変になってしまうのか。
「男性には、愛は必要である」かつ「女性には、愛は必要である」である。
ただし、次のいずれかが言える
・ 同じく「愛」と書いているが、その内容あるいは種類が違う
・ 同じく「愛は必要」と書いているが、必要な理由が違う
このいずれかを併記すれば、変ではなくなる。
二つのケースを考えてみた。
(A) 愛された女性は、きれいになる
愛した男性は、強くなる
私は気に入っているが、どうだろうか、確認する。
先ず、「愛された男性は、きれいになる」は、成り立つか?
これは違うと思う。
愛された男性は、情緒は安定するが、
とりたててキレイになるとは思えない。
次に、「愛した女性は、強くなる」は、成立するか?
これは、ありえそうだ。
・ 愛する子を守ろうとする母は、自分の危険を顧みない(強い)
・ 愛する男を守ろうとする女性は、落ちない(男に不利な証言はしない)
男性は論理的に証言が破綻すると、嘘をつき通せなくなるが、
女性は証言が論理的に支離滅裂になっても、嘘をつき通す(強い)
だそうである。
共通するのは守ろうとする母性であり、行為として強くなる。
一方、例えば、
愛する妻を得て家庭を守ろうとする男性は、強くなる
が、それは、りりしくなるとか、たくましくなるとかで、
人格的に変容しており、女性とは違うと思う。
(B) 女性の愛は、人に向かうことが多いが、
男性の愛は、人以外にも多く向かう
はっきり区別できるのではなく、傾向としての話である。
「女性傾向の強い男性」「男性傾向の強い女性」もいる。
話を戻す。
仕事人間の男性(夫)は、家族(人)を忘れて仕事に没頭してしまうが、
仕事をもつ女性(妻)は、家族(人)への関心、貢献を維持する
反論がありそうだ。「社会的制度・風習のため、女性が強いられているからで、性の違いとして論じるのはおかしい」「最近は、そうでもないよ」…
ただ、「子を孕む」「母性」といった制度・風習とは関係ない面もあり、
これには昔とか今とかの要素は、少ないだろう。
「『男性の愛』と『女性の愛』との違い」というテーマは興味深く、
尽きることがない。いささか疲れてしまった。
ここまで読んでくださった方も、さぞ、お疲れでしょう。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
感謝。
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