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2016年7月31日日曜日

(586) 「人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験」


放送大学大学院で心理学の勉強をしていたときの隣の研究室の森津太子教授が出演されるという、鈴木善光さんの記事を読み、番組を見た。

  放送済み:728日木曜 NHKBSプレミアム
  再放送予定:825日木曜 NHKBSプレミアム  午後500分~ 午後600

 
 
 放送内容は、日本社会心理学のホームページに詳しく書かれている。

 ここでは、NHKホームページの案内を引用する。
=====

フランケンシュタインの誘惑「人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験」

人類に功も罪ももたらす「科学」。その知られざる姿に迫る新番組。今回は、史上最も“残酷な心理学実験”と称される「スタンフォード監獄実験」に光を当てる。単なる「監獄ごっこ」が平凡な被験者を悪魔に変え、実験を指揮した心理学者自身も狂わされていった。非人道的な実験の倫理を巡る議論とその後、さらにアメリカ心理学会が「テロとの戦争」の中で犯した恐るべきスキャンダル!人間の心を科学する学問・心理学の闇に迫る―。

=====

 

 「スタンフォード監獄実験」そのものについては、ウィキペディアに詳しく書かれている。

 
 上記より、概要のみ引用する。
===== 引用 はじめ

1971814日から1971820日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー (Philip Zimbardo) の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。

新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。

===== 引用 おわり

 
 テレビ番組を見ての感想を述べる。

 
1.これは倫理的には許されない実験だが、内容は学問的に「偉業」だと思う

 
2.「この実証実験」抜きでは、そこで起こったことを誰も信用しないだろう。2週間の予定で始まった実験だったが、2日目で精神を錯乱させた囚人役が1人実験から離脱し、6日間で中止を余儀なくされた。これほど早く、これほど深刻な事態に至るとは、誰も予想できなかった(予想できない)のではないか

 
3.被験者の選び方については、二つの問題があるのではないか。「新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人」ということだが、

(1)   【均質な集団】心理テストにより「普通の人」が選ばれたので「普通でない人」は選ばれなかった。その結果、被験者は均質性の高い集団となった。大学生ばかりでなく社会経験を積んだ年配の人や、男性だけでなく女性や、「普通でない変な人」も含まれていたら、実験中に様々な見解・行動が発露され、ずいぶん違った展開になったのではないか。被験者の均質性ゆえ、修正が難しかったのではないか

(2)   【洗脳されやすい人】「普通の人」は、だいたい従順である。おそらくスタンフォード大学の学生が多く含まれていたのではないか。恵まれた環境で生活苦は少なく、周りの期待に応えて勉学にいそしんできた若い真面目な学生が多かったのではないか。「人の行動,あるいは人格に影響を及ぼすのは,個人の内的な気質ではなく,むしろどういう場(例えば,監獄)に置かれ,どういう役割(例えば,看守か囚人)を与えられ,どのような人々(例えば,他の実験参加者)が周囲にいるかどうかという「状況」である」という考え方に基づいた実験であるが、いわゆる洗脳されやすい「個人の内的な気質」をもった人ばかりを集めた実験だったのではないか。「個人の内的な気質ではなく」は、実証されていないのではないか

 
4.「イラク戦争において米軍が運営していたアブグレイブ刑務所で行われていた捕虜に対する激しい虐待や拷問」また、グアンタナモ収容所についての言及があった。私は、これらには人種差別意識が大きく影響しているのではないかと思っている。例えば、原爆を日本に落としたが、ドイツに落とすことはなかっただろう。アメリカで黒人と白人警官との間で起こっている現実は、人種差別意識の払拭がいかに難しいかを物語っている

 
5.今回の番組は、アブグレイブ刑務所やグアンタナモ収容所が主題ではないので、人種差別に関する言及がなかったのは自然だと思う。しかし、「スタンフォード監獄実験」との関係を強く示唆すると、アブグレイブ刑務所やグアンタナモ収容所問題から、人種差別の視点が抜け落ちてしまう。アメリカは人種差別の問題から目をそらし取り上げたくないだろうから、我々が意識して注意しないと、アブグレイブ刑務所やグアンタナモ収容所問題が歪んでしまう危険が大きいと思う

 
6.「スタンフォード監獄実験」では人種差別は関係しなかっただろう。アブグレイブ刑務所やグアンタナモ収容所問題と共通する点もあろうが、同じ人種(更には、スタンフォード仲間もいる)に対しても残虐なことができるというのは、特異な発見ではなかったか。ここにハイライトすることも、大切な視点ではないか

 
7.人種差別と関係なく残虐なことができるという点では、「連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件」が近いのではないか。もともと近しい同志をリンチ殺人した大学生の事件である。共通しているのは主役と「閉鎖性」である。なお、アブグレイブ刑務所、グアンタナモ収容所もまた閉鎖空間で起こったことである

 
8.最近、高齢者施設での虐待が多く報じられている。ここも又、閉鎖空間である。高齢者施設に外部ボランティアの導入するケースが増えているが、閉鎖空間に風穴を開ける作用があり、虐待防止に効果があるようだ。「閉鎖空間」をキーワードに追求すると(と言っても再実験は不可能!)、「スタンフォード監獄実験」の研究がさらに深まり、現実にも役立つのではないか

2016年7月30日土曜日

(585) 戦争の原因は排除できるか / カント『永遠平和のために』(1) (8月1日(月) 22:25- Eテレ 放送)


 「戦争の原因は排除できるか」という問に対する答えは「排除できない」だが、さらに「にもかかわらず、永遠平和は実現可能だ」と続くところが、この本の凄いところだ、と私は思った。何故、可能なのか。発想が逆転しているからである。

===== 引用 はじめ  P.28

 戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである。

 戦争は、相手が自分に対してなんらかの利害対立や敵意を持つからこそ起こる、と多くの人は思っているのでしょう。しかしカントは、戦争すること自体が人間の本性だから、特別な原因がなくても起こる - というのです。

===== 引用 おわり

 そもそも「戦争の原因」がないから、排除しようがない。「戦争の原因はこれだ」と勝手に思い込み、それを排除しようとするから、平和はいつまでたっても実現しない。


===== 引用はじめ  P.28

 一般に人は、犯罪や暴力事件が起きるとその原因や理由を解明しようと努めます。それは、平和な状態こそが人間にとって当たり前で(自然)で、犯罪や事件は異常な状態だという認識を持っているからです。

===== 引用 おわり

 そうではなくて、犯罪や事件が起こっているのが当たり前で、平和は「異常な状態(稀な状態)」である。だから、犯罪や事件が起こる原因を解明するのは、無意味とはいえないが、あまり意味がない。「異常な状態」である平和が稀にではあるが実現する。いかなる条件のもとに(本来は稀である)平和がもたらされるかを解明することが大切である。解明できれば、その条件が満たされるような仕組みを作れば、平和を実現できる。

 
===== 引用 はじめ  P.29

 現代に生きる私たちは、武器を持たずに人ごみのなかを無防備に歩くことができますが、それは法の支配が確立されているからであって、じつは見ず知らずの人びとのなかを丸腰で歩けることのほうが歴史的にみれば奇跡的な状態なのです。

===== 引用 おわり

 日本は戦後70年、国内的にも国外的にも奇跡的に平和を保ってきた。だから、国内的にも国外的にも丸腰で、それを不思議とも思っていない。しかし平和なのは稀なことであり、いつ正常な状態(当たり前の状態)=(犯罪・事件・戦争)になっても、おかしくない。

 国内的には、IS(イスラム国)が日本に入り込んでテロを本格的に展開するのは時間の問題だと思う(そうなってほしくない!)が、著しく個人情報が制限され、犯罪捜査ですら傍聴が制限されている現状では有効な対策をとれず、野放しになる可能性が高い。

 国外的には、外国が日本に戦争をしかけてきら、丸腰に近いので、対抗するのが困難だろう。「外国が日本に戦争をしかけてくるかどうか」は、その国が決めることで、日本は直接コントロールできない。領海侵犯が日常的に行われている現状は、その可能性を示唆している。彼らは「私があなたに戦争をしかけた」などとは絶対言わない。「あなたがこうしたから、私は攻撃した」という理由は、いくらでもでっちあげられる。

 
===== 引用 はじめ  P.29

… カントの言葉を引いてみよう。

 ともに暮らす人間たちのうちで永遠平和は自然状態ではない。自然状態とはむしろ戦争状態なのである。つねに敵対行為が発生しているわけではないとしても、敵対行為の脅威がつねに存在する状態である。

===== 引用 おわり

                                 
 カントは言う。「平和状態は新たに創出すべきものである」(P.30)


<追記> 7/31

 カントの逆転の発想は、私は正しいと思うが、精査の必要もあろう。

このような発想は、哲学だからできるのであって、政治学は目の前の平和を追うだろう。それも必要なことであり大切なことだが、その先には「一時的平和」はあるが、更にその先の「永遠の平和」は、見えない。哲学からの平和へのアプローチも、必要だろう。
 
出典:
萱野稔人(2016/8)、カント「永遠平和のために」、100de名著、NHKテキスト

(584) カント『永遠平和のために』(0)


8月の「100de名著」は、カント『永遠平和のために』である。
タイトルを見た時に思ったのは「つきあえるだろうか?」であった。

でも、読んでみたら、結構、面白かった。
「食わず嫌い」は、自分の拡がりを抑えてしまう。


81日・8日・15日・22日 いずれも() 22:25- Eテレ 放送
 

読む前の私の疑問

1.カントを読めるのか?

2.「永遠平和」は、検討に値するテーマか?

3.哲学者が平和を語って、何の意味があるのか?

4.理想主義者にお付き合いして、どうする?

5.道徳主義者にお付き合いして、どうする?

6.220年経ったが、平和になっていないではないか。

 

読む前の私の疑問に対する、読んでみての私なりのコメント


1.カントを読めるのか?
 → 『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は読みにくいが、『永遠平和のために』は、抽象的な問題ではなく現実の社会をテーマに書かれているので、他の著書と比べると比較的読みやすい。しかも、カント哲学の入門書としても読むことができる

 
2.「永遠平和」は、検討に値するテーマか?
 → 多くの平和条約は対処療法的なものであり、それ自体に紛争の種を宿していることが多い。そういう平和ではなく、持続的に平和を維持できるような理論的な仕組みを取り込んだ平和を、カントは「永遠平和」と呼んでおり、それは検討に値するテーマである

 
3.哲学者が平和を語って、何の意味があるのか?
 → 一時的な平和を実現する「対処療法的な平和」と、持続的平和を実現する仕組みを伴った「永遠平和」があって、両者とも必要である。前者を政治学が、後者を哲学が担うが、両者は個別のものではない
 

4.理想主義者にお付き合いして、どうする?
 → カントは理想主義者と思われがちであるが、実際は現実主義者である。「人間は邪悪な存在である」と考え、それを踏まえたうえで、永遠平和を実現するための仕組みを創ろうとしている

 
5.道徳主義者にお付き合いして、どうする?
 → カント哲学では道徳的な考え方を重視しているが、カントの『道徳』は世間でいうところの「道徳」と違う面がある。平和は道徳的な理想から生まれるのではなく、法が支配する社会の仕組みを一歩ずつ創りあげることで、はじめて実現可能となる。その仕組みづくりに『道徳』は重要な役割を果たす

 
6.220年経ったが、平和になっていないではないか。
 → 「国際連盟」も「国際連合」も「国際的な連合」の考え方をベースに作られたものではあるが、背景には「世界国家」の考えがあり、いまだ不十分である。「平和連合」の理念は次第に広がり、永遠の平和が実現される可能性を示すことができる

 

【各論】

1.     カントを読めるのか?  『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は読みにくいが、『永遠平和のために』は、抽象的な問題ではなく現実の社会をテーマに書かれているので、他の著書と比べると比較的読みやすい。しかも、カント哲学の入門書としても読むことができる

比較的読みやすい。

===== 引用 はじめ  P.5 – P.6

 カントの著書としては『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』が特に有名ですが、正直なところ、この三冊はあまりに抽象的で難解すぎて専門家でさえも手を焼くほどです。おそらほとんどの人が、いざ手にとって読もうとしても最初の数頁を読んだだけで断念してしまうでしょう。

 このようにカントの著書には難解なものが多いのですが、今回名著として取り上げる『永遠平和のために』は、抽象的な問題ではなく現実の社会をテーマに書かれているので、他の著書と比べると比較的読みやすい内容となっています。

===== 引用 おわり


カント哲学の入門書としても読むことができる

===== 引用 はじめ  P.7

…この本を読んでいくと、彼の考えた「理性」、とりわけ「実践理性」というものがどんなものかおのずとわかってきます。つまり、カント哲学の入門書としても読むことができるのです。

===== 引用 おわり

 

2.     「永遠平和」は、検討に値するテーマか?  多くの平和条約は対処療法的なものであり、それ自体に紛争の種を宿していることが多い。そういう平和ではなく、持続的に平和を維持できるような理論的な仕組みを取り込んだ平和を、カントは「永遠平和」と呼んでおり、それは検討に値するテーマである

===== 引用 はじめ  P.13 – P.14

… この条約(バーゼル平和条約)に対してカントは強い不信を抱いていました。なぜなら、この条約は戦争を永久に終わらせるようなものでなく、秘密条項も多く含む、単なる停戦条約のような内容だったからです。「平和のために」ではなく「永遠平和のために」というタイトルを付けたのも、こうした形だけの平和条約に対するカントの不信感の現れとみることができるのです。

===== 引用 おわり

 紛争しているあるいは紛争が拡大する恐れのある当事国間で、紛争を終息に向かわせたりあるいは紛争の拡大を未然に防いだりするための「平和条約」が世の中には多いだろう。しかし、その場の対症療法であり、問題を先送りしたり、妥協の結果双方の不満を助長させたりして、将来の紛争の種になることもある。そういう平和ではなく、持続的に平和を維持できるような理論的な仕組みを取り込んだ平和を、カントは「永遠平和」と呼んでいる。そのような「永遠平和」は、検討に値するテーマだと思う。

 

3.     哲学者が平和を語って、何の意味があるのか?  一時的な平和を実現する「対処療法的な平和」と、持続的平和を実現する仕組みを伴った「永遠平和」があって、両者とも必要である。前者を政治学が、後者を哲学が担うが、両者は個別のものではない

===== 引用 はじめ  P.5

 平和や戦争というと政治学の領域の問題ととらえられがちですが、哲学の分野でも戦争の問題は古くから論じられてきて、これまでも多くの哲学者が、「人間はなぜ戦争をするのか」「平和な世界を作るためには何をすべきか」について深く考えを巡らせてきました。

===== 引用 おわり
 

 「対処療法的な平和」と「永遠平和」の両方の考察が必要であり、政治学と哲学がすみ分けている。同じ平和を取り扱うので無関係ではなく、「対処療法的な平和」でもたらされた今の平和を元に、それだけでは欠けている理論的な仕組みや永続性を「永遠平和」がカバーするものと考える。

 

4.     理想主義者にお付き合いして、どうする?  カントは理想主義者と思われがちであるが、実際は現実主義者である。「人間は邪悪な存在である」と考え、それを踏まえたうえで、永遠平和を実現するための仕組みを創ろうとしている

===== 引用 はじめ  `P.18

… 多くの研究者がこの本を「道徳的な理想論を述べただけの平和説法である」と否定的にとらえてきました。

===== 引用 おわり

しかし、

===== 引用 はじめ  P.27

 カントがいかに現実主義者だったかは、彼の人間観にも現れています。その人間観はかなり悲観的です。人間はもともと道徳を備えているとも、道徳的に完成できるとも言っていません。「人間は邪悪な存在である」というのが、カントのそもそもの出発点です。

===== 引用 おわり

 「永遠平和」といった、叶えられそうにない理想を掲げるので、カントは理想主義者のように思われがちであるが、実際には、現実主義者である。

===== 引用 はじめ  P.62

 第1回でもお話したように、「人間は邪悪な存在である」という人間関係をカントは持っていました。人間は好きなことをしていい状況におかれると、自分だけの利益を考えてよからぬ方向に向かうものである。だからこそ、そうならないために、立法と行政はしっかり分けるべきだ - とカントは考えたのです。

===== 引用 おわり

 

5.     道徳主義者にお付き合いして、どうする?  カント哲学では道徳的な考え方を重視しているが、カントの『道徳』は世間でいうところの「道徳」と違う面がある。平和は道徳的な理想から生まれるのではなく、法が支配する社会の仕組みを一歩ずつ創りあげることで、はじめて実現可能となる。その仕組みづくりに『道徳』は重要な役割を果たす。

===== 引用 はじめ  P.9

 カント哲学の大きな特徴としては、道徳的な考え方を重視し、道徳に厳密さ、厳格さを要求した点が挙げられます。

===== 引用 おわり

 ここでいう『道徳』は、世間でいうところの「道徳」と違う面があり(共通するところもあるが)厳密に定義されている。

===== 引用 はじめ  P.75

 カントによれば、ただ義務から行為する意思だけが善である。では、義務からの行為とは? 何をなすべきかを絶対的に指示する命令に従うこと。この絶対的な命令こそが「道徳法則(道徳律)」である

===== 引用 おわり
 

平和は道徳的な理想から生まれるのではない

===== 引用 はじめ  P.32

… 平和は道徳的な理想から生まれるのではなく、法が支配する社会の仕組みを一歩ずつ創りあげることで、はじめて実現可能となるのです

===== 引用おわり

 

6.     220年経ったが、平和になっていないではないか  「国際連盟」も「国際連合」も「国際的な連合」の考え方をベースに作られたものではあるが、背景には「世界国家」の考えがあり、いまだ不十分である。「平和連合」の理念は次第に広がり、永遠の平和が実現されるか可能性を示すことができる。

疑問が残っています。

===== 引用 はじめ  P.52

… カントが示した国際的な連合の考え方をベースにつくられたはずの「国連」がすでに存在しているのに、なぜ未だに永遠の平和は実現されていないのか

===== 引用 おわり

 
国際連盟については、

===== 引用 はじめ  P.53

… 国際連盟は敗戦国ドイツを懲罰するために戦勝国がつくったもの… 強国の支配を裏付ける世界国家に近かったのです。また、すべての国を総括できずに“外部”をつくってしまったことも、失敗の大きな要因といっていいでしょう。…最終的には国際連盟の外で戦争が起こってしまいました。

==== 引用 おわり

 
国際連合については、

===== 引用 はじめ  P.53 – P.54

… 国際連盟との違いとしては、国連軍を創設したこと、常任理事国に強い権限を与えたことなどが挙げられます。… 国連軍をつくったということは、国連の意向にしたがわない国に対しては暴力で制裁を加えてよい、ということになってしまいます。… カントの目指したのはそこではなく、あらゆる係争が武力を使わずに、法的に解決される仕組みをつくることだったはずです

===== 引用 おわり

 
「永遠平和」は、実現可能なのか

===== 引用 はじめ  P.54

… カントが思い描いた世界はまだずっと遠くにあると言わざるをえませんが、カントはそれは決してたどりつけない夢ではなく、絶対に実現可能であるとして、次のように述べています。

 この連合の理念は次第に広がっていってすべての国家が加盟するようになり、こうして永遠の平和が実現されるようになるべきだが、その実現可能性、すなわち客観的な実現性は明確に示すことができるのである。

===== 引用 おわり

 
出典:
萱野稔人(2016/8)、カント「永遠平和のために」、100de名著、NHKテキスト