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2016年8月15日月曜日

(601) 1頭の牛 ~ 幸せへの障害 / ティク・ナット・ハン(1)


201687日(日)放映済み Eテレ「こころの時代」

こころの時代アンコール
禅僧ティク・ナット・ハン2  ひとりひとりがブッダとなる

  本ブログ「(598) 逝きしあなたと私」で触れている。

 
===== 引用 はじめ

 …

彼女は“1頭の牛”を手離すことに成功しました。
 
私たちが持っている“大きな牛” それは、
“これが幸せだ”という考えです。
 
例えば、“自分はこんな状況にあれば”
“この人と結婚したら”
“この家を買えば幸せになれる”
 
そうでなければ、幸せになれないと
思っています。
 
“幸せの考え”のせいで苦しみます。
その考えによって苦しみ続けます。
 
それに気づいて
“幸せの考え”を手離してみましょう
 
幸せだと思っているのは、
牛のようなものです。
 
そういう考えが実は喜びや幸せへの障害だと
分かって手離せば、
幸せと喜びは、すぐにやってきます。

===== 引用 おわり
 

  目標設定し、

  それを得るための道筋を明らかにし、

  実施し、

  目標を達成する

 
典型的な欧米流のアプローチだろう。

 
それはそれで良いのだが、

  お金持ちになるには、このアプローチで成功する
 
  幸せになるには、このアプローチでは失敗する

 
お金持ちになるために成功実績のあるアプローチを
幸せになるために使おうとするところで、
間違いを犯している。

 
お金持ちになりたいのか、幸せになりたいのか。
この二つは、別物である。
 


目標達成型で幸せになろうとするアプローチにおいて、
失敗パターンは3つあると思う

 
    設定目標を達成できない

(「だから私は幸せになれない」と落ち込み、気力を失う)

 
    設定目標を達成するために、大切なものを犠牲にしてしまう

(幸せがくる前に、大きな不幸がやってくる)

 
    設定目標を達成した喜びのすぐ後に虚しさを感じ、
その設定目標を達成しても幸せになれないことに気付く

(つかの間の幸せは得たけれど、幸せは持続せず、
 次の目標設定に向かう)

 

目標を設定することに異論はないが、
 
幸せは、

たどり着いたゴールにあるのではなく、
そこへのプロセスの中にあるのではないか。

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