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2016年8月7日日曜日

(592) 「世界国家」か「平和連合」か / カント『永遠平和のために』(2) (8月8日(月) 22:25- Eテレ 放送)


A.先ず、言語や宗教の問題について考える。

「言語と宗教の違いは、諸民族のうちにほかの民族を憎む傾向を育み、戦争の口実を設けさせるもの」(P.46 – P.47)という考えは、説得力がある、しかし、「だから、①世界平和のために言語と宗教は統一すべきであり、②言語や宗教の違いがある限り世界平和は達成できない」となると納得できない。以下、持論を述べる。

 
    「世界平和のために言語と宗教は統一すべきである」について

言語の統一については、エスペラントの試みがある。
「エスペラント(Esperanto)とは、ルドヴィコ・ザメンホフが考案した人工言語。母語の異なる人々の間での意思伝達を目的とする、いわゆる国際補助語としては最も世界的に認知され、普及の成果を収めた言語となっている」(wikipedia

 言語と文化は不可分であり、一つの言語の消滅は一つの文化の消滅を意味する。人為的に消滅させてよい文化というものはない。言語を統一するためには、統一される言語を除き、他の全ての言語を禁止しなければならない。これは、国際的であれ、国内的であれ、たとえ武力を用いなくとも、戦争である。

 エスペラントは言語を統一するものではなく、意思伝達を目的としたツールとして国際補助語である。世界平和への貢献は否定しないが、世界平和をもたらすとまでは言えないだろう。

 
 宗教の統一については、これによって多くの戦争が起こっているということは、特に説明する必要はないだろう。


 「世界平和のために言語と宗教は統一すべきである」という考えは、戦争を誘発させる。

 

    「言語や宗教の違いがある限り世界平和は達成できない」について

「同質性と異質性の共存」は死守すべきと私は考える。異質性があるから個性が守られ、同質性があるから安定が得られる。異質性が安定性を損なう面があると同時に、同質性は個性を損なう面がある。

 言語や宗教の違いは、異質性の一断面である。異質性は安定(平和)を損なおうとする面もあるが、個性(例えば民族性)を守ってくれる。

 
 言語や宗教の違いを容認しつつ、世界平和を追い求める不断の努力が必要だろう。

 

B.世界平和の方向性

「世界国家」か、「平和連合」か

 
(1)   「世界国家」

===== 引用 はじめ  P.36

… 国家の内部では政府の権力が犯罪を処罰する一定の強制力を発揮しているのに対して、国家間においては、国家そのものを処罰したり法にしたがわせるように仕向ける「国家を超えた権力」は存在していません。

===== 引用 おわり

 
 国家内の平和と、国家間の平和と、全く異なった性格をおびる二つの平和が必要である。「そもそも国家とは、何らかの共通項のもとで集まった人びとによって形成された法組織体です」(P.39

 
 思考実験をしてみる。国というものがなく、同一性と異質性が混在した状態を想定し、そこに平和を構築する手順を考えよう。先ず、同一性を重視して、いくつかの塊を作っていく。それが国家である。

 各々の国内においては、同一性が強いので、「犯罪を処罰する一定の強制力を発揮する権力」を合意のもとに形成しやすく、それにより国内の平和は保ちやすい。これで平和実現のほぼ半分まできた。

 さて、世界をみわたすといくつもの国家があり、同一性の強いものはすでに国家として集約されているので、国家は異質性が強い。そこに「犯罪を処罰する一定の強制力を発揮する権力」を形成するのは、所詮、無理である。それを強行しようとすると、「権力」を奪い合う戦争が勃発する。

 「世界国家」とは、国民を束ねて平和な国家が作れるように、国家を束ねて平和な世界を作ろうとするものである。しかし同一性の強い国民を対象とするのと、異質性の強い国家を対象とするのでは全く違い、同じようにはいかない。

 
(2)   「平和連合」

===== 引用 はじめ  P.42

… すべてのものが失われてしまわないためには、一つの世界共和国という積極的な理念の代用として、消去的な理念必要となるのである。この消極的に理念が、たえず拡大しつづける持続的な連合という理念なのであり、この連合が戦争を防ぎ、法を嫌う好戦的な傾向の流れを抑制するのである。

===== 引用 おわり


===== 引用 はじめ  P.44

… 積極的な理念は「目的が手段を正当化する」という方向、すなわち「正しい目的を達成するためには、何をしても許されるはずだ」という方向に向かいやすい…

===== 引用 おわり

 
===== 引用 はじめ  P.44 – P.45

… 消極的な理念というのは、「手段が最適化されるようになるところに目的を定めましょう」という姿勢が基本になります。つまり「世界国家を設立したことで内戦を招くくらいだったら、紛争の種をできるだけ減らすために別の着地点を探そう」と考えるのが消極的な理念です。

===== 引用 おわり

 
「世界国家」ではなく、「国際的な連合」でなければならないと、カントは言っている。

 
出典:
萱野稔人(2016/8)、カント「永遠平和のために」、100de名著、NHKテキスト

 
    <尖閣海域>中国船240隻 仲裁裁支持の日本に反発
毎日新聞 86()2256分配信

 
 南シナ海をめぐる仲裁裁判所の判決で追い詰められた中国は、オリンピック開催期間中に、最悪、尖閣への上陸を試みるのではないかと心配である。アメリカの抑止力は、どれだけ効くのか。それを有効にする国内世論は、大丈夫か。
 
 南シナ海で国際世論から叩かれるなら、同時にこちらでも叩かれても、被害はあまり増えない。力づくで現状を変えて居座ってしまえば、そのうち落ち着く(ロシアのクリミア併合について誰も何も言わなくなった)。落ち着けば次は沖縄を狙ってくるだろう。その準備として、既に沖縄のマスコミは牛耳っている。
 
 無法地帯と化する中で、日本はどうすればよいのか。

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