「戦争の原因は排除できるか」という問に対する答えは「排除できない」だが、さらに「にもかかわらず、永遠平和は実現可能だ」と続くところが、この本の凄いところだ、と私は思った。何故、可能なのか。発想が逆転しているからである。
===== 引用 はじめ P.28
戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである。
戦争は、相手が自分に対してなんらかの利害対立や敵意を持つからこそ起こる、と多くの人は思っているのでしょう。しかしカントは、戦争すること自体が人間の本性だから、特別な原因がなくても起こる - というのです。
===== 引用 おわり
そもそも「戦争の原因」がないから、排除しようがない。「戦争の原因はこれだ」と勝手に思い込み、それを排除しようとするから、平和はいつまでたっても実現しない。
===== 引用はじめ P.28
一般に人は、犯罪や暴力事件が起きるとその原因や理由を解明しようと努めます。それは、平和な状態こそが人間にとって当たり前で(自然)で、犯罪や事件は異常な状態だという認識を持っているからです。
===== 引用 おわり
そうではなくて、犯罪や事件が起こっているのが当たり前で、平和は「異常な状態(稀な状態)」である。だから、犯罪や事件が起こる原因を解明するのは、無意味とはいえないが、あまり意味がない。「異常な状態」である平和が稀にではあるが実現する。いかなる条件のもとに(本来は稀である)平和がもたらされるかを解明することが大切である。解明できれば、その条件が満たされるような仕組みを作れば、平和を実現できる。
===== 引用 はじめ P.29
現代に生きる私たちは、武器を持たずに人ごみのなかを無防備に歩くことができますが、それは法の支配が確立されているからであって、じつは見ず知らずの人びとのなかを丸腰で歩けることのほうが歴史的にみれば奇跡的な状態なのです。
===== 引用 おわり
日本は戦後70年、国内的にも国外的にも奇跡的に平和を保ってきた。だから、国内的にも国外的にも丸腰で、それを不思議とも思っていない。しかし平和なのは稀なことであり、いつ正常な状態(当たり前の状態)=(犯罪・事件・戦争)になっても、おかしくない。
国内的には、IS(イスラム国)が日本に入り込んでテロを本格的に展開するのは時間の問題だと思う(そうなってほしくない!)が、著しく個人情報が制限され、犯罪捜査ですら傍聴が制限されている現状では有効な対策をとれず、野放しになる可能性が高い。
国外的には、外国が日本に戦争をしかけてきら、丸腰に近いので、対抗するのが困難だろう。「外国が日本に戦争をしかけてくるかどうか」は、その国が決めることで、日本は直接コントロールできない。領海侵犯が日常的に行われている現状は、その可能性を示唆している。彼らは「私があなたに戦争をしかけた」などとは絶対言わない。「あなたがこうしたから、私は攻撃した」という理由は、いくらでもでっちあげられる。
===== 引用 はじめ P.29
… カントの言葉を引いてみよう。
ともに暮らす人間たちのうちで永遠平和は自然状態ではない。自然状態とはむしろ戦争状態なのである。つねに敵対行為が発生しているわけではないとしても、敵対行為の脅威がつねに存在する状態である。
===== 引用 おわり
カントは言う。「平和状態は新たに創出すべきものである」(P.30)
<追記> 7/31
出典:
萱野稔人(2016/8)、カント「永遠平和のために」、100分de名著、NHKテキスト
<追記> 7/31
カントの逆転の発想は、私は正しいと思うが、精査の必要もあろう。
このような発想は、哲学だからできるのであって、政治学は目の前の平和を追うだろう。それも必要なことであり大切なことだが、その先には「一時的平和」はあるが、更にその先の「永遠の平和」は、見えない。哲学からの平和へのアプローチも、必要だろう。
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