当事者の会も、居場所の一つとして機能する。
Google検索で「当事者の会」と入力した時点で、7つのキーワード候補が表示された。「認知症 当事者の会」「高次脳機能障害
当事者の会」「発達障害
当事者の会」「adhd 当事者の会」「うつ病 当事者の会」「統合失調症 当事者の会」「性同一性障害
当事者の会」。いずれも困難を抱えた人が集まるものであり、彼らにとっては居場所になりえる。
「当事者の会」というウイキページは存在せず、「自助グループ」はある。
===== 引用はじめ
メンタルヘルス関連の自助グループ(じじょグループ、Self Help Group)とは、なんらかの障害・困難や問題、悩みを抱えた人が同様な問題を抱えている個人や家族と共に当事者同士の自発的なつながりで結びついた集団。その問題の専門家の手にグループの運営を委ねず、あくまで当事者たちが独立しているというのが特徴的である。
その役割は、このかかわりの中で自ずから問題への取り組みの姿勢や理解の仕方の上で、自己変容的な成長が期待されること、また彼らを取り巻く地域社会との関わり方、受け入れられ方にも変化が出てくることなどがある。こうした取り組みは、1930年代にアメリカのアルコホーリク(アルコール依存症者)の間でうまれ、その後、摂食障害や、麻薬、覚せい剤、仕事、ギャンブル、買い物、恋愛、食事などのさまざまな嗜癖に悩む当事者たちの間の自助組織が、さまざまなかたちで形成されてきた。
===== 引用おわり
Wikipedia 『自助グループ』
厳格な定義は知らないが、「当事者の会」と「自助グループ」は、ほぼ同じだろう。また、近いところで「家族会」がある。例えば「統合失調症、うつ病、躁うつ病などの精神疾患をもつ人を身内にかかえる家族が集まり、同じ悩みを語り合い、互いに支え合う会が家族会です」という定義がある(みんなねっと)。この概念はもう少し広げてもよいだろう。すなわち、「当事者の会」が問題をかかえた人たち当人が集まるのに対し、「家族会」は、問題を抱えた人を支える人たち(特に家族)が集まる。彼らもまた(間接的に)問題を抱える人たちと言える。「自助の会」は、「当事者の会」「家族の会」の両方を含む概念ではないか。
いくつかの例をみる
「ひきこもり 当事者の会」に出られるのは、本格的なひきこもりは脱したけれど、本格的には脱し切れていない人だろう。ありそうなのが「ひきこもり経験者 当事者の会」(例えば、神戸オレンジの会にそのような機能あり)、「ひきこもり 家族の会」(例えば、KHJ全国ひきこもり家族会)だろう。
「おとなの発達障害 当事者の会」(例えば、DDAC(発達障害をもつ大人の会)に居場所機能あり)があるが、「こどもの発達障害 当事者の会」は難しく、「発達障害のこどもを支える親の会」(例えば、http://www.mdd-forum.net/maptest.html から検索可能)はある。
当事者の会ではないが、デイサービスは要介護者に居場所を提供する。「要介護者 当事者の会」は難しそうだが、「要介護者 家族の会」のニーズは非常に高いと思う。
精神疾患は、比較的軽度なうちは「当事者の会」で、重篤化すると「家族の会」が中心になるだろう。
認知症カフェというものがある
===== 引用はじめ
認知症カフェとは
認知症カフェは、認知症の人やその家族、医療や介護の専門職、地域の人など、誰もが気軽に参加できる「集いの場」です。
活動の内容は様々ですが、認知症の人やその家族同士が情報交換するだけでなく、医療や介護の専門職に相談ができ、地域の人との交流の場になっています。
認知症カフェは、公的な制度に基づくものではありません。市町や地域総合支援センター(地域包括支援センター)、社会福祉協議会、医療機関や介護事業所、NPO法人、当事者団体、さらには喫茶店など、様々な主体により取組が広がっています。
===== 引用 おわり
「認知症 当事者の会」は、難しいかと思っていたが、Facebook にあった。
彼には、単に居場所づくりをしているのではなく、アドボカシー(*)活動を展開しているようである。
(*) 本来「擁護」や「支持」「唱道」などの意味を持つ言葉で、日本では近年、「政策提言」や「権利擁護」などの意味で用いられるようになっている
/ Wikipedia
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