(A) 謙虚さが足りない
「今日も素晴らしい講演をしていただき、ありがとうございました」とA講師にお礼を言ったところ、「いや、奥が深いですよ。よい機会を与えてくれてありがとうございました。全てが勉強です」と謙虚に言われた。
「Aさんは、こんなに素晴らしいお話をされ、それでいて、とても謙虚な立派な先生だと思った」とBさんに伝えたところ、「そうね、私たちがAさんを育てているようなものです」と返ってきた。
===== 聞いた話 おわり
===== それを聞いての私の感想 はじめ
Bさんは、とても辛いと思う。いつも、自分が誰よりも偉くなくてはならず、上からしかものを見られない。しかし、現実は違う。しかし、それを認められない。ギャップが生じてしまっているので、苦しいだろう。
そのように接していることは自ずと相手に伝わり、相手に不快感を与え、だから、その人はBさんを好きになれないし、尊敬することもないだろう(それに気づき、尊敬を勝ち得るために別の努力をする人がいる)。
Bさん自身は「自分は偉い」と思っているが、誰も(そのように言わないけれど)そのようには思わないだろう。(なんとなく気付くと自分を大きく見せようとし、逆効果になることもある)。
それだけではなく、自分自身の成長も妨げているのではないか(ギャップに気付き、それをバネにして、人知れず成長の努力をする人もいる)。
ここまで考えて、ちょっと違っていたのかなと思った。
Bさんを見て辛さを感じているのは、私の心だけであって、きっとBさん自身は、辛さを感じていないだろう。
つまらない辛さを感じてしまった。その人には、その人の生き方がある。
===== 私の感想 おわり
(B) 謙虚さが過ぎる
一見、謙虚そうに見えて、それが変だと思うことも多い。
①
私はできない人なのだから、助けてもらって当たり前です
②
私はできない人なのだから、できないことを責めないでください
③
私はできない人なのだから、努力するのは意味がないのです
自立を失い、自立を失った自分を是認してしまっている。
成長の機会を失っている。
実態は、自己卑下と自分への甘やかし。
(C) ほどよい謙虚さ
謙虚さは自分の成長と深く関わる。「謙虚さが足りない」「謙虚さが過ぎる」は自分の成長を阻害し、「ほどよい謙虚さ」は自分の成長を助長する。
「ほどよい謙虚さ」は、自分に目が向いていない。目指したい何者かを見据えるとき、人は、おのずから謙虚になる。自分に目が向く人は謙虚になりにくい。
「ほどよい謙虚さ」とは何かわかりにくい。だから、実現しにくい。
自分が成長しつつあると感じられるとき、「ほどよい謙虚さ」なのではないか。もし自分が成長していないと感じるなら、謙虚さが強すぎるか弱すぎるかではないかと自分を見つめ、是正してみてはどうか。
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