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2016年7月26日火曜日

(580) ほどよい謙虚さと成長


(A)  謙虚さが足りない

 ===== 聞いた話 はじめ

 「今日も素晴らしい講演をしていただき、ありがとうございました」とA講師にお礼を言ったところ、「いや、奥が深いですよ。よい機会を与えてくれてありがとうございました。全てが勉強です」と謙虚に言われた。

 「Aさんは、こんなに素晴らしいお話をされ、それでいて、とても謙虚な立派な先生だと思った」とBさんに伝えたところ、「そうね、私たちがAさんを育てているようなものです」と返ってきた。

===== 聞いた話 おわり

 
===== それを聞いての私の感想 はじめ

 Bさんは、とても辛いと思う。いつも、自分が誰よりも偉くなくてはならず、上からしかものを見られない。しかし、現実は違う。しかし、それを認められない。ギャップが生じてしまっているので、苦しいだろう。

 そのように接していることは自ずと相手に伝わり、相手に不快感を与え、だから、その人はBさんを好きになれないし、尊敬することもないだろう(それに気づき、尊敬を勝ち得るために別の努力をする人がいる)。

 Bさん自身は「自分は偉い」と思っているが、誰も(そのように言わないけれど)そのようには思わないだろう。(なんとなく気付くと自分を大きく見せようとし、逆効果になることもある)。

 それだけではなく、自分自身の成長も妨げているのではないか(ギャップに気付き、それをバネにして、人知れず成長の努力をする人もいる)。

 
 ここまで考えて、ちょっと違っていたのかなと思った。
 

 Bさんを見て辛さを感じているのは、私の心だけであって、きっとBさん自身は、辛さを感じていないだろう。

 つまらない辛さを感じてしまった。その人には、その人の生き方がある。

===== 私の感想 おわり

 

(B)  謙虚さが過ぎる

一見、謙虚そうに見えて、それが変だと思うことも多い。

    私はできない人なのだから、助けてもらって当たり前です

    私はできない人なのだから、できないことを責めないでください

    私はできない人なのだから、努力するのは意味がないのです

 
自立を失い、自立を失った自分を是認してしまっている。
成長の機会を失っている。

実態は、自己卑下と自分への甘やかし。

 

(C)  ほどよい謙虚さ

謙虚さは自分の成長と深く関わる。「謙虚さが足りない」「謙虚さが過ぎる」は自分の成長を阻害し、「ほどよい謙虚さ」は自分の成長を助長する。

 「ほどよい謙虚さ」は、自分に目が向いていない。目指したい何者かを見据えるとき、人は、おのずから謙虚になる。自分に目が向く人は謙虚になりにくい。

 
「ほどよい謙虚さ」とは何かわかりにくい。だから、実現しにくい。

 自分が成長しつつあると感じられるとき、「ほどよい謙虚さ」なのではないか。もし自分が成長していないと感じるなら、謙虚さが強すぎるか弱すぎるかではないかと自分を見つめ、是正してみてはどうか。

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