中国北部洪水 頭下げ「深い自責の念」
豪雨による洪水被害で25人が死亡、13人が行方不明となった中国北部河北省邢台市の薫暁宇市長ら市幹部は23日夜、記者会見し、対応に不手際があったとして謝罪した。中国の現職の行政幹部が謝罪するのは極めて異例だ。
「人民の生命と財産の安全を守ることができず、深い自責の念とやましさを感じている」。薫氏はこう謝罪した後、6人の市幹部とともに深く頭を下げた。
中国共産党による一党統治は、過ちを許さない「無謬性」が前提だ。…
中国のインターネット上では、薫氏の謝罪への反響が広がっている。「役人の大きな進歩だ」と評価する意見のほか、「謝罪だけでなく行動も『日本式』にしてほしい」と注文をつける声も相次いだ。
===== 引用 おわり
「市長、異例の日本式謝罪」、産経新聞(2016/7/25)
1.喜べない
2.無謬性
3.平和
4.「日本国と日本人は違う」で何が解決するのか
---
1.喜べない
「日本をお手本にせよ」と読めなくはないが、「日本のように謝罪せよ」では、嬉しくない
2.無謬性
特に判決後の南シナ海での中国の動向が、私には不思議に思えていたが、「無謬性」を国内だけではなく国際関係でも適用していると考えれば、必然的な反応であり、説明できる
彼らにとって必然的な反応であることは理解できるが、それでは困る
3.平和
ケーキを切り分ける
===== 引用 はじめ
勘のいい読者なら、カントのこうした形式への着目は公平性の問題に関わっていることに気づくでしょう。公平性とはまさに「自分だけは例外だ」「自分だけは許される」といった特別扱いを認めないことですから。
たとえば、欲深くて、すぐに争いごとを始める悪魔たちに、争いを起こさずにケーキを切り分けさせるためにはどうしたらいいでしょうか。彼らは欲深いので、均等にケーキを切り分けないすぐに「お前のケーキのほうが大きい」と争いごとを始めてしまいます。もちろん権力のある第三者がいて、その第三者がケーキを均等に切り分けてくれれば問題ないのですが、あいにく今回はそうした第三者がいません。悪魔たち自身がケーキを切り分けないといけないのです。
ポイントは、どの悪魔がケーキを切り分けても、自分の分だけ大きく切り分けないようにすることです。そのためには、ケーキを切り分けた悪魔が最後にケーキをとるようにすればいい。そうすれば欲深い悪魔たちは、最後に自分が受けと取るケーキが他人のものより小さくならないために、均等にケーキを切り分けざるをえないでしょう。つまり、「ケーキのどこにナイフを入れるか」という内容を定めるのではなく、「ケーキを切り分ける人には選択権がない」という形式を定めることで公平性が担保されるということです。
さらに言えば、ケーキを切り分けた悪魔が最後にケーキをとる、というルール(形式)は、外部から悪魔たちに押し付けなくても、彼ら自身によって考案されうるものです。ケーキのどこにナイフを入れるか、目の前のケーキをめぐっていつまでも争い合っているよりも、誰がケーキを切り分けても均等になるようにしたほうが、彼らにとって好ましいからです。
===== 引用 おわり
萱野稔人(2016/8)、カント「永遠平和のために」、100分de名著、NHKテキスト、P.86 – P.87
カントが言っていることは、その通りだと思う。しかし、
(a)
「自分だけは例外だ」「自分だけは許される」といった特別扱いを主張する
(b)
均等にケーキを切り分けようとしない。どれだけケーキを取るかは自分だけで決める
(c)
国際連合が「権力のある第三者」と定めた機関の決定を、国際連合で常任理事国でありながら認めない
(d)
「ケーキを切り分けた悪魔が最後にケーキをとるようにする」といったルールを認めない、あるいは一度認めても自分が不利になると破棄する
(e)
ケーキのどこにナイフを入れるか、誰がケーキを切り分けても均等になるようにするよりも、目の前のケーキをめぐっていつまでも争い合っているほうが、彼らにとって好ましい
このような国とどう付き合っていけばよいか、「永遠平和」を論じるカントさんの意見を聞いてみたいものだ。
4.「日本国と日本人は違う」で何が解決するのか
中国は時々「日本国と日本人は違う」と言う。ということは「中国人と中国は違う」とも言えそうだ。学校の教科書で徹底的に「日本が悪い」と教わってきた世代が中核になっている現在、日中友好は難しい。
中国人が日本に大勢来る今日、中国人が直接日本人に接する機会が増えている。中国人が日本人を好きになってくれれば良い方向に向かいそうに思うが、中国人が日本人を好きになるかどうかは、最終的には彼らが決めることだ。その一方、中国人が日本に来て、ルール違反、マナー違反を繰り返し、日本訪問中の外国人も含め(京都が中国人に「乗っ取られ」外国人の京都離れが進行しているとのこと)、多くの人が迷惑をしている。すべての中国人がそうだとは思わないが、日本人は中国人を、今のままでは好きになれそうにない。
「日中友好」という言葉は、耳触りが良いが、唱えているだけでは実現しない。
どうすればよいのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿