画面の説明

このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2016年7月8日金曜日

(552) 地域帰属型 → 会社帰属型 → 何処へ?


 日本では、戦後「日本的雇用」が確立し、現在は崩壊しつつある。私自身は「日本的雇用」のど真ん中で仕事をし、崩壊しつつある状態で会社生活を終えた。

 
 経済の中心が、第一次産業(農業、林業、漁業など)から第二次産業(製造業、建設業、電気・ガス業、工業など)にウエイトが移るにしたがい、人びとは、地方から都会へ移住した。つまり、住む場所が変わった。これは、人の生き方に大きく関わる。

 
 地方では「ご近所づきあい」が生活を支えていてくれていたが、移住によりこれが弱まった。都会にも「ご近所づきあい」があるが、強さが違う。第一に定住性がない。日本中から人が移ってきて「たまたま」近くに住んでいる。転勤があると、去っていく。第二に「ベッドタウン化」がある。忙しいサラリーマンは、朝、会社に行き、夜、家に帰ってくる。家(地域)は、寝るだけのための場所と化す。かろうじて専業主婦は、子ども連れで家に残り、細々と「ご近所づきあい」を続ける。これを私は、「地域帰属型」の弱体化あるいは崩壊と呼ぶ。


 
 “ Not live alone “(ひとりでは生きていけない)。我々が失った「地域帰属型」を補うものとして、「会社帰属型」への依存が始まった。日本的雇用の三大特徴である「終身雇用」「年功序列」「企業別組合」のうちの前二者が重要な意味をもつ。従業員のライフサイクルにわたり経済的に支えてくれる。能力主義というより、子どもの教育費など生活費が多く必要になる時期に給料が厚くなるように設計されている。しかもそれは「終身雇用」として、半ば保証されてきた(今、それが怪しくなってきている)。

 
 土日にも会社仲間とゴルフに行き、「地域帰属型」から「会社帰属型」に傾斜を強める。私が親を亡くし会社に連絡した時に、すぐに具体的に働きかけてくれたのが「お葬式はいつか。若い者を行かせる」である。お葬式は近所に頼らなくても、会社で応援するぞと言ってくれる。勤務時間中に仕事をさしおいて来てくれるのである。やさしい、良い会社であった。

 

 さて、本論に入る。

 私はここで、これから、「会社帰属型」の善悪を論じないし、弱まる「会社帰属型」への対処方法も論じない。

 
 (定年)退職を迎えるとは、「会社帰属型」を失うことである。“ Not live alone “(ひとりでは生きていけない)。失ったものの後に何を据えるのか。

 
 会社に行かなくなって、一日中家でゴロゴロしている。外に行こうにもどうしていいか分からないので奥さんの後をついていく(ぬれ落ち葉)。それでは、奥さんが気の毒である。

 
 それよりなにより、長年勤めあげてやっと終わったと思ったら、そのご褒美がこれか、寂しいではないか、と私は思ってしまうのだが、私だけだろうか。

 
 
 「会社帰属型」を失って、「地域依存型」もあまりあてにならない。しかし、“ Not live alone “(ひとりでは生きていけない)。じゃあどうすればいいのか???

と疑問を呈するところで今回は、終わる。次回に続く。

 

以下、ご参考

 
日本的雇用

===== 引用 はじめ

終身雇用、年功序列、企業別組合という三つの特徴をもつ日本の雇用制度。これらの特徴は雇用システムの三種の神器(じんぎ)ともよばれる。


戦後日本経済の高度成長を雇用面から支えたが、企業優先の制度が人々の暮らしのゆとりを奪い制約を与えたとして、1990年代から雇用の流動化や成果主義の必要性が唱えられるようになった。

 

 日本の伝統的な文化に根づく特殊な雇用慣行との見方もあったが、1972年(昭和47)に経済協力開発機構(OECD)が対日労働報告書で三つの特徴について分析。低賃金の未熟練者を長期安定的に技能訓練することで、労働生産性を高め、ライフスタイルにあわせて賃金をあげる普遍的システムとして世界的に知られるようになった。

 
経済学的には、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学教授ゲーリー・S・ベッカーが1964年に、教育・訓練を受けるほど労働生産性は向上し賃金も増大するという『人的資本』Human Capitalを発表し、日本的雇用の年功賃金や終身雇用の合理性を学問的に説明した。

===== 引用 おわり

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より

https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9A%84%E9%9B%87%E7%94%A8-1612742

0 件のコメント:

コメントを投稿