===== 引用 はじめ P.28
敗戦後の混沌とする日本と日本人に対し、「堕落せよ」と大胆に提言した坂口安吾。では、堕落することによって人はどう救われるのか。堕落の先にあるものは何なのか。
===== 引用 おわり
まず、『堕落論』の次の一節に注目してみよう。
===== 引用 はじめ P.28 – P.29
日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。
===== 引用 おわり
二種類の堕落がある
(1)
その先には人間の誕生・救いがある(建設的な)『堕落』
(2)
(普通の意味での)(身を持ち崩す)「堕落」
では、なぜ、あえて『堕落』という言葉を使うのか
===== 引用 はじめ P.34
私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建制度のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。
===== 引用 おわり
何故、『堕落』すれば救われるのか
(1)
「健全なる道義」から転落することを、普通「堕落」とよぶ
(2)
しかし「健全なる道義」が堕落している。そこから『堕落』することにより、真実の人間へ復帰できる
では、どんなことをするのか
… 欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが、先ず人間復活の第一の条件だ。そこから自我と、そして人性の、真実の誕生と、その発足がはじめられる。
===== 引用 おわり
『堕落』するには、
(1)
大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさる
(2)
赤裸々な心になり、厭な物は厭だといい、好きな物は好きだと言う
===== 引用 はじめ P.32
… 『カラクリ』という言葉は『続堕落論』のキーワードのひとつで、人間を安心させるために権力者がつくりだし、また人々も積極的に従ってしまう仕組みのことです。
===== 引用 おわり
「カラクリ」
(1)
人間を安心させるために権力者がつくりだし、また人々も積極的に従ってしまう仕組み
(2)
『カラクリ』という言葉は『続堕落論』のキーワードのひとつである
===== 引用 はじめ P.30 , P.32
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦争に立ち向かい土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終わることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い,又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか。
===== 引用 おわり
「カラクリ」と『堕落』
(1)
「健全なる道義」の背景に「カラクリ」がある
(2)
「カラクリ」を打ち破れるのが『堕落』である
===== 引用 はじめ P.32
… 日本人は、この巧妙なカラクリに歴史を通じて取り憑かれて自分の力で考えることをしなくなり、人間としての「正しい姿」を失ったと安吾は言うのです。
===== 引用 おわり
出典:
大久保喬樹(2016/7)、坂口安吾「堕落論」、100分de名著、NHKテキスト
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