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2016年7月7日木曜日

(551) 強い力の源


NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が面白い。終戦を迎え、世の中が大きく変わり、常子(主人公*)も大きく変わろうとしている。

*  家庭向けの総合生活雑誌『暮しの手帖』を設立した大橋鎭子さんがモデル

 
 今まで勤めていた出版社を辞め、独立して出版を始めようと決意した常子が、突然、退職したいと申し出た。いきなりの話に驚いた社長が、当然のことながら理由を聞いた。理由が大きく分けて、3群ある。

 

A:私の出したい本を出版したい
(今の小さな出版社にいては、実現するとしても随分先になる)

 
B1:お金。母と妹2人を養うのに、今の給料では足りない

B2:敗戦に打ちひしがれ困っている女性に役立つ本を出版したい

 
C1:独立して出版しようとすると失敗する可能性がある。しかし、今すでに、失敗している状態だ

C2:このままで行っても苦しくなる。今まで通りで何も変えないことこそ、リスクである

C3:従業員のままで新企画に取り組んでも、給料はあまり増えない。独立してうまくいけば、大儲けできるかもしれない

: ドラマでの発言 + 私の読み)

 

 Cは、客観的な状況の読みである。常子の読みは正しいと思う。ここの読みを間違えるとも変な結論になる。大切なところだが、今回はここを論点としない。

 
検討したいのは、

    AとBは、何が違うのか

    AとBの関係は、どうなっているのか

    そうだとして、何が言えるのか

 

    AとBは、何が違うのか

Aは、行動である

A:私の出したい本を出版したい

 
Bは、(実現したい)状態である

B1:お金。母と妹2人を養うのに、今の給料では足りない。
  ( 稼げるようになれば、家族が安心して暮らせるようになる)

B2:敗戦に打ちひしがれ困っている女性に役立つ本を出版したい
   ( 女性たちが元気になり、活躍できるようになる)

 

    AとBの関係はどうなっているのか、

Aの達成により、Bが可能になる。

 
A(私の出したい本を出版したい)のさらに向こうにB(家族が安心して暮らせる。女性たちが元気になり活躍できる)がある。

 
  「したいことはAだ」と言っても、

究極の目的はBであり、Aはその手段である

 

    そうだとして何が言えるのか

Aは、「私のために」である。(私の出したい本を出版したい)

Bは、「誰かのために」である。(家族の為に、女性の為に)

 

 『力の源』は、Aにもあるが、

 『強い力の源』は、Bにあると思う。

 

 「お前のしたいことは何か? やりたいことをやれ、やる気が起こるぞ」というのは、嘘ではない。しかし、困難に会うと、意外にもろい。したいと思っていたことをあきらめると、簡単にすべてが無くなってしまう。「本当にこれは私がしたいことなのか」と考え始めると、力が出なくなる。

 
 誰かの為に、何かの為に動こうとしたときに湧き出てくる力がある。それらは私の外にあるものであり、そう簡単にはあきらめられない。しかも、愛する誰か、愛する何かであれば、それは外にあると言いながら、内で私と一体化する。

 

 「私の為」ではなく「誰かの為・何かの為」の方が、持続的で強い力が出てくるのを実感することが多い。

自分を犠牲にしているのとは全く違う。

喜々として苦難に取り組む勇気が出てくる。

 
 こんな生き方があっても、いいのではないか。

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