NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が面白い。終戦を迎え、世の中が大きく変わり、常子(主人公*)も大きく変わろうとしている。
* 家庭向けの総合生活雑誌『暮しの手帖』を設立した大橋鎭子さんがモデル
今まで勤めていた出版社を辞め、独立して出版を始めようと決意した常子が、突然、退職したいと申し出た。いきなりの話に驚いた社長が、当然のことながら理由を聞いた。理由が大きく分けて、3群ある。
A:私の出したい本を出版したい
(今の小さな出版社にいては、実現するとしても随分先になる)
B1:お金。母と妹2人を養うのに、今の給料では足りない
B2:敗戦に打ちひしがれ困っている女性に役立つ本を出版したい
C1:独立して出版しようとすると失敗する可能性がある。しかし、今すでに、失敗している状態だ
C2:このままで行っても苦しくなる。今まで通りで何も変えないことこそ、リスクである
C3:従業員のままで新企画に取り組んでも、給料はあまり増えない。独立してうまくいけば、大儲けできるかもしれない
(↑: ドラマでの発言 + 私の読み)
Cは、客観的な状況の読みである。常子の読みは正しいと思う。ここの読みを間違えるとも変な結論になる。大切なところだが、今回はここを論点としない。
検討したいのは、
①
AとBは、何が違うのか
②
AとBの関係は、どうなっているのか
③
そうだとして、何が言えるのか
①
AとBは、何が違うのか
Aは、行動である
A:私の出したい本を出版したい
Bは、(実現したい)状態である
B1:お金。母と妹2人を養うのに、今の給料では足りない。
(→ 稼げるようになれば、家族が安心して暮らせるようになる)
B2:敗戦に打ちひしがれ困っている女性に役立つ本を出版したい
(→ 女性たちが元気になり、活躍できるようになる)
②
AとBの関係はどうなっているのか、
Aの達成により、Bが可能になる。
A(私の出したい本を出版したい)のさらに向こうにB(家族が安心して暮らせる。女性たちが元気になり活躍できる)がある。
「したいことはAだ」と言っても、
究極の目的はBであり、Aはその手段である
③
そうだとして何が言えるのか
Aは、「私のために」である。(私の出したい本を出版したい)
Bは、「誰かのために」である。(家族の為に、女性の為に)
『力の源』は、Aにもあるが、
『強い力の源』は、Bにあると思う。
「お前のしたいことは何か? やりたいことをやれ、やる気が起こるぞ」というのは、嘘ではない。しかし、困難に会うと、意外にもろい。したいと思っていたことをあきらめると、簡単にすべてが無くなってしまう。「本当にこれは私がしたいことなのか」と考え始めると、力が出なくなる。
誰かの為に、何かの為に動こうとしたときに湧き出てくる力がある。それらは私の外にあるものであり、そう簡単にはあきらめられない。しかも、愛する誰か、愛する何かであれば、それは外にあると言いながら、内で私と一体化する。
「私の為」ではなく「誰かの為・何かの為」の方が、持続的で強い力が出てくるのを実感することが多い。
自分を犠牲にしているのとは全く違う。
喜々として苦難に取り組む勇気が出てくる。
こんな生き方があっても、いいのではないか。
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