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2021年9月19日日曜日

(2460) ル・ボン『群衆心理』(3-2) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】指導者の思想や意見は、断言・反復・感染によって伝播し、人々の感情に固定され、やがて大きな勢力をもつに至る。明らかに不条理と思われる意見でさえ、群衆を引きつける。「威厳」と呼ばれる神秘の力を具える


第3回  20日放送/ 22日再放送

  タイトル: 操られる群衆心理

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)  群衆にとって「指導者」とは

(2) 「指導者」の実像

(3)  断言が群衆を魅了する

(4)  反復すれば嘘も本当になる

 

(5)  幻想に感染する群衆

(6) 「断言・反復・感染」の恐ろしさ

(7)  メディアの功罪

(8)  世論をうかがうメディア

(9) 「威厳」にどう立ち向かうか

 

【展開】

(1)  群衆にとって「指導者」とは

(2) 「指導者」の実像

(3)  断言が群衆を魅了する

(4)  反復すれば嘘も本当になる

 以上は、既に書きました。

 

(5)  幻想に感染する群衆

 『ある断言が、十分に反覆されて、その反覆によって全体の意見が一致したときには、いわゆる意見の趨勢なるものが形づくられて、強力な感染作用が、そのあいだに働くのである。群衆の思想、感情、感動、信念などは、細菌のそれにもひとしい激烈な感染力を具えている。』。十分に反復すれば新たな力、この「激烈な感染力」を手にすることができます。

 『意見や信念が伝播するのは、感染の作用によるのであって、推理の作用によることはあまりない。現在、労働者たちのいだく考えは、酒場で、断言、反覆、感染の結果、形づくられるのである。どの時代の群衆の信念も、これとは別の方法でつくられたことは、ほとんどなかった。』。その感染源としてル・ボンが「酒場」持ち出しているのは、興味深い。

 

(6) 「断言・反復・感染」の恐ろしさ

 …通常であれば考えられないことであってもやってしまう。 … 演説において断言・反復・感染を戦略的に駆使したヒトラーは、群衆を熱狂させ、思いのままに操作しました。ヒトラーの方法は、ル・ボンが『群衆心理』で説いたセオリーそのままです。

 政治家だけではありません。たとえば、「広報の父」とも称されるエドワード・バーネイズも、ル・ボンの書籍に多くを学んだといわれます。大衆心理を煽動するプロパガンダや消費行動に駆り立てる広告を立案する上で、『群衆心理』はかくも「有効」な古典なのです。断言・反復・感染の効果を利用して国や組織を率いようとする輩は、今後もひっきりなしに出てくるでしょう。

 

(7)  メディアの功罪

 ル・ボンは、指導者がいない場合には「極めて不十分ながら、定期刊行物が、指導者のかわりをすることもある」と指摘しています。この点についても触れたいと思います。

 「定期刊行物」とは、当時の主要メディアである新聞・雑誌を指しています。革命期のフランスでは、「人民の友」など新聞が世論の形成に一定の役割を果たしていました。

 『定期刊行物というものは、…自ら熟慮反省する労をはぶいてしまうのである。』。読者が考えなくていいように「意見をつくって」やる。指導者が群衆を操作する方法と同じく、自立性を剥奪する行為です。ル・ボンは、かつての「定期刊行物」が世論の暴走に歯止めをかけていたことを認める一方で、「もはやただ世論を反映するのみ」と断罪しています。

 

(8)  世論をうかがうメディア

 最近のテレビニユースは、何か事件が起こると、すぐに「街の声」を拾い集めるようになりました。 … 「世論の気配」をうかがい、「民衆の意見と意見の不断の変化」を頻々と伝え続ける。そうすることによって、自分たちがその問題に対してどういった立場にあるのか、問われないようにしているわけです。

 『群衆の掌中に陥りかけている文明は、あまりにも偶然に左右されるから、さして永い期間存続することはできない。文明の崩壊期を少しでもおくらせることのできるものがあるとすれば、それは、まさしく、極度に変動しやすい意見と、あらゆる一般的信念に対する群衆の次第に増大しつつある無関心さにほかならないであろう。』

 

(9) 「威厳」にどう立ち向かうか

 『威厳は、事実、ある個人なり、ある事業なり、ある主義なりが、われわれの心に働きかける一種の魅力なのである。この魅力が、われわれのあらゆる批判能力を麻痺させて、驚嘆と尊敬の念をもって、われわれの心を満たすのである。(中略)威厳こそは、およそ支配権の最も有力な原動力である。』

 『神々も英雄も教義も、強引に押しつけられるものであって、論議されるべきものではない。それらは、論議の的となるやいなや、消滅してしまうのである。』

 『久しいあいだ威厳を保つことのできた神々や人々は、決して論議をゆるさなかった。群衆から賞讃されるには、常に群衆をそばに近づけてはならない。』

 

<出典>

武田砂鉄(2021/9)、ル・ボン『群衆心理』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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