【 読書 ・ 100分de名著 】単純化されたイメージ(心象)でしか物事を捉えられない群衆は、強い言葉や印象的な標語、魅力的な幻想に、易々と引き寄せられていく、とル・ボンは指摘しています。ナチス・ドイツは、この原理で国民の支持を得た
第3回 20日放送/ 22日再放送
タイトル: 操られる群衆心理
【テキストの項目】
(1)
群衆にとって「指導者」とは
(2)
「指導者」の実像
(3)
断言が群衆を魅了する
(4)
反復すれば嘘も本当になる
(5)
幻想に感染する群衆
(6)
「断言・反復・感染」の恐ろしさ
(7)
メディアの功罪
(8)
世論をうかがうメディア
(9)
「威厳」にどう立ち向かうか
【展開】
(1)
群衆にとって「指導者」とは
単純化されたイメージ(心象)でしか物事を捉えられない群衆は、強い言葉や印象的な標語、魅力的な幻想に、易々と引き寄せられていく、とル・ボンは指摘しています。これは、集団を自分の思い通りに動かそうと企む人間にとってはたいへん好都合です。
そもそも群衆とは、「続率者なしにはすまされぬやからの集り」です。社会の上層部に属する人々でさえ、「単独でなくなるやいなや、ただちに指導者の掟に従う」
命令を受けた時は、「今、自分は命令されている」と意識して考えなければいけません。その感覚が麻痺すると、思考を止めることになり、ル・ボンが繰り返し指摘しているように、それこそが群衆化の第一歩となります。
(2)
「指導者」の実像
『指導者は、多くの場合、思想家ではなくて、実行家であり、あまり明晰な頭脳を具えていないし、またそれを具えることはできないであろう。なぜならば、明晰な頭脳は、概して人を懐疑と非行動へ導くからである。』
『宗教上、政治上あるいは社会上の信仰にせよ、ある事業、ある人物、ある思想に対する信仰にせよ、進行を創造すること、これが、特に、偉大な指導者たちの役割である。人間が駆使できるあらゆる力のうち、信仰は、常に最も強大なものの一つであった。』
『常に大衆は、強固な意志を具えた人間の言葉に傾聴するものである。群衆中の個人は、全く意志を失って、それを具えている者のほうへ本能的に向うのである。』
(3)
断言が群衆を魅了する
では、指導者たちは人々の考える力や意欲を奪うために、どのような手段を用いるのか。
ル・ボンは三つの方法を挙げています。『群衆の精神に、思想や信念――例えば、近代の社会理論のような――を泌みこませる場合、指導者たちの用いる方法は、種々様々である。指導者たちは、主として、次の三つの手段にたよる。すなわち、断言と反覆と感染である。これらの作用は、かなり緩慢ではあるが、その効果には、永続性がある。』
『およそ推理や論証をまぬかれた無条件的な断言こそ、群衆の精神にある思想を沁みこませる確実な手段となる。断言は、証拠や論証を伴わない、簡潔なものであればあるほど、ますます威力を持つ。』。非常に明確な分析です。断言する姿勢こそが重要なのです。
(4)
反復すれば嘘も本当になる
断言を「繰り返す」ことも、群衆に幻想を印象づけるためには極めて有効な手段です。
ル・ボンはいいます。『断言は、たえず、しかもできるだけ同じ言葉でくりかえされなければ、実際の影響力を持てないのである。真実の修辞形式はただ一つ、反覆ということがあるのみ、とナポレオンがいった。断言された事柄は、反覆によって、人々の頭のなかに固定して、遂にはあたかも論証ずみの真理のように、承認されるにいたるのである。』
政治家がこの手法を応用する時に狙っているのは、反復することで「あたかも論証ずみの真理のように、承認される」効果です。 … ヨーゼフ・ゲッベルスの発言として伝わっていますが、まさに「嘘も百回いえば真実になる」というわけです。
以下は、後に書きます。
(5)
幻想に感染する群衆
(6)
「断言・反復・感染」の恐ろしさ
(7)
メディアの功罪
(8)
世論をうかがうメディア
(9)
「威厳」にどう立ち向かうか
<出典>
武田砂鉄(2021/9)、ル・ボン『群衆心理』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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