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2021年9月30日木曜日

(2473) 日本語の造語能力の衰退? かつては「サイエンス」→「科学」

 【 日本語 ・ 造語 】日本では明治時代に「サイエンス」を「科学」と翻訳した苦労を通じて外来の文化・文明の正体を理解し消化、受容したことが日本の発展の基礎になったという。中国や韓国は。今でも漢字で造語。日本はカタカナ書きして短縮


 

1.   日本では明治時代に「サイエンス」を「科学」と翻訳した苦労を通じて外来の文化・文明の正体を理解し消化、受容したことが日本の発展の基礎になったという

 

2.   米国経由の新しい概念である英語の「セクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)

2.1.  日本ではカタカナを短くして「セクハラ」。日本でしか通用しない

2.2.  韓国では「性戯弄」と漢字語に翻訳して、韓国語読みで「ソンヒロン」と称している。現代の韓国人は漢字を使わないので意味がわからない。それでも漢字で言葉を作っている

 

3.   日本と中国の違い

3.1.  日本語ではカタカナ表記があり、最近は「インターネット」や「ソーシャル」といった言葉が幅を利かせている。折角作った「電池」も「バッテリー」になってしまった

3.2.  中国におる漢字への翻訳というか“漢字造力”は素晴らしい。たとえばテレビは「電視」だしコンピューターは「電脳」でスマホは「手機」といっている。

 

===== 引用はじめ

 今年も反日・愛国ムードが一段落した夏の終わりに「科学哲学」が専攻というある学者の論評が目にとまった(831日付、中央日報「科学という言葉を作り出した理由」)。日本が明治時代に「サイエンス」を「科学」と翻訳した苦労を紹介し、そうした苦労を通じて外来の文化・文明の正体を理解し消化、受容したことが日本の発展の基礎になったというのだ。

===== 引用おわり

 

<出典>

黒田勝弘 日本語の造語能力の衰退?

【から(韓)くに便り】 産経新聞(2021/09/30)

会員記事(有料)



(2472) ヘミングウェイの小説に見る孤独感

 【 孤独感 ・ ヘミングウェイ  】孤独感から免れるため友達をたくさん作ろうとする人もいますが、それだけでは、寂しさから免れるかもしれませんが、孤独感から解放されるとは限りません。人や友達の数・量ではなく、質の問題だと思います


 まわりに人がいなくて寂しいというのは、寂しいという感情であり、孤独感とは違うと思います。

 多くの人に取り囲まれて、友達もたくさんいるような人が孤独を感じ、一方、周りに人がいなかったり、友達がいないような人が孤独を感じていないこともあります。

 孤独感から免れるため友達をたくさん作ろうとする人もいますが、それだけでは、寂しさから免れるかもしれませんが、孤独感から解放されるとは限りません。人や友達の数・量ではなく、どのようなかかわりを持っているかの、質の問題だと思います。

 孤独感というと、普通、人の要素を考えるが、人に限るものではなく、大自然であったり、動植物であったり、思い出であったり、思い出の物であったり、思いであったり、希望であったりいろいろなものがあるでしょう。ペットの癒しは良い例だと思います。

 要するに、「自分の外」とのつながり感や一体感や共感などがあるかないか。これらを得るためには、自己完結では打開できずに、自ら、自らを取り囲んでいる壁を溶かしていくように働きかけが必要なのだが、過去にトラウマのようなものがあって、そのために自らの閉じこもってしまっている人が多いのではないでしょうか。そのような場合では、トラウマの克服が、孤独感解消のキーになるように思います。

 

 ヘミングウェイの小説を読んでいると、ヒントが得られるのではないでしょうか。

 

 ヘミングの小説の中で、「敗れざる者」は『老人と海』と驚くほどよく似ています。書かれたのは「敗れざる者」が1925年で、『老人と海』は50年頃ですから、『老人と海』の方が「敗れざる者」に似たと言うべきなのかもしれません。ともかくこの短編は、ヘミングウェイのごく初期の作品であるにもかかわらず、晩年に書かれた名作と、構成やテーマが共通しているのです。一方で異なる点もあります。孤独感が違うのです。

 

 『老人と海』では、老人サンチアゴは誰もいない洋上で一人、魚と闘いましたが、『敗れざる者』の闘牛士マヌエルの場合は衆人環視のうえ、何人も補佐役がいます。 … 補佐役がいくらいても、必ずしも彼らはマヌエルと運命を共にする仲間ではないのです。そういう意味では、マヌエルも孤独のうちに死に直面した老人と似ていると言えます。

 

 『老人と海』の物語を読んでみると、不思議と彼には一人ぼっちという感じがありません。それは、老人が自然に対して友愛の念を持っているからです。彼はとにかく自然に対して謙虚なのです。

 海は力でねじ伏せるものではない。大きな恵みを与えてくれる存在なのだ。老人はそんなリスペクトを海に対して持っています。

 海の生き物も老人にとっては敵ではなく仲間です。カジキが食いついた日の夜、二頭のイルカが舟の近くにやってきます。 … さらに彼は、昔、夫婦で泳いでいたカジキのうち雌を捕まえたら、雄がずっと付いてきたことを思い出し、ああいう愛情の形はいいなと思ったりします。

 

 『老人と海』で、最後には老人が勝ちます。

 この老人とカジキの闘いは、老いてなお屈強な漁師が「やってやった―」という印象はまったくありません。釣り綱のあちらとこちらにつながれ、綱を通してずっとコミュニケーションを取っていた二人。そのコミュニケーションがクライマックスに達し、両者の距離が一時的にゼロになった。一体化した。勝ち負けとは別の次元の高まりがそこにはあります。これはもう殺し合っていると同時に愛し合っているとも言え、心臓に錯を突き立てるところはエロティックにすら感じられます。

 

<出典>

都甲幸治(2021/10)、『ヘミングウェイ スペシャル』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

<添付写真>

https://team-blocks.com/post-236/



(2471) 『ヘミングウェイ スペシャル』(1-1) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】 文体にこだわりながらも、簡単で、誰でも読めるにもかかわらず、技術的にきわめて研ぎ澄まされていて、なおかつ内容が深い。そんな革新的な文章を生み出すことに成功したのがヘミングウェイなのです。


第1回  4日放送/ 6日再放送

  タイトル: 大いなる自然との対峙~『老人と海』①

 

【テキストの項目】

(1) アメリカ現代文学のバイオニア

(2) ヘミングウェイの戦争体験

(3) ヘミングウェイらしさの集大成『老人と海』

(4) 前半はカジキとの闘い

(5) 自然と結ぶ友愛

 

(6) 漁師の経験を読者にどう追体験させるか

(7) 大事なことは口にしない

(8) 対抗心から同情へ

(9) カジキとの一体化

(10)     エコロジカルなメッセージ

 

【展開】

(1) アメリカ現代文学のバイオニア

 アーネスト・ヘミングウェイ(18991961)は、アメリカ現代文学のパイオニアと呼べる作家です。ヘミングウェイ文学の特徴としてまずは、①文章が簡潔で語彙が少ない、②視覚の重視、③対話が少ない、などが挙げられます。

 ①は、単に言葉が平易というだけではなく、形容詞や副詞などの修飾語も極限まで省いてしまっています。また状況を丁寧に説明するようなことはしません。

 ②も非常に特徴的で、「いまこの瞬間」を視覚的に克明にとらえ、その描写の連続で世界をつくっていく。これはフイルムのコマの原理に似ています。

 ③そして、視覚が中心となる分、会話で物事が進んでいかない。

 

(2) ヘミングウェイの戦争体験

 ヘミングウェイは1899年、シカゴ近郊のオークパークという町で生まれました。1918年、赤十字の運転手を志願してイタリア戦線に赴きます。しかし、前線に到着後二週間余りで迫撃砲弾を受け、脚に重傷を負ってしまいます。すぐそばにいた兵士は死に、ヘミングウェイは負傷した同僚を背負って逃げたのですが、途中で膝を撃たれました。その後、病院に入院し、体に200個以上もあつた破片などの摘出手術を繰り返し受けることとなりました。

 この戦場での体験はヘミングウェイにとつて決定的なトラウマとなります。しかし彼は、その後も繰り返し戦場に向かいました。スペイン内戦には契約新聞記者として、第二次世界大戦には雑誌特派員として参加し、前線を取材しています。

 

(3) ヘミングウェイらしさの集大成『老人と海』

 『老人と海』はヘミングウェイの作家としてのキャリアの晩年に書かれた彼の代表作です。僕(=解説者)は、『老人と海』に描かれた自然との共存といったテーマが、今後ヘミングウェイを読んでいく上でより重要になると考えています。また、「簡潔な文体で深い世界観を描く」というヘミングウェイらしさが見事に表れている作品でもあります。

 「文章が簡潔で語彙が少ない」というヘミングウェイ文体は、主に二つの流れから生み出されました。一つは新聞記者としての経験、もう一つはモダニズム文学の影響です。

 ヘミングウェイは高校を出てすぐ、見習い新聞記者を(半年間)やっていました。また、第一次大戦後パリで暮らし、モダニズム文学の巨匠たちと親交を結んでいました。

 

(4) 前半はカジキとの闘い

 『老人と海』。前半は、老いた漁師が大きなカジキと闘ってそれを仕留めるまで。後半は、そのカジキを狙ってやってくるサメと老人との闘いです。後半の闘いでは、客観的に言って老人はボロ負けします。しかしこの後半の闘いが非常に重要なのです、まずは前半。

 キューバのハバナ近郊に暮らす老漁師サンチアゴは、84日間、一匹も魚が獲れない日々を過ごしていました。85日目の早朝、老人はいつものように少年マノーリンに見送られて小舟で海に漕ぎ出しました。 … 一匹のカジキが食いつきました。そこから、綱のあちらとこちらにつながれた、カジキと老人の一騎打ちが始まりました。 … そしてカジキが食いついてから三日日、とうとうカジキが前進をやめて旋回し始めました。格闘の末に横倒しになったカジキに、老人はついに、渾身の力を込めて銛を突き刺しました。

 

(5) 自然と結ぶ友愛

 老人は小舟に乗ってたった一人で海に出ています。客観的に見ると、老人はまったき孤独の中にいるように思えます。「孤高の老漁師」などと呼んでみたくもなりますが、物語を読んでみると、不思議と彼には一人ぼっちという感じがありません。それは、老人が自然に対して友愛の念を持っているからです。彼はとにかく自然に対して謙虚なのです。

 二日目にやってきたムシクイという小鳥は、かなり疲れた様子でした。

 『「なあ、チビ、たっぷり休んでいけ。それから陸のほうに飛んでいって、運試しをしてみろ。人間もそうするんだ。鳥や魚も同じこったろうが」しゃべっていると元気が出た。夜のあいだに背中が張って、かなり痛みだしていたのだ。』

 

 以下は、後に書きます。

(6) 漁師の経験を読者にどう追体験させるか

(7) 大事なことは口にしない

(8) 対抗心から同情へ

(9) カジキとの一体化

(10)     エコロジカルなメッセージ

 

<出典>

都甲幸治(2021/10)、『ヘミングウェイ スペシャル』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年9月29日水曜日

(2470) 他人の人幸せを祈っていると、祈っている人が幸せになる

 【 祈る ・ 幸せ 】 困った人のために一心に祈っている人がいる。その人自身が幸せになるという現象が、しばしば起こる。何故か。一心に祈るその姿を見て、神様がご褒美として、幸せにしてくれるのだろうか。私はそのような神様はいないと思う


 困った人のために一心に祈っている人がいる。その人自身が幸せになるという現象が、しばしば起こる。何故か。

 

 一心に祈るその姿を見て、神様がご褒美として、幸せにしてくれるのだろうか。私はそのような神様はいないと思う。

 

 困った人のために一心に祈っている人がいる。祈っても、祈ってもその人を直接幸せにしてあげる人はできないという事実に直面する。が、それでも祈らずにはおられない。一心に祈っていると、祈っている人の心が、次第に澄んでくる

 

 澄んだ心の中に漂っていると、今このようにして祈っている、他人のために祈ることができるということに感謝の念が起こってくる。

 

 意識が自分自身に向かい始める。今、ここにいる私は、私自身の努力だけでここに至ったのではないことに気づき始める。感謝の気持ちが出てくる。私のために何かをしてくれた人への感謝だけではない。私が今ここにいる、というそれだけのことにも感謝の念が起こる。

 

 感謝の念に包まれた人は、それだけで幸せを感じる。

 

 祈っていると心が浄化され、浄化された心に、今まで見えていなかった大切なものが見えてくる。そのことにより、その人が幸せになるのではないか。

 

<出典>

なし。オリジナル

 

添付のイメージ写真は、

https://www.rarejob.com/englishlab/column/20190104/



(2469) 『ヘミングウェイ スペシャル』(0) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】男らしさと力強さの象徴たる「パパ・ヘミングウェイ」ではない、性的曖味さに怯え、作家としての自信のなさに震えながら、とにかくがんばって作品を書いていた「弱い」ヘミングウェイの姿を読み取れるようになった


100de名著」 『ヘミングウェイ スペシャル』が、104()から始まります。Eテレ。

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

講師は、都甲幸治(翻訳家・アメリカ文学研究者・早稲田大学教授)

 

 

<全4回のシリーズ>  いずれも10

【はじめに】  二人のヘミングウェイ

 

第1回  4日放送/ 6日再放送

  タイトル: 大いなる自然との対峙~『老人と海』①

 

第2回  11日放送/ 13日再放送

  タイトル: 死闘から持ち帰った不屈の魂~『老人と海』②

 

第3回  18日放送/ 20日再放送

  タイトル: 交錯する「生」と「死」~「敗れざる者」

 

第4回  25日放送/ 27日再放送

  タイトル: 作家ヘミングウェイ誕生の軌跡~『移動祝祭日』

 

 

【はじめに】  二人のヘミングウェイ

 ヘミングウェイと言えば、アメリカの文豪、釣り好き、男らしさの象徴……。ヘミングウェイはまさにそのイメージを体現する人物、いわゆる「パパ・ヘミングウェイ」です。 … 

圧倒的に男っぽいマッチョ・ヒーロー。それがヘミングウェイのパブリック・イメージでした。彼が書く小説もその人物像に沿って読まれることが多く、いまでも「マッチョ小説の代表」として定着している作家だと思います。

 とごろが、実際に作品を注意深く読み、伝記的な事実を追っていくと、もう一つのヘミングウェイ像が見えてきます。たとえば性的指向が曖味で、あるときは同性愛的、あるときは異性愛的と揺れている。そして、決して強くもない。「この先輩作家に影響を受けたでしょう」などと人から言われると、必ず強硬に反論して、その先輩作家の悪ロを書いたりする。 … 性的に曖味で、人格的にも弱いという、「マッチョな文豪」とはまったく異なるヘミングウェイ像が見えてきます。

 ヘミングウェイは幼い頃、母親によって「女の子」として育てられていました。 … この幼少期の体験により、ヘミングウェイの性的アイデンテイテイは、女性と男性の両方が混じった、両性具右的なものとなっていったようです。

 

<出典>

都甲幸治(2021/10)、『ヘミングウェイ スペシャル』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



(2468) 孤独な人と孤独でない人との違い。愛されるか、愛するか

 【 孤独 ・ 愛 】 孤独から逃れようとして逃れられない人と、何故か孤独を感じない人がいる。その違いは何か (1) 誰かに愛されたいと願っている人は、孤独になる。(2) 誰かを愛している人は、孤独にならない


 知人と話をしていて、言葉に触発されて出てきた考えを書きます。

 

(1) 誰かに愛されたいと願っている人は、孤独になる

(2) 誰かを愛している人は、孤独にならない

 

(1) 誰かに愛されたいと願っている人は、孤独になる

 二つのことが言える。

 例外もあるだろうが私は、「愛されたいと願っている人」を愛したいとは思わないだろう。例外が起こるのは、例えば、一目ぼれである。

 愛する主体である「誰か」は、他人であり、当人ではない。だから、自らコントロールできない。愛されたいというのは、単なる願望であって、自ら叶える手段はない。

 

(2) 誰かを愛している人は、孤独にならない

 二つのことが言える。

 誰かを愛する人は、その相手の人が愛に応えないと、孤独になる。しかし、それにもかかわらず、愛し続けるなら、孤独にはならない。

 特定の誰かではなく、多くの人に愛を注ぐ人は、多くの人に愛され、孤独にはないだろう。多くの人に愛を注ぐことは、自分でできる。

 

 孤独を感じると人は、愛されることを期待する。

しかし、その期待が強まれば強まるほど、

孤独の闇は深くなる。

 

<出典>

なし。オリジナル

 

<添付写真>

https://nobuhiko-shima.hatenablog.com/entry/201802271



2021年9月28日火曜日

(2467)『ヘミングウェイ スペシャル』『群衆心理』 / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】 【来月予告】『ヘミングウェイ スペシャル』(「マツチョな文豪」の意外な実像に迫る)。【投稿リスト】ル・ボン『群衆心理』(善良な個人が狂暴化するとき)


【来月予告】 ヘミングウェイ『ヘミングウェイ スペシャル』 / 100de名著

 

202110月号 (100de名著)    テキストは、9月25日予定(NHK出版)

ヘミングウェイ『ヘミングウェイ スペシャル』。講師:都甲幸治(翻訳家・アメリカ文学研究者・早稲田大学教授)

 

 「マツチョな文豪」の意外な実像に迫る

 

 代表作『老人と海』、闘牛士を描いた初期短編『敗れざる者』、若きパリ時代の回想録『移動祝祭日』。この3作を読むことで、斬新な文体確立の過程や複雑な内面との葛藤が見えてくる。エコロジー、身体性、多文化性といった今日的テーマヘの関心から両性具有的な性向まで、ヘミングウェイを多層的に理解する一冊。

 

【投稿リスト】 ル・ボン『群衆心理』

 

公式解説は、

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/113_gunsyushinri/index.html

 

私が書いたのは、

 

(2443) ル・ボン『群衆心理』(0) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/08/2443.html

 

(2445) ル・ボン『群衆心理』(1-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2445.html

 

(2447) ル・ボン『群衆心理』(1-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2447.html

 

(2452) ル・ボン『群衆心理』(2-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2452.html

 

(2453) ル・ボン『群衆心理』(2-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2453.html

 

(2459) ル・ボン『群衆心理』(3-1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2459.html

 

(2460) ル・ボン『群衆心理』(3-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2460.html

 

(2465) ル・ボン『群衆心理』(4-1) / 100de

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2465.html

 

(2467) ル・ボン『群衆心理』(4-2) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.com/2021/09/2467.html

 

<出典>

武田砂鉄(2021/9)、ル・ボン『群衆心理』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年9月26日日曜日

(2466) ル・ボン『群衆心理』(4-2) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】『群衆心理』は、群衆を思いのままに操る裏ノウハウ本になります。しかし、裏を返せば、私たち市民にとっては抵抗のための参考書ともなりえます。SNSが発達した現代こそ、必読の一冊だと思います


第4回  27日放送/ 29日再放送

  タイトル: 群衆心理の暴走は止められるか

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)  群衆には「特性」がある

(2)  コロナ禍と群衆

(3)  群衆の特性を引き出す指導者は現れるか

(4)  教育は群衆化を防ぐ砦となりうるか

 

(5) 「暗示的な見解」の行間を埋めていく

(6)  ささやかな抵抗のために

(7) 「わかったつもり」の恐ろしさ

(8)  複雑な時代の必読書

 

【展開】

(1)  群衆には「特性」がある

(2)  コロナ禍と群衆

(3)  群衆の特性を引き出す指導者は現れるか

(4)  教育は群衆化を防ぐ砦となりうるか

 以上は、既に書きました。

 

(5) 「暗示的な見解」の行間を埋めていく

 群衆のエネルギーがポジテイブな方向にも働きうることを含め、その心理を探究していけば、「幾多の歴史的、経済的現象をも大いに明らかにす」ることができる。ル・ボンはそう考えていました。

 本書には、「著者が試みつつある探求の簡単な概説、単なる摘要にすぎないかも知れない。従って、この研究には、若干の暗示的な見解のみを求むべきである」と、言い訳するように書かれていますが、確かにその通りです。ここに絶対的な正解が書いてあるわけではありません。時代や状況に合わせて、一人ひとりがル・ボンの残した「暗示的な見解」の行間を埋めるように考え続けていくことが重要なのだと思います。

 

(6)  ささやかな抵抗のために

 ル・ボンが指摘するように、私たちは誰でも群衆になりえます。知らず知らずのうちに、自分も群衆となって暴走してしまうかもしれない。今も、そのなかにいるかもしれない。その自覚がないことが、まさに群衆の特性の一つなのです。

 「自分もこのなかにいる」と考えることは、思考の幅を広げることにつながります。「自分は違う」から「自分もそうかもしれない」と切り替えると、問いなおすべき課題や深く考えるべき課題が無数に出てきます。その「複雑さ」を「わかりやすさ」のふるいにかけてしまっては、元の木阿弥です。群衆に巻き込まれないようにするために、「わからない」状態を恐がってはならない。

 

(7) 「わかったつもり」の恐ろしさ

 第3回で、断言・反復・感染という群衆心理の操作手段を紹介しました。その効果は数々の歴史が実証済みです。したがって、群衆心理の負の側面に巻き込まれないためには、三つの手段を裏返して問いにすればいいのです。

 会話や議論をする時は、「そこから何がこぼれ落ちるか」ということをつねに考える。

 繰り返し目にする主張は、誰かによって反復されている可能性を考える。あるいは、同じ主張を反復することでその人が何を得ようとしているのかを考える。

 周囲と同じ意見をもつことが多くなったり、考えが画一化してきたと感じた際には、誰かが煽動した主張に感染していないか、いちど立ち止まって考える。あるいは、「自分の意見」だと思っているものが、本当に「自分の意見」なのかどうかを自問する。

 

(8)  複雑な時代の必読書

 価値観はこれからますます多様化し、世の中はどんどん複雑になっていくでしょう。私たちは、そのなかを生きていく以外の選択肢をもちません。とにかくシンプルに、できるだけわかりやすく、という昨今の風潮は、現実の複雑性を一時的になかったことにしようとするもので、必ず無理が生じます。複雑にからみあい、ぐねぐねと曲がりくねった現実に体を合わせるか、どうすれば合わせられるかを自分なりに考えて生きていくしかない。にもかかわらず、「わかりやすさ」に飛びついて無理やり押し切ろうとしたり、考えることを放棄して「無関心さに浸透されて」いったりすれば、必ず歪みが生じますし、結果的に心身を痛めることになると思います。

 

<出典>

武田砂鉄(2021/9)、ル・ボン『群衆心理』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年9月25日土曜日

(2465) ル・ボン『群衆心理』(4-1) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】群衆は事情次第で、単独の個人よりも優ることも、また劣ることもある。すべては、群衆に対する暗示の仕方如何にかかっている。(中略)確かに群衆はしばしば犯罪的である。しかし、またしばしば英雄的でもあるのだ


第4回  27日放送/ 29日再放送

  タイトル: 群衆心理の暴走は止められるか

 

【テキストの項目】

(1)  群衆には「特性」がある

(2)  コロナ禍と群衆

(3)  群衆の特性を引き出す指導者は現れるか

(4)  教育は群衆化を防ぐ砦となりうるか

 

(5) 「暗示的な見解」の行間を埋めていく

(6)  ささやかな抵抗のために

(7) 「わかったつもり」の恐ろしさ

(8)  複雑な時代の必読書

 

【展開】

(1)  群衆には「特性」がある

 群衆は暴走して、異分子を吊るし上げたり、凄惨な殺数に手を染めたりする。

 しかし、そのエネルギーが良い方向に発揮されれば、社会運動や革命という形で大きなうねりを生み、世の中を変える可能性もあるとル・ボンはいいます。

 具体例として挙げているのは、二月革命でテュイルリー宮に乱入した群衆です。彼らが装飾品を何一つ盗まなかったとして、暴徒や悪党であっても群衆になった途端に厳格な道徳を身につけることがあるといいます。群衆化によって徳性を具えた例といえるでしょう。

 つまり、群衆心理は必ずしも悪い側面ばかりではない。第4回は、ル・ボンのいう群衆の「徳性」に注目して、いかにすれば暴徒化を免れるかを考えていきたいと思います。

 

(2)  コロナ禍と群衆

 2020年、世界で最初に都市封鎖された武漢に在住する作家の方方が、『武漢日記』という本を出版しています。都市封鎖が強行された武漢から、60日間にわたって発信し続けたブログを一冊にまとめたものですが、この本にも地縁・血縁をはじめ、いろいろな形、様々なレベルで、困難を乗り越えるべく協力する人々の姿が記録されています。

 もちろん、徳性ばかりがみられたわけではありません。たとえば、マスクが品薄状態だった時期には、限られているマスクを隣人と分けあう人もいれば、買い占めて転売する人もいました。二つの動きは同時進行していたのです。道徳行為と反道徳行為のどちらに転ぶかは、結局のところ紙一重なのかもしれませんが、群衆心理がときにポジティブな方向に働きうることを、ル・ボンが書いていることは重要だと思います。

 

(3)  群衆の特性を引き出す指導者は現れるか

 群衆が暴徒と化すか、あるいは連帯して社会を変えていく力となるか。どちらに転ぶかは、群衆を率いる指導者の思想に依るところが大きい、とル・ボンは述べています。

 また、社会を変えうる発信者として、世界的なムーブメントを起こしたスウェーデンの環境活動家グレタ・トウーンベリや、女子教育の必要性を訴えてノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。その活動は称賛すべきですが、彼女たちを指導者として祭り上げようとしたり、その反対に彼女らを仮想敵にして人々を煽動したりする動きも起きていて、そこは注意しなければならないと感じています。

 

(4)  教育は群衆化を防ぐ砦となりうるか

 ル・ボンは、当時のフランスで行われていた、知識詰込み型の教育を批判しました。

 『判断力、経験、創意、気概などが、人生における成功の条件であって、教科書のなかで、それらを学ぶのではない。教科書とは、辞書のようなものであって、参考の資料とすれば役に立つが、その冗長な断片的知識を頭につめこむのは、全く無用のことである。』

 ル・ボンが批判しているように、教科書を鵜呑みにしている限り、群衆の精神は改善される見込みがない。裏を返していえば、群衆心理の暴走を防ぎうる教育があるとすれば、それは教科書のような「規範」に対し、違和感を投げかけるタイプの学びでしょう。

 

 以下は、後に書きます。

(5) 「暗示的な見解」の行間を埋めていく

(6)  ささやかな抵抗のために

(7) 「わかったつもり」の恐ろしさ

(8)  複雑な時代の必読書

 

<出典>

武田砂鉄(2021/9)、ル・ボン『群衆心理』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



2021年9月24日金曜日

(2464) 3~4の感染経路がある / 「空気感染」前提 予防訴え(1)

 【 コロナ ・ 感染経路 】感染経路は、四つあるいは三つに分類される。①空気感染(エアロゾル感染)。②マイクロ飛沫感染、③飛沫感染、④接触感染。専門家((1)CDC(2)WHO(3)厚生労働省、(4)西村氏)の意見は、少しずつ違う


 感染経路は、四つあるいは三つに分類される

 

  空気感染(エアロゾル感染)

  マイクロ飛沫感染

  飛沫感染

  接触感染

 

 このうち、①と②は違うという説と、同じだという説がある。

 

A)米疾病対策センター(CDC)は、コロナの主な感染経路として飛沫感染や空気感染を紹介。接触感染はまれだとしている。

B)世界保健機関(WHO)は、これら3つがいずれもあり得るという立場だ。

C)一方、厚生労働省は、せきなどから出る「マイクロ飛沫」という粒子に含まれたウイルスを吸引することによる感染は認めるが、「空気感染ではない」とする。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長も会見で否定している。

D)この政府見解に対し、真っ向から「否」と唱えるのが国立病院機構仙台医療センターの西村秀一ウイルスセンター長だ。「マイクロ飛沫感染」の概念について、「空気感染と呼ぶことから逃げているだけ」と批判し、まずはそこを認めなければ正しい対処ができない、と訴える。

 

<出典>

「空気感染」前提 予防訴え

産経新聞(2021/09/20)