画面の説明

このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2017年12月14日木曜日

(1086) 障害 / 『発達障害を理解する』(1)


      最新投稿情報
=====
(K0227) 「社会全体で予防 気づきと行動促す」 / 健康寿命延伸、認知症対策を探る(3) <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/12/k02273.html
=====

 

 「障害」について考えることは、「非障害者(だと思っている人)」にも有益である。
 

 昨日(12/13)、『発達障害を理解する ~ 大人の当事者の現状と支援について ~』(主催:神戸市発達障害者支援センター。於:兵庫県看護協会ハーモニーホール)を聴講した。

 講師は、NPO法人DDAC(発達障害をもつ大人の会)http://www.adhd-west.net/
理事長 広野ゆい さん。

 彼女とは、日本ロゴセラピーゼミナール http://www.geocities.jp/japan_logo_semi/
で共に学んだこともあり聞きに行ったが、思いのほか(というと失礼かもしれないが)素晴らしい内容だった。

 

 以下、聞いた話を参考にしているが、私の思うことを書いているので、文責は私にある。
 

(1) 「障害」について考えることは、「非障害者(だと思っている人)」にも有益である

(2) 「障害者」vs.「非障害者」という対立概念で考えると本当のことが見えにくくなる。すべての人が「障害者」であり、その種類はまちまちで、強度もまちまちである ~ という考え方もあるだろう

(3) 身体的な特徴は区別しやすい。「目が見えない」「耳が聞こえない」「片腕が無い」は「障害」と呼ばれるだろう。肌の色は「障害」とは呼ばないが差別の対象になりやすい。「太い」「細い」「背が高い」「背が低い」は「障害」とは呼ばないだろうが、「小人症」は「障害」と呼ぶだろう。身体的特徴のうち、どこまでを「障害」と呼ぶか、線引きは難しい

(4) 高齢者はそれだけでは「障害者」と呼ばないが、虐待に関する法律では障害者と同列に並ぶ。
http://kagayaki56.blogspot.jp/2017/11/10686.html
  高齢になって認知症やがんになると、めでたく「障害者」に昇格(?)できる。

(5) インフルエンザは「障害」と呼ばないが、がん患者は「障害年金」を利用できる。「障害年金とは、病気やけがによる障害のため、日常生活や働くことに支障が出た場合に支給される公的年金制度のひとつです」。ここでは「支障」が「障害」の基準になっている。因みに、感染性の病気は、感染源(ウイルスなど)が検出されるかどうかで「病気」か否か区別できる
http://ganclass.jp/support/column/

(6) 同じ「病気」でも、精神障害は区分が難しい。「発達上の問題や統合失調症、うつ病や双極性障害といった気分障害や、パニック障害といった不安障害、性機能障害、また薬物依存症といった物質関連障害など様々な症状を呈する状態がある。知的障害やパーソナリティ障害が含まれる。診断された者は精神障害者と呼ばれる」(Wikipedia)。「診断された者」とあるが、どうみても「診断されていない精神障害者」もいる。すべての人が「精神障害」的要素を抱えていると言ってもよいだろう。「日常生活や働くことに支障が出ていない」だけである。「発達上の問題」も精神障害に含まれる

(7) 「発達障害者支援法」が施行されたのは2005年であり、それまでは「発達『障害』」は存在しなかった

(8) 2005年以前にも、ADHD(注意欠如・多動性障害)、ASD(自閉症スペクトラム障害)、LD(学習障害)は存在していた。広野氏は「ADHDと診断されたときは嬉しかった。原因がわかったからである。2005年法施行で自分たちは障害者だとされて怖かった。障害者は排除されると思ったからである」と述懐した。

なお、PDD(広汎性発達障害)という言葉もある。正確にはPDDのなかの、(1)自閉症、(2)アスペルガー症候群、(3)その他の広汎性発達障害(非定型自閉症)の三つの障害がASDに相当する。https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%9A%9C%E5%AE%B3-1548719

(9) 広野氏によれば「ADHD、ASD、LDの各々の特徴は違うが、併発し、かつ各々の境界線は明確ではない」

(10) 広野氏によれば「発達障害はDisability ではなく Disorder である」

===== 引用はじめ
Disability は 能力を欠く という意味で、不可能というニュアンスをもちます。
Disorder は 秩序が乱れる という意味があり、変化の可能性が感じられます。

Disability の方へは、失われた機能を補うかたち、サポートする形の支援が必要になります。
Disorder の方へは、乱れた秩序を整える=その人に合うように環境を整える、工夫するという支援が必要になります。

当然ながら、Disability の方への支援とDisorder の方への支援のあり方は変わります。
===== 引用おわり
http://byouinkeiei.jp/archives/723

(11) 広野氏によれば「発達凸凹+適応障害=発達障害」という式があるそうだ。発達凸凹とは「認知(知覚・理解・記憶・推論・問題解決)の高い部分と低い部分の差が大きい人」である。ADHD、ASD、LD自体は「障害」ではなく「発達凸凹」である。これに適応障害(併存症など)(二次障害)が加わることによって狭義の発達障害になる

===== 引用はじめ
発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達のアンバランスさ・凸凹(でこぼこ)と、その人が過ごす環境や周囲の人との関わりのミスマッチから、社会生活に困難が発生する障害のことです。

発達障害の特性から生きづらさを感じたり、生活を送る上で困難が生じたりすることがあります。そんな困り感からストレスを多く感じ、適応障害になることもあります。

友達とのコミュニケーションがうまくとれなかったり、自分の居場所を見つけられず孤独感を感じたりといった、発達特性と周囲の環境との不適応経験が、本人にとっての強いストレスとなる場合があります。そのため、発達障害の二次障害として適応障害が発生することは考えられます
===== 引用おわり
https://h-navi.jp/column/article/35025867

(12) 適応障害の発生を抑制できれば、ADHDもASDもLDも障害ではない。不便はあるが、工夫により、乗り越えられることが多い。バリバラの玉木幸則さんの「脳性まひに生まれて良かった」という言葉に衝撃を受けたと広野氏は言う。「ASDは能力である。もの凄い勢いで集中できる」「私は発達障害でよい。それで、何ができるかだ」

 

 すべての人は「発達障害的要素」を持っていると思う。それを押さえつけるのではなく、その特性をうまく生かしてやる。「非発達障害者」にはできないことを、発達障害者の側面を使うとできることもある。「発達障害」は個性であり、否定的な側面が注目されるが、肯定的な側面ももつ。


 なお、次の(1)においても、「障害者」について論じている。
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/12/k0222.html

 
 ここまでしつこく書く私には、「アスベルガー的才能」があるかな♪

0 件のコメント:

コメントを投稿