「老人ホームは死を間近にした人たちがいるところなので、死に関する話はタブーだと思われているようだが、必ずしもそうではない」と読んだことがある。
「『今日もお迎えは来なかった』と日常会話で淡々と死が語られる。タブーにはなっていない。もちろん、死を恐れ、聞きたくない・考えたくもない人もいる。一般的に言うと60代に多く、その後は年をとるにつれて、死を恐れる気持ちは弱まる」という趣旨だったと記憶している。
===== 引用はじめ
… 年齢のせいか近頃は『死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった』…『以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが』…
===== 引用おわり
三木清も、普通の人と同じところもあるのだと、ちょっと安心した。
『コンヴァレサンス(病気の快復)としてしか健康を感じることができない』
『生に対して絶対的な「他者」である死こそ、それに於いて我々が生を全体的に眺め得る唯一の立場である』
私の言葉に書き直すと
「健康である間は、健康とは何かがわからない」
「死を考えてこそ、生とは何かがわかってくる」
死を考えることは、生を考えることに他ならない。
私は、生きていきたい。
ここで言う「生きる」「死ぬ」は、生物学上・医学上の「生死」ではない。
ところで『絶対的な「他者」』という言葉で、何を表そうとしているのか。
私たちは死を、生からの類推で考えてしまいがちです。一日が終わると眠りにつくように、人生の終わりには「永遠の眠りにつく」という言い方をしたり、現世と同じように「来世での暮らし」を思い描いたりしてみたり。しかし三木は、死は生に対して「絶対的な他者」であり、生のイメージからは得られない別次元のものだと言います。 … 生の延長上にイメージされる死は、死そのものではないのです。
===== 引用おわり
パスカルは、死の不安と直面することから目を背けることを「慰戯」と呼んだ。慰戯とは気休め、気晴らし、憂さ晴らしという意味である。
しかし三木は、死から目を背けるだけでなく、死を意識することも慰戯になり得ると考えていた。いつも死のことばかり考えていると、生きることが疎かになってしまう。
過剰に恐れて背を向けるのでも、心を囚われてしまうのでもなく、「死の平和」を感じることで初めて人間はよく生きることができると三木は語っている。
妻・喜美子さんの死に際し、『どんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来る』ことを目の当たりにし、『愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに従って、死の恐怖は反対に薄らいでゆくように思われる』と三木は書いている。
引用:
岸見一郎(2017/4)、三木清『人生論ノート』、100分de名著、NHKテキスト
写真:喜美子夫人は1936(昭和11年)8月6日に逝去。このとき一人娘の洋子は、まだ五歳だった。
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