~ 『100分で名著』 4月3日(月) 22:25 – 22:50 Eテレ 放映 ~
※ 前回・前々回の「4月5日(月)」は誤記。3日が正しい。
(1) 人生は「希望」である
人生は何があるかわからないし、人生は自分で拓くものだ。
(2) 失われるなら、それは「希望」ではなく「欲望」「目的」「期待」だ
本来の希望とは「決して失われることのないもの」であり、それは「生命の形成力」だと三木は言う。命をつなぎ、人生を紡ぐという意味だろう。
(3) 「断念」するから「希望」をもてる
多くの事を諦めたけれど、最後の最後に残ったものについて「これこそ自分が本当に希望していたものだ」と思えるのなら、どれほど多くの夢を諦めたとしても、夢を叶えた人生だといえるだろう。
<各論>
(1) 人生は「希望」である
===== 引用はじめ ( P.37-P.38 , P.39 )
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。
人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。
===== 引用おわり
すべてが決まっていると占いを信じれば、人生はつまらないし、希望も持てない。希望が持てなければも努力したり工夫したりする気も起きない。
でも、人生は何があるかわからないし、人生は自分で拓くものだ。
(2) 失われるなら、それは「希望」ではなく「欲望」「目的」「期待」だ
===== 引用はじめ ( P.40 )
この人と結婚したい、こんな家に住みたい、会社で出世したい -。 願うことは人それぞれ、いろいろあると思います。しかし、それは「希望」ではなく、欲望であり、目的であり、期待ではないかと三木は問いかけます。
===== 引用おわり
本来の希望とは「決して失われることのないもの」であり、それは「生命の形成力」だと三木は言う。生命の形成力とは、生きることを形成する力。命をつなぎ、人生を紡ぐという意味だろう。
(3) 「断念」するから「希望」をもてる
===== 引用はじめ ( P.42 )
断念することをほんとうに知っている者のみが本当に希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
===== 引用おわり
多くの事を諦めたけれど、最後の最後に残ったものについて「これこそ自分が本当に希望していたものだ」と思えるのなら、どれほど多くの夢を諦めたとしても、夢を叶えた人生だといえるだろう。
諦めることが放棄することだとしたら、三木の言う「断念」は真の希望につながる。
引用:
岸見一郎(2017/4)、三木清『人生論ノート』、100分de名著、NHKテキスト
写真 「臨危不変」
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