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2021年8月27日金曜日

(2438) アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(4-1)

 【 読書 ・ 100de名著 】歴史とは編年的に事実を確定させていくものであり、それに対して自分が書いている作品は、ある出来事が起きたときに人々がどんな感情を持ったか、という極めて文学的な関心を満たすものだ


第4回  30日放送/ 32日再放送

  タイトル: 「感情の歴史」を描く

 

【テキストの項目】

(1)  歴史学と文学の違い

(2)  苦しみの言葉は時を超える

(3)  トラウマ ―― 終わらない戦争

(4)  共感=エンパシーの力

(5)  ドイツ人へのエンパシー

(6)  動物や自然への共感

(7) 「自由かパンか」

 

【展開】

(1)  歴史学と文学の違い

 アレクシエーヴィチは、「人間がどのように振る舞ったか」ではなく「どのように感じたのか」という、主観的経験を引き出して作品を作り上げました。客観的事実を突き止めようとする歴史家のスタンスとは違い、人間の感情や魂を重視するそのインタビューの仕方、関心の有りようを、彼女自身は「人文学者の目で世界を見る」と表現しています。

 アレクシエーヴィチは、自らの作品を「声によるロマン」と表現します。「ロマン」は、ロシア語では長編小説のことですから、「声による小説」というわけです。彼女の文学は、…たくさんの登場人物がいて、プロットや流れがある、一つの自立した文学作品になっています。アレクシエーヴィチの文学の本質を表すとき、「声によるロマン」という比喩は、最も分かりやすいものだと思います。

 

(2)  苦しみの言葉は時を超える

 「苦しみというのはそれ自体が芸術です。人は苦しむと、気高い声で話すようになります。作者にはとても手が届かないような気高い声です。作者は自らのいるべき場所をわきまえなければなりません。気高い話の後で作者が哲学を語る必要はないと思うのです」

 続く「だから私は自分の言葉を付け加えないのです」という言葉に、私(=解説者)は深く納得しました。苦しみから発せられる言葉は、時代の制約から解放され、時間を超越し、普遍的なものに昇華する。そんなアレクシエーヴイチの信念が伝わってきました。

 『戦争は女の顔をしていない』は、…日本では2019年から漫画化され、これまでロシア文学に触れることのなかった人にも、この作品が知られるきっかけになりました。

 

(3)  トラウマ ―― 終わらない戦争

 作中でも特に凄惨を極める経験とトラウマの証言を残しているのが、リュドミーラ・ミハイロヴナ・カシェチキナです。地下活動家だったリュドミーラは、戦中、ナチスに捕まり、拷間を受けました。

 (略)

 トラウマが残る経験、女性への差別、捕虜への不当な扱い。リュドミーラの証言には、戦争と「スターリン時代」の恐ろしさを象徴的に表すエピソードが詰まっています。リュドミーラは、戦時中も、戦後も、そして、ナチスからも、ソ連の当局からも、何重にも傷つけられました。こうした人たちのトラウマは、本当に深いものだっただろうと思うのです。

 

(4)  共感=エンパシーの力

 アレクシエーヴィチは、トラウマを抱えた人たちに寄り添い、時にともに涙しながら、自分のことのように心を寄せて証言を取ります。彼女の中にあるのは、自分より少し下の立場の人に対する哀れみを意味する「同情」ではなく、対等な立場にいる相手に感情移入する「共感」なのだと思います。他者の苦しみや悲しみに感情移入することができる、優れた感性を持ったアレクシエーヴィチだからこそ、この作品を生み出すことができたのでしょう。

 また、アレクシエーヴィチが深く共感しながら話を聞いたことは、証言者たちにとって、ある種の癒やしにもなったと考えられます。…証言することが彼女たちの気持ちを整理し、心の傷を少しでも癒やすものになっていてほしい。そんな願望を持たずにはいられません。

 

 以下は、後に書きます。

(5)  ドイツ人へのエンパシー

(6)  動物や自然への共感

(7) 「自由かパンか」

 

<出典>

沼野恭子(2021/8)、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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