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2021年8月10日火曜日

(2421) 努力が報われる世界(1) / 東京オリンピックを振り返って

 【 オリンピック ・ 努力が報われる 】 私たちの心を「動かしている」。その「心が動く」が、応援しているもの、観戦しているもののなかに起こってくる。これが「感動」ではないか。勝者だけでなく「敗者」も我々を「感動」させる


 オリンピック開催について賛否が分かれている。功罪、両方あったのではないか。こでは、「功」の方を取り上げる。

 

 柔道の大野将平選手が金メダルを獲得した際のインタビューで、「何か伝わるもの、感じるものがあればうれしく思う」と発言した。何かとは何だろうか。

 それは「努力すれば報われる」と信じられる世界があることではないだろうか ~ 江上剛さんは、このように解釈した。

 

 なぜ私たちは選手たちの活躍にこんなにも心を動かされるのだろうか。

 競泳の池江璃花子選手がオリンピック出場決定の際、「努力は報われる」と発言し、涙を流した。あの言葉に私たちの感動の源があると思う(江上剛)。

 

 では、メダルを獲得したものだけが「努力を報われた」のだろうか。

 選手たちは勝敗に関係なく努力が報われた者たちなのだ。もちろん、努力だけではないだろう。オ能、環境、両親を含む支援者などの存在がなければ、この晴れ舞台には立つことはできない。しかしそれらを引き寄せるのは選手たちの努力があってこそだ(江上剛)。

 

(ここからは藤波の意見)

 思うような成績をあげられなかった「敗者」たちはインタビューにどう応えているか。

 二種類あるように思った。(期待した成績を上げられなくても)オリンピックに出場できたことを「努力が報われた」と感じた人。一方、良い成績を上げられなくて「努力が報われなかった」と感じている選手もいる。そのどちらにも心を動かされる。

 前者からは、喜びと感謝の気持ちが伝わってくる。後者からは、悔しさの気持ちが伝わってくる。オリンピックのような大舞台ではないが、我々も日常生活で悔しいことがあり、努力が報われなかったと感じることもある。そこに重ね合わせているのではないだろうか。いずれにせよ、私たちの心を「動かしている」。その「心が動く」が、応援しているもの、観戦しているもののなかに起こってくる。これが「感動」ではないか。勝者だけでなく「敗者」も我々を「感動」させる。

 インタビューを聞いていると悔しさが、純粋に伝わってくる。そこから「恨み」は、伝わってこない。号泣しているサッカーの久保建英選手の姿から、強い悔しさは伝わってくるが、恨みは伝わってこない。そこに不純な、醜いものは感じない。だから、我々も素直に感動できるのだろう。スポーツのよいところだ。

 久保建英選手は、「努力が報われなかった」と思って、努力しなくなるだろうか。絶対にそんなことは起こらないだろう。さらに努力を重ね、さらに素晴らしい選手に成長していくだろう。

 その姿に私たち自身を重ね合わせるとき、私たちにも勇気がわいてくる。

 

<出典> 作家・江上剛さん

努力が報われる世界 確信

産経新聞(2021/08/04)

格差克服、次世代伝える「努力の価値」

https://www.sankei.com/article/20210803-7PT2CISSLNMIHF2MU2434FXLPE/?outputType=theme_tokyo2020

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