【 読書 ・ 100分de名著 】私は気を取り直して引き金を引いた。彼は両腕を振り上げて、倒れた。死んだかどうか分からない。そのあとは震えがずっと激しくなった。恐怖心にとらわれた。私は人間を殺したんだ
第1回 9日放送/ 11日再放送
タイトル: 証言文学という「かたち」
【テキストの項目】
(1)
「これは女の仕事じゃない」
(2)
「ユートピアの声」五部作
(3)
証言文学という創作手法
(4)
五百人を超える「声」の合唱
(5)
証言文学は「生きている」
(6)
証言が響き合い、浄化し合う
(7)
「小さな人間」の声を拾い集めて
(8)
多声性によって描かれる輪郭
(9)
「大文字の文学」が取りこぼしてきたもの
【展開】
(1)
「これは女の仕事じゃない」
「これは女の仕事じゃない、憎んで、殺すなんて。」マリヤはこの後も戦場で戦い続け、後年の新聞記事によると「75人を殺害し狙撃兵として11回表彰を受けた」といいます。
旧ソ連地域では、マリヤのような若い女性が百万人近くも、第二次世界大戦(大祖国戦争)に従軍したと言われています。この本は、アレクシエーヴィチ自身がソ連全土の女性たちを訪ね、時に言葉を失い、時に涙する彼女たちの話をていねいに聞き取ることによって生まれました。そして、私たちにとっては、「ごく平凡な話」でも「ありふれた少女の話」でもないマリヤの証言が、「どこにでもいた」少女たちが実際に経験した痛みや苦しみであることを、読み手に突きつけてくる作品です。
(2)
「ユートピアの声」五部作
アレクシエーヴイチは、現在までに六編の主たる作品を発表しています。1985年、最初に発表したのが『戦争は女の顔をしていない』と、第二次世界大戦中に子供だった人の証言を集めた『最後の証人たち』(邦題『ボタン穴から見た戦争』)の二作品です。その後、91年にアフガニスタン戦争に焦点を当てた『亜鉛の少年たち』(邦題『アフガン帰還兵の証言』。以下邦題で表記)、92年に『死に魅入られた人びと』、97年にチェルノブイリ原発事故の遺族や被災者の声を集めた『チェルノブイリの祈り』、2013年にソ連崩壊後の社会を描いた『セカンドハンドの時代』が出版されました。このうち、四作目の『死に魅入られた人びと』は、その大部分が六作目の『セカンドハンドの時代』に組み込まれています。
(3)
証言文学という創作手法
そのころ、新聞や雑誌のジャーナリストだったアレクシエーヴィチは、自分が書きたいことをどういう形式で表現すればいいのか、見つけられずにいました。しかし、『燃える村から来た私』(アダモヴィチ)を読んだとき、これこそ自分が探していた形式だ、とピンときたといいます。このとき、彼女は自分の「生きる道」を見つけたのだと思います。
アダモヴィチから受け継いだ手法を用いて、アレクシエーヴィチは「ユートピアの声」五部作を書きました。聞き取り取材、録音、テープ起こし、証言の選択、構成という執筆のプロセスや形式は、すべてに共通するものです。『戦争は女の顔をしていない』というこの本のタイトルも、アダモヴィチ『屋根の下の戦争』に登場するフレーズです。
(4)
五百人を超える「声」の合唱
この五部作は、証言の合間に挟まれるアレクシエーヴィチ自身の言葉が、ほかの証言文学に比べても、極端に少ないのです。「この人はこんな人だった」「この証言について、自分はこう思う」といった著者本人の説明や考えがほとんどなく、非常にストイツクに証言がつづられていきます。
アレクシエーヴィチは「(自分の)声を消そうと思っているわけではないのだけれど、証言の重みに比べたら、自分の言葉は文学的ではない」と言うのです。それはつまり、証言の言葉、本当に苦しんだ人の言葉は、とても気高くなり、それ自体が文学的になっていく、という意味だと思います。
以下は、後に書きます。
(5)
証言文学は「生きている」
(6)
証言が響き合い、浄化し合う
(7)
「小さな人間」の声を拾い集めて
(8)
多声性によって描かれる輪郭
(9)
「大文字の文学」が取りこぼしてきたもの
<出典>
沼野恭子(2021/8)、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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