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2021年8月9日月曜日

(2419) アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(1-2)

 【 読書 ・ 100de名著 】たとえ一つ一つの証言に嘘や偽りがあっても、それらがたくさん集まることで、互いに是正され浄化される。いろいろな人のいろいろな証言が、響き合い、浄化し合い、作品の大きな輪郭を作っていく


第1回  9日放送/ 11日再放送

  タイトル: 証言文学という「かたち」

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1) 「これは女の仕事じゃない」

(2) 「ユートピアの声」五部作

(3)  証言文学という創作手法

(4)  五百人を超える「声」の合唱

 

(5)  証言文学は「生きている」

(6)  証言が響き合い、浄化し合う

(7) 「小さな人間」の声を拾い集めて

(8)  多声性によって描かれる輪郭

(9) 「大文字の文学」が取りこぼしてきたもの

 

【展開】

(1) 「これは女の仕事じゃない」

(2) 「ユートピアの声」五部作

(3)  証言文学という創作手法

(4) 五百人を超える「声」の合唱

 以上は、既に書きました。

 

(5)  証言文学は「生きている」

 『戦争は女の顔をしていない』は、1985年に出版され、2004年に増補版が刊行されています。その増補は、ほかの作品では例を見ないほど大がかりなものです。

 アレクシエーヴィチは、証言文学を「生きている文学」だと言います。それは、常に加筆修正する可能性を持っている、ということを意味します。また、人の証言自体も、確定したドキュメントではなく、「生き物」だと捉えています。これは、大変面白い考え方です。

 ペレストロイカという大きな時代の変化があり、次第に言論の自由が広がっていくにつれ、かつて証言してくれた何十人もの人が自ら発言を訂正しようとしたり、もっと自由に話したがったりしたために、加筆せざるを得なかつたのです。

 

(6)  証言が響き合い、浄化し合う

 人の記憶とは、あいまいなものです。誰かに聞いた話を自分のことだと思い込んでいたり、過去を美化していたりすることもあります。アレクシエーヴィチ自身も、証言者が話を誇張したり美化したりしている可能性があることは分かっています。

 たとえ一つ一つの証言に嘘や偽りがあっても、それらがたくさん集まることで、互いに是正され浄化される、というのが彼女の考えです。いろいろな人のいろいろな証言が、響き合い、浄化し合い、作品の大きな輪郭を作っていく。そうした考え方もまた、アレクシエーヴィチの証言文学の特徴であり、面白さだと思います。

 書き言葉の作家ではなく話し言葉の作家、「耳の作家」なのだと自ら言いました。

 

(7) 「小さな人間」の声を拾い集めて

 『戦争は女の顔をしていない』をはじめ、五部作の証言者に、有名な政治家や軍人はいません。ほとんどすべて市井の人々です。その人たちをアレクシエーヴィチは「小さな人間」「ちっぽけな人間」と表現しています。

 数々の作品に登場する「小さな人間」を見ていくと、それぞれ抱えている問題はさまざまですが、どの人物も、恵まれない境遇に身を置き、虐げられ、侮辱されているだけでなく、それまで持っていたもの、手にしたものを奪われ、失い、大きな喪失感を味わっているという共通点があることが分かります。 … 「小さな人間」の声を拾い集め、配置し、流れをつくることが、作者としてのアレクシエーヴィチの作業でした。

 

(8)  多声性によって描かれる輪郭

 … その声は、バラバラで互いに矛盾していたり、論理的ではなかったり、言葉にならない慟哭だったりします。それらをすべて合わせて、彼女は作品を作り上げました。証言の切り貼りもしたでしょうし、長い証言のどの部分をどこにはめ込むか … その過程を、アレクシエーヴィチ自身は、作曲にたとえています。

 一つひとつの声は音の素材であり、それを集めて構成し、交響曲を作曲していく。その曲は、必ずしも美しいハーモニーだけが鳴り響いているわけではありません。

 「ユートピアの声」五部作は、アレクシエーヴィチが、多声性によって、社会主義とは何だったのか、ソ連とは何だったのかという実像の輪郭を見事に描き出した作品群なのです。

 

(9) 「大文字の文学」が取りこぼしてきたもの

 『戦争は女の顔をしていない』は、「小さな人間」という「個」の声が響き合う。「男の言葉」で語られてきた戦争を「女性の語り」によって解体しました。

 理想の社会主義社会、「赤いユートピア」を建築しようとしたソ連では、そのイデオロギーに沿った歴史が、いわば「大文字の歴史」として残されました。

 女性の語りは、非論理的だとか、非合理的だとかいった言葉で不当におとしめられ、ステレオタイプ的に「生活密着型の単なるおしゃべり」「男性の言説に比べて下に位置する」とみなされてきた側面があります。しかし、アレクシエーヴィチはその女性の語りに光を当て、価値を見出し、「大文字の歴史」が取りこぼしてきたものをすくい上げていきます。

 

<出典>

沼野恭子(2021/8)、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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