東日本大震災に関連して、色々な話をきいた。なかでも印象に残っている話を紹介する。
迫りくる津波から家族が逃れようとして車に乗った。孫が取り残されているのに気付いたおばあさんは、引き返して孫を車に放り込んで「行って」と叫んだ。お父さんは間に合わないと判断し、急発進させた。家族が振り向くと、おばあさんは嬉しそうにバンザイしながら、津波にさらわれていった。
悲しい話だが、それでもおばあさんは、幸せだっただろうなと思う。
これは極端な例で、日常茶飯事ではない。
「私ほど大切なものはない」のであれば、死は絶望に他ならない。
人を愛している、愛している人がいる、と状況が一変する。
人だけではない。
宗教、信条、同胞、祖国、様々なものが死を乗り越えさせてくれる。
あるいは、美しい自然、人類の歴史、そういうものと一体になった時、そういうものに包み抱かれていると感じた時、大好きな音楽に包まれている時、似たことが起こるのではないか。
「私だけ」ではない状態、その状態で死を迎えることもまた、「生への執着が先ずなくなり、次に死が訪れる」につながると思う。
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