シリーズ最終回である。
8.福島の事例にみる賭博の問題
9.賭博と幸せ
<各論>
7.生命保険もまた、賭博である
生命保険もまた賭博であるが、勝った人は若くして死んだ人なので、苦情は出ない。負けた人は長生きした人であり、長生きできたことに感謝すればよい。
収入のある人が死ぬと、それ以降の収入が途絶えてしまうので、残された家族にとって、生命保険はありがたい。
収入のある人にとっては、収入が途絶えるというリスクがあるが、収入のない人にとっては、今更収入が途絶えるというリスクは存在しない。それなのに何故、生命保険をかけるのか私には理解できない(貯蓄性のあるものなら分かる)。お金を残したいなら、保険の掛け金という無駄遣いはせず、その分貯金で溜めておいて遺産相続する方が得だと思う。
株式投資も賭博であるが、ここでは述べない。
8.福島の事例にみる賭博の問題
福島原発で強制的に移住させられた人の中には、本来得るべき収入を補償してもらっている人がいると聞いた。結構なことである。
しかし、その人が収入を得ると、保障額はその分減額される。当然、働く意欲は失せる。働きに行かないとすることがなくなるので、毎日パチンコに行っているそうだ。
ここに二つの悲劇がある。
一つ目は、その方は、人間を辞めてパチンコ人間になってしまった。彼は、金儲けしようとパチンコをしているのではない。人生の意義を見出せなくなり、空しくなり、その空しさを埋めるためにパチンコにのめり込み、そのことにより、人生の意義を探すことを放棄してしまった。
二つ目は、それは自業自得だから仕方ないとしても、その姿を見て育った子供がどうなるか、とても心配である。
パチンコが、このような魔力を秘めていることを、忘れてはならない。
9.賭博と幸せ
健全な賭博は、お金を儲けるものではない(トータルすると、お金は儲からない)。お金を払って夢を買うものである。賭け金で生活に困らなければ、好きなように楽しめばよい。公営ギャンブルにおいては、損したお金の一部は公共投資などの財源として有効利用されるので、社会貢献にもなっている。
ただ、賭博では、お金はグルグル回っているだけで、何物も生産しない。お金を掛け金に回すのではなく、芸術を楽しむなり、社会に役立てるなり、その人の人生観にそくしたお金の使い方ができる人は、賭博にお金を使う人より幸せだと思う。とはいえ、賭博こそわが人生と思っている人にとっては、賭博こそ、その人にとって最も幸せな金の使い方なのかもしれない。価値観であり、他人に押し付けるものではない。
このシリーズ、終わり。
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