一般財団法人 日本尊厳死協会のホームページによれば、
「尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。本人意思は健全な判断のもとでなされることが大切で、尊厳死は自己決定により受け入れた自然死と同じ意味と考えています。」
http://www.songenshi-kyokai.com/question_and_answer.html
どのような死に方をしたいかは人様々であり、上のような「尊厳死」を望む人は、そのように亡くなっていけばよい。私は、このような死に方が良いとか悪いとか論じる気は全くない。
私が気にしているのは、このような死に方を「尊厳死」と名付けてよいか、ということである。協会の定義は、死に方の手続きについて書いてある。尊厳ある死に方かどうかは、手付きにより決まるものではないと、私は思う。
延命治療した後に亡くなった方は、尊厳のない死に方をしたのだろうか。断じて、そのようなことは言えない。胃ろうが随分と毛嫌いされているようだが、胃ろうによって尊厳ある死を迎えられた人も多いのではないか。
ほとんどのことに光と陰とがある。胃ろうによって、辛い思いをしながら命を長らえた人もいるだろう。尊厳があるとかないとか、そう簡単に断じられるものではない。
繰り返すが、尊厳があるかどうかは、手続きによって決められるものではない。
「尊厳死」の是非を問題にしているのではない。命名を問題している。
何故、問題なのか。本当に尊厳のある死とは何かが、見えにくくなってしまうからである。
また、「尊厳死」という魅力的な名前であるがゆえに、無為に死期を早めてしまう人がいないことを望む。
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