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(K1187) なぜ人の悪口を言う人は、死亡リスクがたかいのか(0) <長寿>
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モモの見かけはたしかにいささか異様で、清潔と身だしなみをおもんずる人なら、まゆをひそめかねませんでした。背がひくく、かなりやせっぽちで、8つぐらいなのか、12ぐらいになるのか、けんとうもつきません
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第1回 3日放送/ 5日再放送
タイトル: モモは心の中にいる!
【テキストの項目】
(1) ドイツ・イタリア・日本
(2) 「むかし、むかし」が意味すること
(3) 円形劇場とモモ
(4) 相手の話を聞くということ
(5) なぜモモは話が聞けたのか
(6) 大きな物語と小さな物語
(7) ベッポとジジ
(8) いにしえの時を知るベッポ
(9) 完璧な三人と、四つ目の異物
(10)人に何かを話すということ
【展開】
(1) ドイツ・イタリア・日本
『モモ』の作者ミヒャエル・エンデは1929年、ドイツ南部のガルミッシュという町に生まれました。
エンデは1971年にイダリアに移住し、以後15年を当地で過ごしました。『モモ』を執筆したのもイタリアです。
エンデは日本への関心も高く、のちに何度も来日しています。 … 彼の書いたものが日本で人気となる理由は、エンデの中にある両極の価値――時間と非時間、近代と前近代――が日本にも根づいているからだと思います。
(2) 「むかし、むかし」が意味すること
昔話は、決して起こったことがないけれども、常に存在しているリアリディを持った物語なのです。だからこそ昔話はいつ読んでもおもしろいのです。
ところが『モモ』は違うわけです。「はるかむかしのことです」といっている。なぜかというと、このあとで「そして今は」と話が続くからです。つまり、最初の「むかし」は現在とはっきり区別された時代なのです。なぜ区別されているのかというと、この物語ではいにしえの時と現在が対比されているからです。
(3) 円形劇場とモモ
誰かが円形劇場の廃墟に住み着いたらしい、そんな噂が町の人たちのあいだに広がりました。どうやらそれは小さな女の子で、なんだか奇妙な格好をしているようです。 … 親が誰かもわからず、たった一人でこの町にやってきたモモ。彼女はいわゆるストレンジャー、日本でいえばまれびど(客人、来訪神)にあたります。まれびとは聖者であると同時に乞食でもある存在です。
そんなモモの登場は何を象徴しているのか。それは、前置きのところで過ぎ去ったとされていた、いにしえの時の復活でしよう。今は消え去ってしまった豊かな時間、生き生きとした物語を知っている者として、彼女は現在にやってくるのです。
(4) 相手の話を聞くということ
モモは町の人たちの好意で円形劇場跡の部屋を住みやすく整えてもらい、食べ物を分けてもらいながら、そこで暮らし始めました。町のみんなはモモを援助しているのに、次第にモモは「みんなにとって、なくてはならない存在」になりました。いったいなぜでしようか。
モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
モモを相手に話をしていると、自分の中に何らかの解決策が浮かんでくるというのですね。
(5) なぜモモは話が聞けたのか
モモにはそれができたのです。自分の話をせずに、黙って最後まで人の話に耳を傾け続けることができた。なぜカウンセラーでもないモモにそんなことができたのか。それは、モモかある豊かさを自分の中に持っていたからだと思います。
とにかく、モモの心はこのように満ち足りていたのです。それこそが、モモが人々にパワーを与えることができた理由ではないでしょうか。つまり、空っぽの心で相手に話を合わせているわけではなく、自分の中に星々や音楽が満ちているからこそ、相手の話をいつまでも聞くことができたのです。
以下は、後に書きます。
(6) 大きな物語と小さな物語
(7) ベッポとジジ
(8) いにしえの時を知るベッポ
(9) 完璧な三人と、四つ目の異物
(10)人に何かを話すということ
<出典>
河合俊雄(2020/8)、ミヒャエル・テンデ『モモ』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)