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(K1173) 人生最後の選択 意思尊重を <高齢期の医療>
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吉本が参照したのは、ニーチェだった。マルクス主義の限界が見え始めた時、注目を浴び、読み直しが進んだのがニーチェだった。「系譜学」と呼ばれる手法で、西洋の道徳発生の起源にまで遡り、著作の執筆に没頭した
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第3回 20日放送/ 22日再放送
タイトル: 国家形成の物語--刑法の成立
【テキストの項目】
(1) 対幻想が国家になるためには
(2) ニーチェの原罪意識とスサノオ
(3) 共同幻想の爆破を試みたニーチェ
(4) 疚しさという共同幻想
(5) スサノオはなぜ泣いたのか
(6) 「国つ罪」と「天つ罪」
(7) 国家に付着する対幻想の残り香
(8) 刑法に国家の完成をみる
(9) 政治的経済的自由だけでは救われない
【展開】
(1) 対幻想が国家になるためには
対幻想(家族)が拡大した血縁共同体が、大和朝廷のような部族的統一性をもつ「最初の国家」になるためには、断絶や飛躍があると言うのです。では具体的に、飛躍とはなにを意味するのでしょうか。
(2) ニーチェの原罪意識とスサノオ
ザナギがアマテラスとスサノオをふくむ三柱の神を生み、スサノオに海原の統治を命じました。しかしスサノオは命令に従わず母のもとへ行きたいと泣きわめき、多くの悪神が跋扈する事態を招きます。怒った父・イザナギは息子を追放してしまいます。一方のアマテラスはイザナギの命どおり高天原の統治をしますが、以上の物語を吉本は、アマテラスすなわち大和朝廷と、スサノオすなわち原始農耕共同体が、次第に大和朝廷に支配・統一されていく場面を描いたと解釈するのです。
この物語のポイントは二つあります。第一に、スサノオが「追放」されたことはなにを意味するのか。第二に、なぜスサノオは母の国へ行きたいと泣いたのか
第一の理由を解明するために吉本が参照したのが、ドイツの哲学者F・ニーチェです。
ニーチェの問いの立て方が、吉本と同じであることに注目すべきです。敗戦後の車中で兵士の様子を子細に観察した吉本は、「この兵士たちは、一体どんな存在なのだろう」という困惑に突き落とされます。前日までの善悪の価値観が瓦解し、むき出しの生、なんでもありのエゴイズムに走る兵士たち。この道徳的荒廃の只中から、善悪とはなにか、なぜ人はなにかを信じ独善に陥るのか、私にとって国家とはなんなのか。
(3) 共同幻想の爆破を試みたニーチェ
ニーチェは、ヨーロッパ全土を二千年単位で覆いつくした神こそ、「共同幻想」に他ならないと考えます。屈折した自分を抱え込み、良心の疚しさに喘ぐ人間が、それでも自己肯定するにはどうすればよいか。神という共同幻想の発明こそ、その答えだったのです。 … キリスト教道徳の発生の起源を暴露することで二千年間の共同幻想の爆破を試みたのです。
(4) 疚しさという共同幻想
そして吉本もまた、日本の原始農耕民におなじ罪意識があると指摘します。祖先にたいする原罪を背負い、贖罪として祭儀行為をする。なかでも最初に原罪意識を自覚し、共同体繁栄の礎を築いてくれた犠牲者こそ、農耕神スサノオだったのです。
「幻想」が人間関係の決定的要因であると考える吉本の場合、『古事記』の物語からスサノオの役割に注目し、追放と原罪意識に共同幻想の原型を発見します。スサノオが戻りたいと願う母の国は母権制のことを指していますが、部族社会つまり国家の形成途上であるため、もうそこに戻ることはできません。以上が第一の問い、すなわちスサノオが「追放」されたのはなぜか、への解答となります。
以降は、後に書きます。
(5) スサノオはなぜ泣いたのか
(6) 「国つ罪」と「天つ罪」
(7) 国家に付着する対幻想の残り香
(8) 刑法に国家の完成をみる
(9) 政治的経済的自由だけでは救われない
<出典>
山崎彰容(2020/7)、吉本隆明『共同幻想論』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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