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(K1180) 自粛生活 高齢者に健康不安 <体の健康>
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吉本隆明が生まれたのが1924年。21歳の時、終戦(1945年)。戦争の前後を体験。「共同幻想論」が刊行されたのが1968年、東大安田講堂の攻防が1969年。全共闘世代の学生らに熱狂的迎えられた
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第4回 27日放送/ 29日再放送
タイトル: 「個人幻想」とはなにか--人間関係の相対化の方法
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 「個人幻想」は「共同幻想」に逆立する
(2) 芥川龍之介の自殺
(3) 共同幻想に対応できる個人幻想はあるのか
(4) 「自立」と「沈黙の有意味性」
(5) 漱石作品の中に見た「大衆の原像」
(6) ことばによる抗い
(7) 現代に生かすために
【展開】
(1) 「個人幻想」は「共同幻想」に逆立する
(2) 芥川龍之介の自殺
(3) 共同幻想に対応できる個人幻想はあるのか
(4) 「自立」と「沈黙の有意味性」
以上は、既に書いた
(5) 漱石作品の中に見た「大衆の原像」
吉本は漱石の作品に、むしろ大衆の原像を読み込んだのです。日常生活、と私たちは比較的簡単に言うだろう。だが容易どころか緊張の連続、少しでもカを抜けば瓦解するものだ。生活とは、秩序を支え続ける不断の営みのことではないのか。子を産み、子を育て、老いた親を看取り、そして自分もまた老いて死んでゆく。ただそれだけのことの中に、ささやかな、誠にささやかだが劇的な一人の人生が隠されているではないか。
(6) ことばによる抗い
文学とは、徹底的に個人の人生にこだわる営みである。逆に言えば、徹底的に政治的に人間を見ることへの、ことばによる抗いである。人間をマッスとして取り扱い、自分の政治目的に利用できるという考えを「技術主義」と名づければ、技術主義こそあらゆる共同幻想が隠しもつ毒である。解毒はことばによって、生活の「裂け目」を描くことによってなされるのだ――これこそが吉本のメッセージであり、個人幻想だと私は思うのです。
(7) 現代に生かすために
情報こそ、現代最大の「共同幻想」に他なりません。多くの人が毎朝、会社の机に座るとパソコンを立ちあげます。そこに羅列されている不祥事、タレントのスキャンダル、政治の醜聞を見て、私たちはそれを「現実」だと思い込みがちです。 … しかし吉本ならば、こうしたスキャンダルの羅列を決して現実とは思わないでしよう。それよりもパソコンの画面から眼を離し、一旦深呼吸をして、隣の同僚と会話すること、組織を改良するための面倒な会議の連続をいとわないこと、そうした些末な諸事の積み重ねこそ現実だと言うにちがいありません。
政治的立場の左右など関係ないのです。私たちは常に、共同幻想がもつ魔力に惹きつけられやすい存在です。吉本が考える自立した個人とは、一つの情報を信じ一気に凝集するのとは正反対の存在です。
「刹那的な共同体に呑み込まれない個人幻想を、手にする。」
<出典>
山崎彰容(2020/7)、吉本隆明『共同幻想論』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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