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(K1161) 「終活」ビジネスに着手 みなと銀行 <終活>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/07/k1161.html
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同調圧力を強いてくる体制の中にあって、「それはおかしいんじゃないかと抗う発想力をどう保つのか。この視点が『共同幻想論』を読んでいく際に、決定的に重要。「共同幻想」「個人幻想」「関係の絶対性」など解説
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第1回 6日放送/ 8日再放送
タイトル: 焼け跡から生まれた思想--戦争体験から
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 『共同幻想論』とは何か
(2) 吉本隆明をつき動かしたもの
(3) 敗戦体験からの出発
(4) 詩に記された切迫感と暗い心情
(5) なぜ人は、なにかを信じてしまうのか(6) 「関係の絶対性」がはらむ二つの意味
(7) 「国家」の成り立ちの探求へ
【展開】
(1) 『共同幻想論』とは何か
(2) 吉本隆明をつき動かしたもの
(3) 敗戦体験からの出発
以上は、既に書きました。
(4) 詩に記された切迫感と暗い心情
「エリアンの手記と詩」(1946~47、推定)の冒頭詩「死者の時から(Ⅰ)」===== 引用はじめ
〈エリアンおまえは此の世に生きられない おまえはあんまり暗い〉
〈エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは他人を喜ばすことが出来ない〉
〈エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷つける〉
〈エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは醜く愛せられないから〉
〈エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは平和が堪えられないのだから〉
===== 引用おわり
(「エリアンの手記と詩」全著作集第一巻所収)
「エリアン」とは、当時のメモで吉本が自身を呼んでいた架空の名前です。確かに戦争は終わり、「平和」が訪れた。しかし多くの人に平和と見える光景は、吉本にはエゴイズムで蠢く人間たちのカオスに見えました。このようにしか世界を見られない人間は「暗く」、そして他者と喜びを分かち合うこともできないでしょう。
(5) なぜ人は、なにかを信じてしまうのか
吉本は戦後民主主義をまったく信用していません。「民主主義」を絶対に「正しい」価値、無謬の正義だと思い込み眼をキラキラさせている人もまた信仰に陥っているからです。天皇制と民主主義は反対の思想どころか、おなじ独善なのだと言っているのです。吉本が何より疑いの眼をむけているのは、自分自身にたいしてなのてす。自分が「正しい」と信じることが、本当に正しいのか。人間とは間違える存在なのではないか。
(6) 「関係の絶対性」がはらむ二つの意味
人間の意志はなるほど、選択する自由をもっている。選択のなかに、自由の意識がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な選択にかけられた人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。(略)関係を意識しない思想など幻にすぎないのである。(略)秩序にたいする反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。
添付資料を参照
(7) 「国家」の成り立ちの探求へ
吉本隆明がなぜ 『共同幻想論』を書かなければならなかったのか、その「動機」は、第一に、敗戦体験によって既存の価値観が転倒し、カオス状態に放りだされた吉本は、ゼロべースから世界の成り立ちを考える必要に迫られました。国家であれ宗教であれ、共同体の「起源」を問うことに取り憑かれたのです。
第二に、自身の体験を点検し、「なぜ人はなにかを信じてしまうのか」という問いにぶつかり、最終的に「関係の絶対性」という概念にたどり着きました。
<出典>
山崎彰容(2020/7)、吉本隆明『共同幻想論』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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