画面の説明

このブログは、左側の投稿欄と右側の情報欄とから成り立っています。

2020年7月3日金曜日

(2018)  イデオロギー活動で慰霊もままならない / 沖縄全戦没者追悼式(3)


◆ 最新投稿情報
=====
(K1159)  孤独死者数と発見までの日数 <孤独死>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/07/k1159.html
=====

☆☆
先の大戦末期の沖縄戦で、日本陸軍の拠点だった第32軍司令部壕の公開を求める声が沖縄県内で高まっている。一方、「イデオロギー活動に利用される」とし、公開に否定的な意見も根強いようだ。慰霊もままならない
☆☆


===== 引用はじめ
 先の大戦末期の沖縄戦で、日本陸軍の拠点だった第32軍司令部壕の公開を求める声が沖縄県内で高まっている。県は4月に策定した基本方針で司令部壕の保存を明記。6月の県議選でも保存と公開が争点の一つになった。一方、「イデオロギー活動に利用される」とし、公開に否定的な意見も根強いようだ。
 保守派からは、陸軍の残虐さを誇張した展示になりかねないとし、慎重な声が根強い。平成 24年に県が司令部壕の説明板を設置した際も、外部の識者が壕内に慰安婦がいたとする文言を盛り込もうとし、県が削除すると猛烈な抗議が起こるなど政治問題化した。
 元自民党県議の具志孝助氏(75)は「史実にそった展示であれば公開の意義があるだろうが、偏向したイデオロギー活動に利用されてはならない」としている
===== 引用おわり
沖縄戦司令部壕「公開を」 保守派 反対根強く
産経新聞(2020/06/23)


32軍司令部壕(那覇市)【放送日 H21.4.1
===== 引用はじめ
 那覇市首里城の地下に、「第32軍司令部壕」があります。司令部壕は、首里城の地下を南北に横断するように掘られており、全長1キ口から2キロの壕に、1000人以上の兵士がいたといいます。6か所の入口があったとされていますが、今も残っているのは南側の1か所だけです。なお、内部は壁が崩れるなど危険なため、公開されていません。
 壕のなかは、今もわき水が流れ、日々浸食が進んでいて、岩盤が大きく崩落しているところもあります。沖縄県は、司令部壕の保存や公開を検討していますが、数十億円の費用がかかるとみられ、計画は今も進んでいません。
===== 引用おわり
https://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/senseki/detail39.html
(動画あり)


0 件のコメント:

コメントを投稿