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(K0677) 日本いけばな療法学会 <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/03/k0677.html
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第2回 11日放送/ 13日再放送
タイトル:『夢十夜』と不安な眼
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55及び 午後 00:00~00:25
【展開】
(1) 小説のルールから外れる『夢十夜』
一方で『三四郎』のようにルールを守る小説も書こうとしたけれども、ルールを無視し、もっと自由な書き方をして読者をおもしろがらせることは可能なのではないか、とも考えた。それが『夢十夜』という作品なのではないか。
(2) 漱石のゴシックな想像力
英文学の世界では十八世紀から十九世紀にかけて「ゴシック小説」というジャンルが流行しました。こうした小説では、時代的な遠さに限らず、厳しい山とか、はるかな大海原など極端にエキゾティックな場所が舞台となって、非日常的で奇怪な物語が展開します。
『夢十夜』を書く際に、漱石が意識して使っただろうと思われるのが、ゴシック的な要素です。
(3) わからないものを、わからないまま受け入れる力
わかったふりをしない。無理に答えを出さない。これは文学が得意とする、宙ぶらりんの力です。漱石が晩年に唱えた「則天去私」、自然をそのまま受け止めて自我から解放されるという考え方と、「ネガティブ・ケイパビリティ」には近いものがあると思います。
「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、すべてをきっちり理解し、表現してしまうのではなく、むしろ世界や対象のわからなさや不可解さをわからないままに捉える消極的能力。
(4) 見えないはずのものが見えてしまう世界 ―― 「第一夜」
時間をぼんやりと浮かび上がらせるのではなく、徹底的に「見えるもの」として表現する。これは『夢十夜』のほかの作品にもある、「本来見えるはずのないものが見えてしまう」状況に通じます。「過剰に可視的」なのです。
(5) 不思議な「わかり方」 ―― 「第三夜」
六歳になる盲目の我が子を背負っている。子どもは対等な口をきいてくる。対等なだけでなく、情報や自分の感情を先取りしてきます。
父親は、変なことが起きているのに、妙にそれを受け入れてしまっています。「了解」はしているのに「理解」はしていない。
(6) 自由な奇想を味わう ―― 「第八夜」
床屋の目の前の鏡。次から次に出来事が展開されます。
わからないものを、わからないまま受け入れる。理屈づけを放棄して、バラバラになるぐらいまで因と果とのつながりをほどき、世界があるがままに受け止めている。
(7) 接続詞や副詞に注目する ―― 「第八夜」「第四夜」「第九夜」
かつて語りは、ストーリーよりも言葉の響きそのものを表現していた。そもそも誰かが誰かに対して言葉を口にする、というところの「語り」の原初的な喜悦があったのではないか。「すると」「やがて」「今に」といった言葉の底力を思い知らされます。
(8) アンチ近代小説としての『夢十夜』
近代の小説では、基本的に、語られた出来事はすでに過去に起きたこと。それを事後的に報告するという形式になっています。これに対し、『夢十夜』は「現在」という感覚がとても強い。現在形で書かれた作品もありますし、過去形で書かれたものでっても、現在進行形のような書き方をする。
(9) 『夢十夜』へのさまざまなアプローチ
①
深読みを楽しむ
②
解釈の破綻を楽しむ③ 解釈が及ばない「果てしなさ」をとらえる
④ 因果律と時間感覚の無効性を楽しむ
<出典>
阿部公彦(2019/3)、夏目漱石スペシャル、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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