◆ 最新投稿情報
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(K0309) 好ましい自治会活動 /自治会長奮闘記(2) <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/03/k0309-2.html
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第2回 3月12日放送/3月14日再放送
タイトル: 生き続ける歴史の古層 - 『砂の器』Eテレで月曜日。再放送は水曜日、時間は、以下の通り。
月曜日 午後 10:25~10:50
(再)水曜日 午前 05:30~05:55
午後 00:00~00:25
【超簡単な説明】(【あらすじ】は後述)
殺人事件の謎解きとともに、父子の宿命を浮き彫りにする
【目次】
(1) 『砂の器』はどんな作品か
(2) 中年刑事と新進芸術家集団(3) ヌーボー。グループの中の格差
(4) 登場人物と住宅事情
(5) 太平洋側と日本海側の“落差”
(6) 山陰・北陸というもう一つの日本
(7) 方言をトリックに
(8) 東京中心史観を相対化する
(9) 本当の被害者は誰か
(10)清張が浮かび上がらせた矛盾とは
ここでは「(10)清張が浮かび上がらせた矛盾とは」を取り上げる。
===== 引用はじめ
清張は『砂の器』を通して、高度成長に沸く日本に、なお解決されない根本的な問題が横たわっていることを浮かび上がらせたのである。===== 引用おわり
「根本的な問題」とは、一つは「東京と地方の格差」、もう一つは「ハンセン病」である。
===== 引用はじめ
和賀や関川のように地方から東京に出て成功を収めつつあるように見える人と、一生地方から出られないような人との運命の違いも一層に鮮明になります。===== 引用おわり
東京を中心とする都市部だけが近代化され、他方で変わらない地方がある。するとますます格差は広がる。その過程において、いわば振り落とされ、忘却されていくものがあった。
===== 引用はじめ
念願だったお伊勢参りに出かけた先で、田所一族と写真に収まる和賀英良を偶然見かけた三木は、そこになつかしい本浦秀夫の面影を見出し、いさんで出かけた東京で、かつての秀夫こと和賀に殺されてしまうのです。和賀が恐れたのは、幼い頃の自分を知る三木によって、ハンセン病にまつわる過去が知れわたってしまうことでした。===== 引用おわり
なぜ芳賀は恐れたのか。そこには、戦後も社会の中で維持された、ハンセン病に対する差別構造があることは明らかです。
【あらすじ】 Wikipediaより
5月12日の早朝、国電蒲田操車場内にて、男の殺害死体が発見された。前日の深夜、蒲田駅近くのトリスバーで、被害者と連れの客が話しこんでいたことが判明するが、被害者のほうは東北訛りのズーズー弁で話し、また二人はしきりと「カメダ」の名前を話題にしていたという。当初「カメダ」の手がかりは掴めなかったが、ベテラン刑事の今西栄太郎は、秋田県に「羽後亀田」の駅名があることに気づく。付近に不審な男がうろついていたとの情報も得て、今西は若手刑事の吉村と共に周辺の調査に赴く。調査の結果は芳しいものではなかったが、帰途につこうとする二人は、近年話題の若手文化人集団「ヌーボー・グループ」のメンバーが、駅で人々に囲まれているのを目にする。「ヌーボー・グループ」はあらゆる既成の権威を否定し、マスコミの寵児となっていたが、メンバーの中心的存在の評論家・関川重雄の私生活には暗い影が射していた。他方、ミュジーク・コンクレート等の前衛音楽を手がける音楽家・和賀英良は、アメリカでその才能を認められ名声を高めることを構想していた。
殺人事件の捜査は行き詰まっていたが、養子の申し出から、被害者の氏名が「三木謙一」であることが判明する。養子の三木彰吉は岡山県在住であり、三木謙一が東北弁を使うはずがないと述べたため、今西は困惑するが、専門家の示唆を受け、実は島根県出雲地方は東北地方と似た方言を使用する地域であること(雲伯方言、出雲方言)を知り、島根県の地図から「亀嵩」の駅名を発見する。今西は亀嵩近辺に足を運び、被害者の過去から犯人像を掴もうとするが、被害者が好人物であったことを知るばかりで、有力な手がかりは得られないように思われた。
続いて第二・第三の殺人が発生し、事件の謎は深まっていくが、今西は吉村の協力を得つつ苦心の捜査を続ける。他方「ヌーボー・グループ」の人間関係にも微妙な変化が進んでいた。長い探索の末に、今西は犯人の過去を知る。
捜査はやがて、本浦秀夫という一人の男にたどり着く。秀夫は、石川県の寒村に生まれた。父・千代吉がハンセン氏病に罹患したため母が去り、やがて村を追われ、やむなく父と巡礼(お遍路)姿で放浪の旅を続けていた。秀夫が7歳のときに父子は、島根県の亀嵩に到達し、当地駐在の善良な巡査・三木謙一に保護された。三木は千代吉を療養所に入れ、秀夫はとりあえず手元に置き、のちに篤志家の元へ養子縁組させる心づもりであった。しかし、秀夫はすぐに三木の元を逃げ出し姿を消した。
大阪まで逃れた秀夫は、おそらく誰かのもとで育てられた、あるいは奉公していたものと思われる。その後、大阪市浪速区付近が空襲に遭い、住民の戸籍が原本・副本ともに焼失した。当時18歳の秀夫は戸籍の焼失に乗じて、和賀英蔵・キミ子夫妻の長男・和賀英良として年齢も詐称し、新たな戸籍を作成していた。
出典
原武史(2018/3)、松本清張スペシャル、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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