(1165) 「生きる」ためには循環が必要(養老孟司)
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=====(K0306) 住み替える時期 <高齢期の住まい>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/03/k0306.html
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一昨日(3/1)、パストラールセミナーを受講した
(1) 「シニアの住まいの見分け方」~自分らしく暮らし続けるために
岡本弘子(シニアの暮らし研究所 代表)
(2) 「脳の健康と老いの“壁”」
養老孟司(東京大学名誉教授)
主催:兵庫県住宅供給公社
ここでは(2)について書く。(1)については、別のBlogに書く。
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/03/k0306.html
私は、次のように理解した
===== はじめ
生物には、入力と出力とがある。
これだけでは「生きている」ことにならない。
さらに、循環があって、初めて「生きる」ことができる。
入力は感覚であり、出力は運動である
循環とは、運動の結果、感覚が変わることである
===== おわり
(正確な引用ではない)
循環とはどういうものか。
・ 歩くと(運動)、まわりの景色が変わる(感覚)・ 言葉を発すると(運動)、自分の声が耳に聞こえる(感覚)
脳性麻痺の子は、歩けない。
歩けないからといって、寝たまま日々を過ごさせてはいけない。自分の体重を支えられないので、紐で吊り上げて、歩行訓練する
<歩くと(運動)、まわりの景色が変わる(感覚)>
そうすると、声を発し始める
<言葉を発すると(運動)、自分の声が耳に聞こえる(感覚)>
こうしていると、脳が驚くほど発達し始める
「文武両道」を多くの人が誤解している。
「午前中は読書をし、午後は剣道の練習をする」のが「文武両道」ではない。そこには、「武」から「文」への循環がないからである。
「知行合一」を多くの人が誤解している。
「知っていることと行動が一致している」のが「知行合一」ではないそこには、「行」から「知」への循環がないからである
真っ暗の中、皇居の周りを多くの人がランニングしている
そこには循環が無い。出力(運動)ばかりだからである。「健康のためなら死んでも良い」と言うなら、それでも良いが。
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