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2017年3月16日木曜日

(813) 許すとは、どういうことか


  前回のふりかえり(再録)

自分を責めている時も、相手を責めている時も、心はとっても苦しい。でも、責めることを止められない。
 
二つの脱出方法がある。どちらでもよい。
    先ず自分を許す。すると、相手も許せるようになる
    先ず相手を許す。すると、自分も許せるようになる

なんとなく筋が通っていないように見えるかもしれないが、私の経験では、こういうことが実際に起こっている。

 
  考察

「二つの脱出方法」で、本当に脱出できるのだろうか。

「ああすべきではない」「こうしなければならない」「今のままではいけない」「それは変だ」といった囚われから解放されると、自分をも、相手をも、責めなくなる。私が今、思い描いている『許し』とは、このようなものだ。「いろいろ、あるんだ」「人によって違うね」「方法は色々ありそうだ」「それでうまくいくかやってみるかい」「うまくいかないこともあるね」「一生懸命だね」。小さなストライクゾーンが少し大きくなる。「まあ、いいか」「とりあえず、いいとしよう」

自分に対してこのように接するようになれば、相手にも同じように接するようになる。
相手に対してこのように接するようになれば、自分にも同じように接するようになる。

 

ところで、素のままの彼(彼女・自分)を愛しているだろうか。もしもそうなら、その人を「許せない」ということは起こらない。そもそも「許す」「許さない」が根こそぎない。

「かっこいい彼が好き」なら、かっこ悪い彼を許すことはできない。期待するから許せない。「お行儀のいい〇〇ちゃん、かわいいね」なら、お行儀の悪い○○ちゃんを許せない。条件付きで愛するから許せない。

「許せる」「許せない」は相手側にあるのではなく、自分側にある。

 
素敵な彼(彼女・自分)でなくてもよい、特別な彼(彼女・自分)でなくてもよい、素直な自分に戻り、じっと見つめる。うわべではなく、その人の本性を見つめる。

 

「そうはなかなかできない。やはり私は許せない」

それで良いと思う。「許せない自分」を許すことから、始められないだろうか。

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