世の中、良い事ばかりのことも少なく、悪い事ばかりのことも少ない。
「吾唯足知」簡単にして「知足」も、「不知足」も同じだろう。
知足。足るを知ると、それで満足して向上しようとしなくなる。
不知足。足るを知らないと、足りないところが気になるからこそ向上しようとする。
こういう考えも有力だろう。
しかし私は、「向上心に燃える」という観点では、
「知足」が「不知足」より優れていると思う。
向上心に燃えている、小さな子どもが多い。
大人や、兄ちゃんや姉ちゃんの真似をしようとする。
できないと、悔しがる。
できるようになると喜ぶが、それで止まらない。
さらに、難しいことをしようとする。
誉められると加速するが、
誉められなくても、勝手にゴソゴソ挑戦している。
人は、外から何の刺激がなくても、
人は、内からの衝動で、向上しようとする。
ただし、機が熟してからである。
準備ができていないときは、まだ動かない。
それを大人は待てない。
誉めて何かをさせようとし、
叱って何かをさせようとする。
どっちが良いかという議論もあるが、
その議論はあまり意味がないと私は思う。
困ったことに、
誉めたり叱ったりされていうちに、
内からの衝動で向上することを忘れてしまう。
それが繰り返されながら、大人になってきた。
でも、子どもの純粋さは、残っているはずだ。
呼べば、応えてくれるはずだ。
できなくて、悔しくて頑張ることが多い。
「不知足」の動機だ。「これで良い」とは思わないから頑張る。
それで進歩する。悪くはない。それで、進歩していける。
それでもよいのだが、なんとも苦しい。辛いところがある。
そうではなく、喜々と楽しみながら、熱中して進歩することも可能だ。
それか「知足」の動機だ。
できて、これで良しと、足るを知る。
満足し穏やかな気分になる。
その気分が残ったまま、
なんだか次に挑戦したくなる。
なかには、それでは挑戦心が起こらないと言う人もいる。
それは、「不知足」のストレスが溜まっていると、
内から湧き起こる向上心が素直に出て来ないからである。
外から何の刺激がなくても、内から沸々と湧き起こる向上心。
満ち足りていて、さらに湧き起こる向上心。
そのような向上心を、私は確信している。
人は元々、向上するようにできている。
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