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2017年3月9日木曜日

(807) 吾唯足知(2)  向上心


世の中、良い事ばかりのことも少なく、悪い事ばかりのことも少ない。
「吾唯足知」簡単にして「知足」も、「不知足」も同じだろう。

 
知足。足るを知ると、それで満足して向上しようとしなくなる。
不知足。足るを知らないと、足りないところが気になるからこそ向上しようとする。
こういう考えも有力だろう。

 
しかし私は、「向上心に燃える」という観点では、
「知足」が「不知足」より優れていると思う。

 

向上心に燃えている、小さな子どもが多い。
大人や、兄ちゃんや姉ちゃんの真似をしようとする。
できないと、悔しがる。
できるようになると喜ぶが、それで止まらない。
さらに、難しいことをしようとする。

 
誉められると加速するが、
誉められなくても、勝手にゴソゴソ挑戦している。

 

人は、外から何の刺激がなくても、
人は、内からの衝動で、向上しようとする。
 
ただし、機が熟してからである。
準備ができていないときは、まだ動かない。

 
それを大人は待てない。
誉めて何かをさせようとし、
叱って何かをさせようとする。

どっちが良いかという議論もあるが、
その議論はあまり意味がないと私は思う。

 
困ったことに、
誉めたり叱ったりされていうちに、
内からの衝動で向上することを忘れてしまう。

それが繰り返されながら、大人になってきた。

 
でも、子どもの純粋さは、残っているはずだ。
呼べば、応えてくれるはずだ。

 

できなくて、悔しくて頑張ることが多い。
「不知足」の動機だ。「これで良い」とは思わないから頑張る。
それで進歩する。悪くはない。それで、進歩していける。

 
それでもよいのだが、なんとも苦しい。辛いところがある。
そうではなく、喜々と楽しみながら、熱中して進歩することも可能だ。
それか「知足」の動機だ。

 
できて、これで良しと、足るを知る。
満足し穏やかな気分になる。
その気分が残ったまま、
なんだか次に挑戦したくなる。

 
なかには、それでは挑戦心が起こらないと言う人もいる。
それは、「不知足」のストレスが溜まっていると、
内から湧き起こる向上心が素直に出て来ないからである。

 
外から何の刺激がなくても、内から沸々と湧き起こる向上心。
満ち足りていて、さらに湧き起こる向上心。
そのような向上心を、私は確信している。

 

人は元々、向上するようにできている。

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