【 オリンピック ・無観客】 どんなことでも、何かをすると、 良い ことと 悪い ことの両方が起こります。一方の悪いことを過大に取り上げ、良いことに蓋をしてしまい、 バランス を失した結論を出してしまった、というのが私の見方です
正解・不正解のある入試問題のパターンに毒されているのではないか、というところから始めます。五輪開催を無観客にしたのは、正解だったか不正解だったかを議論し、どちらかに決めようというのは、まったく無意味だと思います。なぜなら、正解か不正解かを判定する基準が存在しないからです。
一方、「私は正解だと思う」「私は不正解だと思う」というのは成り立ち、かつ、とても大切な議論だと思います。「私は」と限定したところで、各々に価値観があるので、結論を出すことは可能になりました。そして、有観客か無観客かを決めねばならない現実を直視すると、より妥当な結論を出すためには、「私は」の声を、その理由と共にしっかり聴くことが大切だと考えています。
さて、『私は』人数を制限して、観客を入れた方がよかったと思います。その理由は、
(1)
世界で多くの有観客開催があり、統制されたところでクラスターは発生していないという事実が積み上げられている(感染が皆無だったとは言えないだろう)
(2)
会場でクラスターが発生しなくても、人流が増えることにより感染が広がるのではないかと指摘されている。ただ、開会式が始まる前、4連休が始まった時点で、人流は一気に増えている。有客開催が人流増加に影響するのは確かだろうが、そのウエイトは、そんなに大きくはないだろう
一方、有客にすることにより、大会はより盛り上がり、日本人のみならず世界の人々を元気づけることは、とても意義があると思います。
どんなことでも、何かをすると、良いことと悪いことの両方が起こります。一方の悪いことを過大に取り上げ、良いことに蓋をしてしまい、バランスを失した結論を出してしまった、というのが私の見方です。マスコミの報道は、とても偏っています。いろいろな意見があることを発信したく、書きました。
有観客が良いというのは私の意見であり、そうでない意見も多数あることは承知しており、そのそれぞれの意見を批判するつもりはありません。いろいろな意見があることを大切にしない、自分とは違う意見に攻撃的になる風潮を批判しています。
そして、オリンピック開催問題を政局に利用し、政府批判を目的とした言説が多いように感じます。政府批判をするのは結構だが、オリンピック開催問題をその立場から取り上げるのは、不適切だと思います。純粋に議論する必要があると思います。
<添付写真>
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210721/k10013151361000.html
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