【 読書 ・ 100分de名著 】大著である『老い』のなかで、性についての記述は決して多いわけではぁりません。しかし、ボーヴォワールは主に第五章でこの問題を取り上げ、精神医学、社会学、文学などの視点から多角的に検討しています。
第3回 14日放送/ 16日再放送
タイトル: 老いと性
【テキストの項目】
(1)
性を問うことは人間を問うこと
(2)
近代になって否定された老人の性
(3)
「老いて枯れる」は虚像
(4)
高齢男性の性
(5)
生殖能力が男性性の担保に
(6)
高齢女性の性
(7)
肉体への嫌悪、世論の圧力
(8)
老人性愛文学の達成
(9)
高齢女性の性愛文学
(10)
ボーヴォワールの性愛生活
(11)
自由を手放さなかったからこそ書けた
【展開】
(1)
性を問うことは人間を問うこと
老人の性を問うことは、人間とは何かを問うことにつながります。また、性は自由の問題ともつながっています。性ほど規範でがんじがらめになっているものはない。人間とは何か。自由とは何か。老人の性はまさに実存主義の問題に直結します。
性の研究は、元来、性の科学でした。ところがフーコーは、セツクス(生物的)とセクシュアリティ(心理・社会的)を分けて、セクシュアリティは文化と歴史の産物であると論じました。そこから、性は自然科学ではなく、人文社会科学の研究対象に変わりました。
(2)
近代になって否定された老人の性
どの時代、あるいはどの社会の人間が、性をどのようにみなしているかを視点にすると、近代においては性欲を否定された存在が三つあります。子ども、老人、障害者です。
戦争によって領土を形成し、主に民族を単位に成立する近代国家にとって、軍事と教育は重要な柱です。畢竟、人口管理が重要な課題となり、一対の異性愛の男女による生殖を国が管理するようになった。性と生殖管理が結びついたのです。一方で、生殖につながらない性は否定されました。それが子ども、老人、障害者の性です。
(3)
「老いて枯れる」は虚像
老人とは「美徳の手本」であり「明澄な心をもっている」べきだと世間が要求している。情欲が消え去ってなお、手を取り合って人生という旅の終わりに向かう夫婦こそが理想である。そんな道徳的なイメージが若者や中年には刷り込まれているため、老人にも性欲があると聞こうものなら、それに嫌悪を示すのです。しかし、
老人も自分の性的な欲望について語っている。老いたら枯れるなど真っ赤なウソ。高齢になっても性愛の問題に苦しむ人もいれば、そこから解放されたと捉える人もいる。
(4)
高齢男性の性
ボーヴォワールは、高齢男性の性生活について統計からわかるいくつかの事実、例えば「交接の頻度は年齢とともに低下する」や「性的活動は肉体労働者のほうが知識人より長くつづく」ことなどを指摘した後、彼らの証言を紹介しています。
フランスの作家シャトーブリヤンは62歳のとき、16歳の少女からの愛を嘲弄とみなし拒みました。それは、彼自身が自分は高齢者だという自覚を持ち、また高齢者は性的な欲望の対象に値しないという刷り込みを強固に持っていたからでしょう.
(5)
生殖能力が男性性の担保に
ボーヴォワールは多くの実例を渉猟するなかで、男性にとって、性的能力が男性性の担保になっていることを指摘しています。
ボーヴォワールが指摘したペニス・コンプレツクスです。つまり勃起能力が男性性の担保になっていて、それを保持し続ける執念と、なくなることへの不安と恐怖が強く刷り込まれている。これは日本の男に限らず全世界的にそうだと思います。具体的なコンプレツクスの一つが射精能力、すなわち女を妊娠させる能力があるかどうかです。
(6)
高齢女性の性
ボーヴォワールの知っていたある老婦人は若いころ「夫婦生活の苦役」を避けるために医者から診断書をもらっていたが、年取ってからは年齢の数がより簡単な逃げ口上となった。当時、こうした女性たちは冷感症、あるいは不感症と言われていました。
1970年代、保健師の大工原秀子が日本で初めて高齢女性のセックスサーベイを行いました。そのなかで、当時70歳以上だった日本の既婚女性の多くが、「一刻も早く終わってほしい、あのつらいお務め」と答えました。
以下は、後に書きます。
(7)
肉体への嫌悪、世論の圧力
(8)
老人性愛文学の達成
(9)
高齢女性の性愛文学
(10)
ボーヴォワールの性愛生活
(11)
自由を手放さなかったからこそ書けた
<出典>
上野千鶴子(2021/7)、ボーヴォワール『老い』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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