【 読書 ・ 100分de名著 】重要なのは、自分だけは老いるまいと アンチエイジング に励んだり、 認知症予防ドリル に取り組んだりすることではなく、老いをもっと大きな、 文明史的課題 として捉えることです
第4回 21日放送/ 23日再放送
タイトル: 役に立たなきゃ生きてちゃいかんのか!
【テキストの項目】
(1)
老いの処遇としての社会保障
(2)
「非人間的」な高齢者施設
(3)
認知症に対する先進的な理解
(4)
症状ではなく経験を書く
(5)
家族のなかの高齢者
(6)
「独り暮らしはもっとも悲惨」
(7)
高齢者が集まって暮らすことは本当に幸せか
(8)
高齢者観の転換
(9)
社会保障の現在--施設から在宅へ
(10)
死の自己決定と実存主義
(11)
老いという冒険
【展開】
(1)
老いの処遇としての社会保障
わたしたちはどうすれば豊かな老いを生きることができるのでしょうか。それは個人が乗り越えるべき問題ではなく、文明が引き受けるべき課題だと考えています。
重要なのは、自分だけは老いるまいとアンチエイジングに励んだり、認知症予防ドリルに取り組んだりすることではなく、老いをもっと大きな、文明史的課題として捉えることです。文明社会による高齢者の処遇の一つは社会保障です。最終回はこのテーマを取り上げることにしましょう。
(2)
「非人間的」な高齢者施設
この時期のフランスの施設は少し前の日本のそれとよく似ていることがわかります。
「完全に非人間的」と彼女が言うように、救済院と施療院が合体したようなところに高齢者が何百人も収容されている。部屋は大部屋。規則は厳しく、ユニフォームを着せられ、面会は稀で、外出は制限される。完全に受動的な存在として扱われ、老人たちは急速に人間性を失っていきます。「共同生活は大部分の在院者にとつてきわめて耐えがたい」ものだと、ボーヴオワールはきっぱり言っています。
(3)
認知症に対する先進的な理解
ボーヴォワールの認知症に対する理解は、当時としては驚くほど行き届いていて、認知症患者の「反社会的行動」について、こういう解釈をしています。
老人たちの態度の多くは抗議的性格をもつが、それは彼らの境涯が抗議を必要とするものだからである。(中略)近親者に対しては、彼らは遺恨から神経症的ともみえる振舞いをするが、実際にはそれらは攻撃あるいは自己防衛の行為なのである。 …
周囲には問題行動に見えても、当人には理由があります。
(4)
症状ではなく経験を書く
彼女は、あらゆることを一人称の視点で語っています。知識人の老いも、老人の性欲も、決して三人称で語っていない。徹底して、高齢者の側から見た一人称の経験として語っています。これができるのは彼女が作家だからでしょう。老年学の研究や医者は症状を書くけれど、作家は経験を書く。だから認知症に関しても、当事者がそれをどのように経験しているかを彼女は書くわけです。
最近は認知症当事者の発言も増えています。病気を経験した人の語りをネット上に蓄積しているDIPEx(Database of Individual Patient Experiences) Japan というサイトには、「認知症の語り」というコレクションがあります。
(*)藤波の別のブログ(組織ブログ)で、「認知症の語り」と題して、毎日曜日に少しずつ取り上げ、紹介しています。
最新のものは、
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/07/K1532.html
(5)
家族のなかの高齢者
まずは老夫婦。夫婦二人になると不和が起きると書いてあります。
ある女性は調査担当者に言った、「夫が家にいるのはやりきれませんわ。彼は人がすることが気になって、いろいろ口を出すんです。」また別の女性は、「あたしたちのようなところでは、男たちは働くのをやめたが最後、何もすることがありません。庭がある人たちとはわけがちがいますからね。仕事をやめるがはやいか、死んだも同然です。あたしは夫に自家にいてもらいたくありません。」
以下は、後に書きます。
(6)
「独り暮らしはもっとも悲惨」
(7)
高齢者が集まって暮らすことは本当に幸せか
(8)
高齢者観の転換
(9)
社会保障の現在--施設から在宅へ
(10)
死の自己決定と実存主義
(11)
老いという冒険
<出典>
上野千鶴子(2021/7)、ボーヴォワール『老い』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
0 件のコメント:
コメントを投稿