【 読書 ・ 100分de名著 】(サルトルと死別して)彼の死は私たちを引離す。私の死は私たちを再び結びつけはしないだろう。そういうものだ。私たち二人の生が、こんなにも長い間共鳴し合えたこと、それだけですでにすばらしいことなのだ。
第2回 7日放送/ 9日再放送
タイトル: 老いに直面した人びと
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1)
老いを比較する
(2)
「お若いですね」は本当に褒め言葉か?
(3)
作家の老い--60過ぎて書くものは二番煎じ
(4)
学者の老い、芸術家の老い
(5)
政治家の老い--新しい時代の理解に失敗
(6)
日本の知識人の老い
(7)
英雄的な老いもある
(8)
ボーヴォワールが実践したリアリズム
(9)
老いと自己模倣
【展開】
(1)
老いを比較する
(2)
「お若いですね」は本当に褒め言葉か?
(3)
作家の老い--60過ぎて書くものは二番煎じ
(4)
学者の老い、芸術家の老い
以上は、既に書きました。
(5)
政治家の老い--新しい時代の理解に失敗
「彼は彼の青年期とはあまりにも異なる新時代を理解することに、しばしば失敗する」と言い、その代表としてボーヴォワールが検討した政治家の一人がチャーチルです。
チャーチルは、戦争終結前に病に倒れ、そこから少しずつ時代に適合できなくなっていきました。選挙に敗れても「自分を『失業した人間』と感じるのに耐えられず、鬱病にとりつかれた」チャーチル。彼はその後も政界に返り咲いては病のため執務に支障を来たし、それでも権力を手放さないということをくりかえします。
(6)
日本の知識人の老い
家族がそれを隠すのは、いくら「引き際の美学」などと取り繕っていようが、結局は老いに対する嫌悪があるからです。「身内の恥」をさらしたくないという気持ちです。
その点で、わたしが尊敬しているのは免疫学者の多田富雄です。多田は67歳のときに患った脳梗塞により、重い半身麻痺が残ったのですが、その後も車椅子に乗って公共の場に出て活動しました。2006年には厚生労働省が導入したリハビリ日数制限に反対し、署名運動を立ち上げて44万筆を集めた。自分の姿をさらして、社会に対する発信を続けたのです。
(7)
英雄的な老いもある
ボーヴォワールが「ある種の老人には、なにかしら不屈なもの、さらには英雄的でさえあるものが存在する」と書いて取り上げているのが、哲学者のラッセルです。
バートランド・ラッセルは若いころから頑固で勇敢だったが、1961年に彼が89歳のときほどそれがセンセーショナルな形で示されたことはなかった。核兵器反対の「百人委員会」のメンバーであつた彼は大衆に呼びかけて非暴カデモを行ない、当局の禁上にもかかわらず他の人びととともに地べたにすわりこんだ。
(8)
ボーヴォワールが実践したリアリズム
彼女の自己批評の精神を感じます。自分が作家だから、作家の老いをよく見せようという保身は一切ない。事実だから書いている。『第二の性』もそうですが、彼女は自分の経験をも客観視して、その立場にある者を批評しているのです。
そこにあるのは彼女の透徹したリアリズムです。徹底的なリアリストとして、見たくない現実をしつかりと見ている。彼女がなぜそこまでできたのかと言えば、彼女は正直であることを自分に課した人だからです。
(9)
老いと自己模倣
わたし(解説者)は若い頃からずっと、先輩の学者たちの背中をじっと見てきました。彼らはだいたい五十代が業績や社会的地位のピークです。そこを過ぎると、多くの人はとたんに自己摸倣が始まります。
では、そこを乗り越える手立てとは何か。それは畑(ジャンル)を変えることです。畑を変えたら、人は必ずそこで初心者になります。 … 50代でできたように、70代でふたたび畑を変えることができるかどうかはわかりません。やはり気力と体力のいることですから。
<出典>
上野千鶴子(2021/7)、ボーヴォワール『老い』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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