===== 引用 はじめ
朝の詩
バネ
愛知県春日井市
浦 聖人 33
不幸なことが起これば
つらいけれどつらいままで
終わらせておくのは
もったいない
だって
不幸をバネにすれば高くとび上がることが
できるんだから
しかも
自分でとぶより幸せをバネにするより
高く飛び上がることが
できるんだから
(選者 新川和江)
===== 引用 おわり
私は、自分の身に不幸なことが起こったら、
本当は、もっと不幸だったのではないか、
もっと不幸にならないよう、
警告してもらったのではないかと思う
たとえを、小さな話で言えば、
小銭入れを無くしたら、
「札入れでなく、小銭入れを落としたのは、神様が守ってくれたからだ」
「札入れを無くさないよう注意しなさいと、神様が私を守ろうとしてくれているのだ」
と思う。
病気やけがをした時もそうだ。
そういう発想ができている時は、感謝の気持ちが起こってくる。
感謝の気持ちが起こっているときは、自然に前に進もうとしている。
「あなたは、札入れを落としたことがないから、
そんなことが言えるのだ。本当の不幸を知らない人に
とやかく言われる筋合いはない」と
お叱りをうけるかもしれない。
返す言葉がない。
「ごめんなさい」と言うしかない。
私は、不幸合戦をする気が起こらない。
「あら、あなたは、それっぽっちの不幸?
私の不幸は、そんなのじゃない! 」
と互いに主張している。
私から見ると、自分を自分で地獄に陥れようとしているように見える。
わたしは、近づきたくない。
一緒に地獄に落ちたくない。
私が書いたことをもっともだなと思う人は、
もっともだなと思ってください。
違うよと思う人は、どうぞそのままでいてください。
私から聞いた話は無視してください。
一緒にいるのは、たがいにとって不幸でしょう。
私を無視してください。私から離れてください。
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