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2016年11月5日土曜日

(682) 不幸なこと


===== 引用 はじめ

朝の詩

 バネ

  愛知県春日井市
  浦 聖人 33

 
不幸なことが起これば
つらいけれど

つらいままで
終わらせておくのは
もったいない

だって
不幸をバネにすれば
高くとび上がることが
できるんだから

しかも
自分でとぶより
幸せをバネにするより
高く飛び上がることが
できるんだから


(選者 新川和江)

===== 引用 おわり

 
私は、自分の身に不幸なことが起こったら、

本当は、もっと不幸だったのではないか、

もっと不幸にならないよう、
警告してもらったのではないかと思う

 
たとえを、小さな話で言えば、

小銭入れを無くしたら、

「札入れでなく、小銭入れを落としたのは、神様が守ってくれたからだ」
「札入れを無くさないよう注意しなさいと、神様が私を守ろうとしてくれているのだ」
と思う。

 
病気やけがをした時もそうだ。

 
そういう発想ができている時は、感謝の気持ちが起こってくる。

感謝の気持ちが起こっているときは、自然に前に進もうとしている。

 

「あなたは、札入れを落としたことがないから、
 そんなことが言えるのだ。

 本当の不幸を知らない人に
 とやかく言われる筋合いはない」と

お叱りをうけるかもしれない。

 
返す言葉がない。

「ごめんなさい」と言うしかない。

 

私は、不幸合戦をする気が起こらない。

「あら、あなたは、それっぽっちの不幸?
 私の不幸は、そんなのじゃない! 」

と互いに主張している。

 
私から見ると、自分を自分で地獄に陥れようとしているように見える。
 

わたしは、近づきたくない。

一緒に地獄に落ちたくない。

 

私が書いたことをもっともだなと思う人は、
もっともだなと思ってください。

違うよと思う人は、どうぞそのままでいてください。
私から聞いた話は無視してください。

一緒にいるのは、たがいにとって不幸でしょう。
私を無視してください。私から離れてください。

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