知性で理解しようとすると、時間をはじめ様々な物を分断してしまい、見えなくなる。目で見ようとすると、大切なものが見えなくなる。
自然、いのち、歴史、近代化、繁栄、不可視、心や感情、要約。
【自然・いのち】
いつからか人間は、猫などのほかの動物とのつながりを見失ってしまった… 人が、人の生活の利便性や快適さだけを考えるとき、想像もしないような大きな過ちを自然に対して行うことになる。そうした生命観の欠如が水俣病の温床になった…(P.78)
===== 引用 はじめ P.77
猫たちの妙な死に方がはじまっていた。部落中の猫たちが死にたえて、いくら町あたりからもらってきて、魚をやって養いをよくしても、あの踊りをやりだしたら必ず死ぬ。
猫たちの死に引きつづいて、あの「ヨイヨイ」に似た病人が、一軒おきくらいにひそかにでてきていた。中風ならば老人ばかりかかるはずなのに、病人は、ハッダ網のあがりのときなど、刺身の一升皿くらいペロリと平らげるのが自慢の若者であったり、八ヵ月腹の止(トドム)しゃんの若嫁御であったり学校前の幼児であったりした。(第三章「ゆき女きき書」)
===== 引用 おわり
【自然・歴史】
石牟礼は東日本大震災の後に「花を奉る」という詩を発表した。… その詩で彼女が歌ったのも生命と自然、そして歴史とのつながりでした。… 自分が幼い時代には、大人たちから「民族の感覚の伝統みたいなもの、学校で教えない、一種の、この世に対する敬虔なおののきみたいなもの」を教わったと語っています(P.78)。
===== 引用 はじめ P.79
世界の奥深さを親たちから教えてもらって受け継いで、蓮の蕾が眠っているところにそっと屈んでいて、お日さまの光が差して、この世が始まる。ある朝だけのことではなく、ずっとほんとに、悠久の昔の始まるときにも立ち会ってきたのだと感ぜられるように育ちました。(「陽いさまをはらむ海」『花をたてまつる』)
===== 引用 おわり
この世の時間と、奥行きのある時間、この二つが交わるところに自然がある(P.79)。
【歴史】
水俣の人々は、現在の問題を考えるとき、歴史に戻っていきました。歴史の中に、自分たちと同じような苦しみ、同じような悲しみを経験した人たちがいて、彼らと対話することで現代の叡智をよみがえらせる道があると、気付いたのです(P.85)。
…
それぞれの事件(*)に直接的な連関はありません。しかし、すべてが近代産業によってひき起こされたものであること、そして、人間だけでなく、自然をふくむ、いのちにとっての大きな脅威になっていることは共通しています(P.86)。
(*) 足尾銅山公害事件、水俣病、東日本大震災。また、イタイイタイ病、新潟水俣病
【近代化・繁栄・いのち】
近代は、人のいのちを「繁栄の名のもとに食い尽くす」、と彼女は言う。これは近代の闇という問題でもあり、今を生きる私たちのいのちの問題です。別の言い方をすれば、いのちが繁栄と比較されるものになってしまったのが近代化だったといえるかもしれません(P.88)。
【近代化・不可視・歴史】
近代は目に見えるものに価値と力を感じる世界観のもとに発展してきました。… 肉体と魂、あるいは現在と過去といったように、目に見えるものは、見えないものとともにある。それが『苦海浄土』の世界です。… 不可視なものを見出す、そのためには、ひとたび歴史に向き合わなくてはならない、それが石牟礼道子の決断でした(P.88)。
【心や感情で読む】
… その価値観を一度疑い、過去から現在を見てみる、歴史の方から読んでみる。現在の知性で読むのではなく、心や感情で読む。文字を理解しようとするのではなく、何が自分に響いているのかを感じる、…(P.92)
【要約できない】
現在は、情報を要約することに価値を置きますが、『苦海浄土』をめぐっては、要するに、ということが言えない。それは人間の生涯、あるいは世界の歴史と同じです。生きている者を私たちは要約することができない。それは常に動いているからです(P.92 ~ P.93)。
……ということで、長々と失礼しました。
引用
若松英輔(2016/9)、石牟礼道子『苦海浄土』、100分de名著、NHKテキスト
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