A.「かなし」
B.「声」になる
C.恨み言を言わない
===== 引用1 はじめ P.11 ~ P.12
「きよ子は、手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。
それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしておりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘から血い出して、
『おかしゃん、はなば』ちゅうて、花びらば指すとですもんねん。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
何の恨みも言わんじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文(フミ)ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に」(「花の文を - 寄る辺なき魂の祈り」『中央公論』2013年1月号)
===== 引用1 おわり
===== 引用2 はじめ P.14
「う、うち、は、く、口が、良う、も、もとら、ん。案じ、加え、て聴いて、はいよ。う、海の上、は、ほ、ほん、に、よかった」(第三章「ゆき女きき書)
===== 引用2 おわり
A.「かなし」 ← 引用1
===== 「かなし」 はじめ P.12
… 昔の日本人は、悲し、哀しとだけでなく「愛し」、「美し」と書いても「かなし」と読んだといわれますが、この一文はそうした悲しみの深みに読む者を導いてくれます。熾烈なまでに悲しいのですが、どこまでも「美しい」何かを読む者の心に残してくける言葉であるように私には感じられます。
===== 引用 おわり
B.「声」になる(1) ← 引用1
===== 「声」になる(1) はじめ P.12 ~ P.13
しかし、石牟礼はきよ子に会ったことはありません。先の一節も、きよ子の亡き母親が語った言葉でした。きよ子の両親もまた、水俣病で亡くなりました。
語りえない思いを胸に抱いたまま、「たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした」という生涯を送った者の「声」になること - それが、作家石牟礼道子の悲願であり、『苦海浄土』において試みられたことでした。
さらに、「文ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に」という願いを胸に受け、石牟礼は今日もなお、「文」を書き続けているのだと思います。
===== 引用 おわり
B.「声」になる(2) ← 引用1、引用2
===== 「声」になる(2) はじめ P.14
水俣病は、神経の自由を著しく害い、言葉を奪う病です。先の言葉を語ったゆきも、すでに思うように話すことはできません。自分はもう流暢に話すことができないから、申し訳ないがよく耳を傾けて聞いて欲しい。海の上で過ごした日々は、本当に幸せだった、と言うのです。
===== 引用 おわり
C.恨み言を言わない ← 引用1、引用2
===== 恨みを言わない はじめ P.14 ~ P15
この言葉を読んで、何より驚かされるのは、きよ子と同じで、ゆきも恨み言を言わないことです。なぜ私がこんな目に遭わなくてはならないのか、と窮状を訴えるのではなく、海はとてもきれいだったと、幸福の経験を語り始めるのです。石牟礼が、作品を通じて伝えたいと願ったものも恨みの連鎖ではありませんでした。当然ですが恨みがないはずはありません。むしろ、筆舌に尽くしがたい恨みがある。しかし、それとは別な場所に患者たちはこの世界への、あるいは隣人たちへの情愛を深めていったのです。
===== 引用 おわり
引用:
若松英輔(2016/9)、石牟礼道子『苦海浄土』、100分de名著、NHKテキスト
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